第2話
大学は、文学部心理学科卒業。
が、幽霊学生みたいな、スチューデントアパシー?ぽい、なんだか中途半端に逸脱して、そのトラウマも引きずってます。
が、やはり全く無為なわけもないから、たくさん読書もした。友人とハナシもした。
若い柔軟な精神で、様々に濫読をしていて、その頃の読書で自分の基本的な土台が形成されている感じもある。
若い頃から読み続けてきた著作家、興味のある分野、そういうのはだいたいやはり精神世界とか心理学、精神医学、SF、そのへんに偏している。
自分と社会との齟齬、違和感、そういう悩みを宿痾の如くに抱えて、怏怏としてばかりいた結果だとは思います。
それを別に「偏り」みたいには思わず、というか発想自体が未分化過ぎたかも?やが、自然にココロの病とか精神分析、サイキックなテーマのSF、そこら辺にしかリアリティを感じにくくて、今でもその延長で、「精神的な癒し」みたいな方面のことを書いたり考えたりする機会や時間が多い。
昔は性や恋愛?そういう方面の話題というか、およそ「異性」というものがハードル高過ぎるようなイモっぽい人物で、今もあまり変わらんけど? 多少リアリティが増しては来ていて、「痴人の愛」の主人公の生活や気分がよくわかるような遊惰な暮らしの時もありました。
年の功というか、視点が客観的に普遍妥当化してきて、精神世界への拘り?それが自分の運命バイアスとか、個人的な事情という捉えも最近は普通にできる。
だから、まあいろいろ「傾倒した」著作家の誰それも、自分的なバイアスに基づく運命的な選択、必然的な邂逅、確かにそうには違いない、回りくどいですが、今になるとそう思われる。
社会には違和感しかなくて、で、人気のある推理小説とか敬遠するというか、普通にベストセラーの、いろんな「話題の本」みたいなのには、どうもおカネ払って読んだり?ハマったりしにくかった…
ですが、最近は、昔より、より自分の「ココロ」の中とかのほうに関心を向けるというか、そういうオタクな自閉症ぽいベクトル?に違和感が無くなってきている、時代思潮がシフトしてきている、そんな雰囲気もある?
ナニかの本に「教養とはひとりでいても退屈しない能力」とか書いていたが、最近のように、自分の中に幸福や自己実現のための価値観の物差しを、個性的なオリジナルな定義? より自分志向な行動原理?様変わりしてきた社会に適応していくためにも、そうした「古くて新しい教養」が必要…なんとなくそういう気はします。
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