第3話 祝福

 次の日、昼下がりで教会の手伝いが終わり、時間が出来たわたしは村の中心部にあるシオンの家の玄関を叩いていた。

 

 わたしの方からシオンを訪ねるのは初めてのことだ。

 初めて人の家を訪ねる時は、どこか緊張する。ドアを叩いてしばらくすると、シオンのお母さんであるエマさんが顔を出して意外そうに目を丸めた。


「あら、ユーリアちゃん?」

「エマさん、こんにちは! 急にごめんなさい。シオンはいますか?」

「ふふ、あなたならいつだって歓迎よ。はぁ、せっかくユーリアちゃんが来てくれたのにまったくあの子は……。ごめんなさいね、シオンは朝から遊びに行ってるわ。たぶん、川向こうの広場にいると思うけれど。そう言って出かけたから」


 エマさんはわたしがいじめっ子たちをボコボコにしてからというもの、わたしにかなり好意的だ。

 川向こうの広場というのは、村に流れている水源の小川を登っていくと行き当たる森の手前にある、草木があまり生えていない小さな広場だ。伝統的に村の子供の遊び場になっているので自然に整えられている。


「広場ですか……?」

「ええ、そうなの」


 どこか心配そうにつぶやくエマさんとおそらく同じように、わたしも疑問に思った。シオンはいじめられた経験から、村の子供たちが集まるような場所を避けていたはずなのである。


 心境の変化? 《勇者》の祝福をもらって多少は自信が付いてほかの子と遊ぶ気になったのかしら。


「わかりました! ありがとうございます。行ってみます」

「ユーリアちゃん、その……」


 ぺこりとお礼をして踵を返そうとすると、エマさんはわたしを呼び止めた。

 そしてどこか言いづらそうに、口元もごつかせている。


「エマさん?」

「あの、本当なのかしら。シオンが、聖都に召し出されるって」


 その瞳はどこか不安そうにわたしを見つめていた。

 もしかしたら聞かれるかもしれない。そう思って、わたしはあらかじめその答えを用意していた。


「……母がそう言うのであれば、そうなのだと思います」

「そう、なのね。ごめんなさいね、あなたにこんなことを聞いてしまって」


 エマさんはほんの少しだけ目を伏せてから額にかかった茶色い前髪をかき上げると、無理矢理わたしに笑いかけた。

 

 それはわたしもお母さんから聞いていたことだった。


 きっとシオンは、女神マルグレーテの寵愛を受けた《勇者》として聖都ラピスラズリに召し出されるだろうと。生まれ育ったこの村を出て、両親とも離れ離れになるかもしれない。


 《勇者》だけではない。強力な祝福を与えられた子供は、みなそうなるのだとお母さんは言っていた。


 あの貧弱泣き虫のシオンがそんな環境の変化に耐えられるんだろうかと不安に思わずにはいられない。


 きっとそんなのはわたしの要らぬおせっかいでしかない。

 わたしがシオンから相談されたわけでもないのに。


 考え込みそうになって小さく息を吐く。


 ああ、もう。わたしは自分自身、シオンのことを大切に思っているわけではないと思っていたけれど、案外そうでもなかったらしい。





 シオンは川向こうの広場にはいなかった。その代わりにかつてわたしがボコボコにした小太りのガキ大将とその取り巻きがいて、なぜか半泣きになってその場で尻もちをついたままへたりこんでいた。


 どうしたのと聞けば、広場に現れたシオンに喧嘩を挑まれたらしい。

 そして一方的にやられた結果、泣きながら土下座して今までいじめたことを謝罪させられたという。


 怪我はしていたが、どれも数日で治るかすり傷程度のものでほっとする。

 同時に心がざわついて冷静ではいられなかった。


 気持ちはわかる。

 いじめられてた分やり返したい気持ちはわかる。


 でも、すぐにやり返したくなるほどに、今も苦しんでいたという事実に打ちのめされそうになる。

 きっと、わたしと一緒にいた日々は、シオンにとって過去の苦しみを拭い去れるようなものじゃなかったのだろう。


 喧嘩が終わった後、シオンは森の中へ行ったらしい。


 森の中には人を襲う野犬や狼もいる。

 子供は森にはけして入るなと言われてるんだけど、そのことをシオンが知らないわけがない。


 わたしは嫌な予感がして、小川に添って薄暗い森へ走った。





 見つからなかったらどうしようかと思ったけれど、シオンは入り口からすこし進んだ開けた場所であっさりと見つかった。その傍らには襲ってきたのであろう黒い野犬が一匹力なく倒れている。


「シオン、何してるの」

「あ! 見てよユーリア! 見てよ、僕、獣だって倒せるようになったんだよ! 僕をいじめたヤツだってみんなボコボコにしてやった! ほら、強いんだよ、僕!」


 振り返ったシオンは嬉しそうに、10歳の子供では到底振り回せそうに無い太い木の枝を小さな手で鷲掴みにして軽々と振り回して見せた。普通ならあり得ない光景にぞっとする。


 これが《勇者》の祝福の力なの?


「だから、だからね」


 とてとてと走って目の前に来たシオンがわたしを見上げた。


「これからは僕がユーリアを守ってあげる!」


 鼻息荒く宣言するドヤ顔のシオン。

 なるほど、それはとてもようございました。

 わたしのやることは決まっていた。


「そういうのむかつくんだよなあ」


 両指で力いっぱい頬をつねってやった。


「いひゃいいひゃい! どうしてえ!? やめへぇよゆーりあ!」

「ハァ……調子に乗りすぎだっての」


 手を離すとシオンは両頬を押さえて涙目になっている。


「バカッ、強い祝福を手に入れたくらいで何言ってんの? 貰った力で偉そうにするほどダサいことないよ」

「何で!? こんなに僕強くなったのに! 見ればわかるでしょ!?」

「それはシオンじゃなくて《勇者》の祝福がすごいってだけだよ。それだけで威張ってるようじゃ、そんなのいじめっ子と変わんないよ! いつもうじうじしてたくせに、いきなり『僕が守ってあげる』だって? わたしがいつ頼んだの? そうやって人を下に見るのは楽しい?」

「そ、そんなこと……!」


 シオンは露骨にわたしから目を逸らした。

 そうだよね。ずっと女の腰巾着になって守られてたのは、悔しかったよね。

 でも、祝福を与えられた途端に気が大きくなってる姿は見てる方が恥ずかしくなるよ。


「なんだ、図星? 弱っちくて泣き虫なシオンくん」

「……しょ」

「は?」


 俯いたまま小さくぶつぶつと呟くと、シオンは一気におもてを上げてわたしと視線を合わせた。


「ユーリアは悔しいんでしょ! 何の祝福ももらえなかったから、僕が羨ましいんだッ!」


 いつもの情けない怒ったフリじゃなくて、火の玉のような怒気がエメラルド色の瞳の奥に渦巻いていた。


 羨ましい? わたしが?

 

 じゃあやってみなよ」

「え?」

「さっき広場でやったみたいにわたしをボコボコにしてみなよ。わたしのことがむかつくんでしょ?」 


 戸惑って目を見開いたまま動かないシオンに、わたしはご丁寧に取り落とした木の枝を両手で持ち上げて手に持たせてやる。そしてトンと突き飛ばして距離を取らせた。


 わたしはきっと嫌なのだ。

 あなたが暴力で変わってしまうことが。

 それはわたしの傲慢なわがままなのかもしれないけれど、


「ほらやりなよ! 自分の思い通りにならないわたしが気に入らないなら、そのご大層な祝福で言うこと聞かせてみせなよ! “お前はこんなに弱いんだから、大人しく僕に守られてろ”って!」


 だからこうやって、わざとシオンにできるわけがないことを言ってしまう。

 嫌な奴だな、わたし。


 太い木の枝を正面に構えたまま、顔を真っ赤にして震えているシオンに、わたしは最後の一押しをする。


「怖いの? 強くなったところでたかが女ひとりにビビってるなら、

「うう、ううう! うわああああああ!!」


 シオンが叫びながら木の枝を振り上げた。

 わたしは、目を閉じなかった。


 ごしゃ、と鈍い音が響いて、

 振り下ろした木の枝はわたしのすぐ横を通過して地面に叩き付けられた。

 

 そして、目の前で肩で息をしているシオンをわたしはそっと抱きしめて、背中をさすってやった。

 なんだか、そうしなければならないような気がした。


「ごめんね」

「え……」

「シオン、あなたの良いところは優しいところだよ。どれだけムカついても一線は越えない。それは普通の人間じゃ、なかなかできないことだよ。だから、その優しさだけは無くさないでほしいと思ってる」

「うう……でもみんな僕のこと、勇者様だって。きっと名前を残すような英雄になれるって。だから、強くならなきゃって、今のまま、ユーリアに守られてる僕のままじゃ、ダメだって……そう思って……っ」


 シオンはわたしの肩に顔を押しつけると泣き始めてしまった。この泣き虫め。

 祝福を与えられた途端にいきなり村のみんなの期待を受けて、いっぱいいっぱいになってしまったのだろう。


 シオンの未来を思うと暗い気持ちになりそうになる。多分このままだとろくなことにならない。

 ちやほやされて、焦りと全能感だけが肥大して突っ走っていく幼馴染の姿は見たくなかった。


 目を真っ赤にしてしゃっくりを繰り返すシオンをゆっくりと引き離すと、わたしは少しだけ屈んで目線を合わせた。


「そうだよ、シオン。強くならなきゃ」

「だ、だから僕は、この《勇者》の力で……!」

「ちがう。これからあなたはその《勇者》の祝福に相応しい男にならなきゃいけない。大切なのは勇者であることじゃなくて、そんなものが無かったとしても自分自身を誇れるようになることだよ」

「僕、自身……?」

「そ、その祝福に頼らなくたって凄いって言われるくらいの男になりなさい。そしたら大人しくわたしだって守ってもらうことにするからさ。祝福を鼻にかけて何の努力もしないダサい男になったら幻滅するから」


 わたしはシオンの額に指を立てると、そのままデコピンした。


「痛っ!」

「流石にさっきのは怖かったからね。それに、祝福を貰えなかったから羨ましがってるとか言いがかりだし? そのお返しだよ」

「それは……その、ごめんなさい……」

「いいよ、許してあげる。でもその代わり、今わたしが言ったことを忘れないようにね」


 シオンはこくりと頷いた。その涙もいつの間にか引いていた。

 なんとか落ち着いたかな。いやあ、本当にぶん殴られてたら流石に死んでた気がする……。


 いきなり超強い力とか手に入れたらテンション上がるのはわかるけどね。そういうのって男の子の夢なんだろうし。


 わかるから、なんとかしてあげたいと思ってしまう。


 ちなみにその日は久しぶりにせがまれたので手を繋いで帰ってあげた。

 普通逆でしょ……。


 はあ、言ったそばからこの甘ったれで大丈夫なんだろうか。


「明日から、頑張る。僕、ユーリアを守れる男になるよ」

「その明日からってのが不穏だけどなあ」

「ほんとだってば!」

「ん、期待してる」


 今度は冗談を言わない。

 繋ぐシオンの手に少しだけ力が入ったのを感じた。

 

 森を出たらいつの間にか夕陽が差し込んでいた。

 山吹色の光に照らされたシオンの横顔は、どこか吹っ切れたような、ほんの少しだけ凛々しいものに変わっていた。


 幼馴染の女にする、幼い日のありがちな約束。


 大人になった後、子供の頃にそんなこともあったな、なんて。

 そんな思い出にしてくれればいいと、その時のわたしは軽く考えていたのだ。

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