第12話「修学旅行の行き先は、寺と神社だらけ」
月曜のホームルームで、担任の田中先生が、やけにテンション高く教壇に立った。
「えー、それではお待ちかね! 二年生最大のイベントのお知らせです!」
教室の空気が、一気にざわっと沸く。
テストでもない。進路でもない。
この時期、このテンション、この前フリ。
(来たな……)
「今年の修学旅行の行き先は――」
田中先生は、黒板に勢いよくチョークを走らせた。
出雲県玉造市方面!
「出雲県玉造市方面! 玉造温泉と、寺と神社と古い町並みがどっさりあります!」
黒板には、さらに地名が書き足されていく。
玉造温泉。
水鈴山 蓮照寺。
玉造城下町。
玉造川。
勾玉ミュージアム。
そして、最後にもう一行。
赤鬼山 鬼鎮寺(せききざん・きちんじ)※バス車窓見学
(……今、鬼って書かなかった?)
教室がどっと沸いたのは、もちろん鬼の一文字を見た瞬間だった。
「ちょ、先生、今“鬼鎮寺”って書きました!?」
「なにそのホラー確定ワード!」
「絶対なんか出るじゃん!」
あちこちからツッコミと笑い声が飛ぶ。
田中先生は慌てて手を振った。
「はいはいはい、落ち着いて! “鬼鎮寺”はあくまでバスの車窓から“遠くに見える山のお寺”です! 立ち寄りません! 夜も行きません! “見学予定地”に書いてあるのは、あくまでしおり用の情報です!」
逆に怪しい。
「玉造温泉、水鈴山 蓮照寺、玉造城下町、勾玉ミュージアム――が、メインの観光地ね。
鬼鎮寺は、えーと、“歴史的景観として”バスガイドさんが説明してくれるだけです!」
必死のフォローが、余計にクラスのテンションを上げていく。
「鬼、封じてる寺なんだって!」
「“鬼鎮”って、“鬼を鎮める”ってことでしょ!?」
「夜バスで通ると、窓の外に映るやつ〜!」
「こわっ! でもちょっと見たい!」
女子たちがスマホで「鬼鎮寺 怪談」とか検索しはじめ、
男子たちも「絶対誰か写真撮るだろ」と盛り上がる。
黒板の「出雲県玉造市」「玉造温泉」の文字が、
僕には「現場」「フラグ」「フラグ」くらいの意味に見えた。
(出雲県玉造市=玉造温泉=水鈴山 蓮照寺=本山=鈴=法具+
赤鬼山 鬼鎮寺=鬼=とんでもない予感)
頭の中で、勝手に不吉な連想ゲームが始まる。
「何その“もう帰りたい”みたいな顔。修学旅行だよ?」
前の席から、犬塚が振り向いてきた。
「いやだって、“玉造温泉&寺と神社だらけ”って時点で、
妖怪特別クラス的には仕事現場だらけなわけで……
そこに“鬼がいる寺”までセットで付いてきたら、もうお腹いっぱいでしょ」
「“鬼がいる”って決まってないじゃん。
“鬼を鎮めた”かもしれないでしょ」
「その違い、安心材料になる?」
斜め前から、猫屋敷がパンフレットを片手に割り込んできた。
「見て見て、ほら。
“玉造温泉 翡翠の湯 たまゆら館”だって。
川沿いに旅館が並んでて、中庭に勾玉オブジェと小さな祠付き。
絶対映えるし、絶対なんか出るし、
そこから見える山の上に鬼鎮寺。完璧じゃない?」
「最後の三つのうち二ついらなかったよね!?」
「“古い旅館+温泉+勾玉+祠+鬼の山”って、
ホラー番組なら三時間スペシャル組むやつだよ?」
「うちはホラー番組じゃなくて普通の高校なんだけど」
窓際では、雪白がパンフレットを静かに眺めていた。
「……玉造川、温泉、山の上の大寺院。
そのさらに奥に、“鬼鎮寺”ね」
そう呟いて、ふう、と白い息を吐く。
「水と土と火と、“恨み”の気配。
トラブルを呼び込みやすいわね、こういう地形」
「だからその“妖怪目線の立地評価”やめて」
「事実よ。ただ、温泉は嫌いじゃないわ」
雪白は、ごくわずかに視線をそらした。
「“翡翠の湯”って名前、悪くないし」
耳が、ほんの少し赤い。
温泉、実はちょっと楽しみなんだろうな、と僕は心の中でだけニヤニヤした。
「ゆうま」
前の席の水守が、机を振り向きざまにコン、と指で叩いた。
「一応言っとくけどね」
「うん」
「出雲県玉造市、法具の匂い、わりと濃いよ。
しかも、“鬼鎮寺”のほうからは、別ベクトルのノイズも混ざってる」
「ノイズって言い方やめて。怖いから」
「正確に言うと、“古い封印の残響”かな。
蓮照寺ライン=法具。
鬼鎮寺ライン=“契約を嫌う連中”。
その両方が同じ盆地に詰め込まれてるわけで」
「やめて、地理の授業でそんなこと習ってない」
パンフレットの写真が、全部「任務地」と「火種」に見えてきた。
***
放課後。旧校舎一階。特別クラス教室。
黒板には、でかでかとこう書かれていた。
《修学旅行:出雲県玉造市方面
表の目的:歴史と文化と温泉に親しむ
裏の目的:鈴の安定化+法具探索+封印状況の確認(←!?)》
「今、“封印状況の確認”って書き足しましたよね!?」
僕は全力でツッコんだ。
「気のせい気のせい」
教卓の前でチョークを持つ沼田先生が、へらっと笑う。
「気のせいじゃないですよね今。しっかり矢印付いてましたよね」
「まあまあ。どうせどこかのタイミングで説明しなきゃいけない話だし」
そう言いながら、先生は教卓の上に古い地図と紙束を広げた。
出雲県玉造市を中心にした、古い霊地図。
そこに、寺と神社と山の名前が、細かく書き込まれている。
「で、まずは一件目、“鈴”だ」
先生は、海と山に挟まれたその地図の、真ん中あたりを指さした。
「この前の観音寺の鈴は、うちの学区とこのエリア一帯の“霊の流れ”を見て、
いったん出雲県玉造市の本山――水鈴山 蓮照寺(すいれいざん・れんしょうじ)に預けることになった」
地図には、「水鈴山 蓮照寺」と書かれた印。
玉造温泉街から、少し山側に入った場所だ。
「蓮照寺は、仏側にとっての“法具管理センター+会議場”みたいなところだ。
蓮見くんの師匠筋もそこにいて、“鈴”単体じゃなく、“法具全体のバランス”を見られる」
「で、その蓮照寺が――」
水守が、タブレットをくるっとこちらに向ける。
画面には、修学旅行のルートマップ。
「今回の修学旅行ルートに、がっつり組み込まれてるんだよね」
「表向きは“歴史的寺院の見学コース”」
先生が補足する。
「裏向きは、“法具引き渡し会議 in 本山”。
ありがちな観光行程に見せかけて、割とガチの会議が裏で行われる予定だ」
「さりげなくないですよね、メイン観光地ですよねそれ」
僕は頭を抱えた。
「宿は、玉造川沿いの温泉旅館ね」
雪白が、配られたプリントをちらりと見て言う。
「『玉造温泉 翡翠の湯 たまゆら館』。中庭に勾玉のオブジェと小さな祠付き……絶対、何か出るわよね」
プリントに印刷された旅館の写真を見て、僕の胃は早くもきゅっとなった。
「で、“鈴”の件は移送と本山での調整として――」
水守が、マップを拡大する。
「問題は、他の法具の匂いも同じ地方にあることなんだよね」
「問題を増やさないで……」
「玉造市って、昔から“玉造り”と“数珠”で有名なんだ。
勾玉ミュージアムとか、数珠工房とか、ほら」
タブレットの画面に、「勾玉資料館」「玉造数珠工房」の文字が並ぶ。
「このあたりの“勾玉”や“数珠”のうち、
どれかは“法具の系列”に入ってる可能性が高い」
「完全にサブクエストの匂いしかしないんだけど」
猫屋敷がニヤニヤと笑う。
「いいじゃん、“修学旅行の自由行動=法具探し”って。
勾玉ストラップ買いに行くふりして、本物探せるし」
「自由行動ってそういう意味だったっけ……」
「最近はそういう意味になったの」
「なってないから」
――そこで、沼田先生は、もう一枚の古文書を広げた。
そこには、今度は玉造市の山のほうが大きく描かれている。
山の名前。「赤鬼山」。
その中腹に、小さく書かれた「鬼鎮寺」の文字。
「あと、もうひとつだけ。
今回の行き先の“先”にある話だ」
先生の声色が、少しだけ真面目になる。
「赤鬼山 鬼鎮寺」
その名を口にした瞬間、部屋の温度がほんの少しだけ下がったような気がした。
「さっきホームルームでも名前が出た、鬼鎮寺ですか」
僕がごくりと唾を飲み込むと、先生はうなずいた。
「昔、この地方で“契約を嫌った連中”が、大暴れしたことがある」
「連中って……鬼?」
「鬼だ」
即答だった。
「人間から見れば“山賊”で、
神側から見れば“裏切り者”で、
仏側から見れば“救いようがない執着”で――
そういうものが、ひとまとめになって“鬼”になった」
先生は、指で古文書の一部をトントンと叩く。
「その暴走を止めるために使われたのが、
法具“仮面”と“剣”だと言われている。
そして、最後に“鬼”を封じた場所が、この鬼鎮寺の奥の院」
「奥の院って、つまり――」
「封印の間だよ」
水守が、さらっと言う。
「古い契約のログが、あちこちに焼き付いてるタイプの場所だね」
「ログって言い方やめて。怖いから」
「安心しなさい。今回の修学旅行では、鬼鎮寺には近づかない予定だ」
沼田先生は、そこだけ強調した。
「バス移動中に“あの山の向こう側にこういう寺があるんだよ”ってガイドさんが説明するくらい。
進行方向の、ずっと先の話だ」
「“予定だ”って、今さらっと言いましたよね」
僕は、すかさずその一言を拾った。
「“予定だ”ってことは、“予定じゃなくなる可能性もある”ってことですよね」
「日本滅亡まで五年っていうカウントダウンが動いている以上、
どこで何が“予定外”に変わるかは、誰にも断言できない」
先生は、非常にぬらりひょんらしい誤魔化し方をした。
「だからこそ、今のうちに“鈴”を安定させて、
“水鏡”と“総代候補”のコンディションを整えておきたいわけだ」
「総代候補って、またさらっと言った……」
「聞き流していいよ、三分の二くらい」
「さっきから割合がどんどん増えてません?」
猫屋敷が、わざとらしく肩をすくめる。
「でもさ、ちょっとワクワクしない?
“温泉&グルメ&鬼封じの寺のある街に修学旅行”って聞くと」
「“&鬼封じ”いらないのよ」
雪白が、冷たく突っ込んだ。
「少なくとも、“今の段階では”鬼鎮寺に行く予定はない。
……“今の段階では”」
「今の段階を二回言わないで」
その言葉が、妙に頭に残った。
出雲県玉造市。
玉造温泉。
水鈴山 蓮照寺。
翡翠の湯 たまゆら館。
そして、その先の山奥に、赤鬼山 鬼鎮寺。
(“修学旅行の行き先”のさらに先に、
何かが待ってる、ってことなんだろうか)
そんな考えが脳裏に浮かんで、消えなかった。
***
出発の日の朝。
駅のホームは、通勤ラッシュと修学旅行生のテンションで、妙な熱気に包まれていた。
制服の上にパーカーやジャージを羽織ったクラスメイトたち。
大きなボストンバッグやキャリーバッグを引きずる音。
「お菓子ちゃんと三百円分にした?」と騒ぐ声。
「はぐれないでー! ホームでは絶対に黄色い線の内側で待ってー!」
田中先生が半分叫びながら点呼を取っている。
「ねえねえ、玉造行ったことあるって親が言ってたんだけどさ」
「なにその便利な情報源」
「夜、バスで山のほう通るとき、“絶対寝たふりしてでも外見ときなさい”って言われた。
“たまに窓ガラスに変なの映るから”って」
「親、なんでそんなアドバイスすんの!?」
そんな会話が平然と交わされているあたり、
うちのクラスのホラー耐性は全体的におかしい。
その少し離れたところで、僕たち特別クラス組は、ちょっと違う空気をまとっていた。
「――で、鈴は?」
小声で訊ねると、沼田先生が肩から下げた地味なショルダーバッグをぽん、と叩いた。
「ここ。見た目はただの書類バッグ。
中身は、文化財移送用の専用ケース。
その中に、さらに封印用の護符と緩衝材と、
仏側・妖怪側・総代筋の三重結界付き」
「詰め込みすぎじゃない?」
「高級品だからね。それに――」
先生は、視線だけでホームの向こう側の山並みを指した。
「この先には、“鈴”よりややこしい封印も眠ってるからね。
こっちがちゃんとしておかないと、向こうの機嫌まで悪くなる」
「“向こう”って言葉の範囲がどんどん広がってません?」
その隣で、作務衣姿の蓮見が静かに合掌していた。
今回は、観音寺の代表兼“仏教文化の解説役”として、一行に同行するらしい。
「移送中、もし違和感があったら、すぐに知らせてください」
蓮見の視線が、僕の手のひらに落ちる。
そこには、小さな勾玉の水鏡が乗っていた。
ホームの喧騒と、クラスメイトの笑い声と、
電車のアナウンス。
その全部が、薄い水の膜の向こう側のことみたいに、少しだけ遠く感じる。
「水鏡は、“鈴”にも、“勾玉”や“数珠”にも、
――そして、“鬼鎮寺のほう”の揺れにも反応します。
何かあれば、きっと教えてくれるはずです」
「その“何か”が、あんまり起こってほしくないんですけどね……」
僕は、苦笑いみたいな息を吐いた。
水鏡をそっと傾けると、そこに自分の顔が映る。
眠そうで、不安そうで、
でも、どこかワクワクしている顔。
その後ろに、
同じ制服のクラスメイトたちが映り込んでいた。
手を振り合っているやつ。
写真を撮り合っているやつ。
「たまゆら館、夜更かししようぜ」と笑っているやつ。
(……ほんとに、行くんだな)
出雲県玉造市。
玉造温泉。
水鈴山 蓮照寺。
翡翠の湯 たまゆら館。
そのさらに先に、赤鬼山 鬼鎮寺。
修学旅行。
法具の移送。
日本滅亡まで五年のカウントダウン。
全部ひっくるめて、
このホームから、同じ列車に乗る。
「まもなく一番線に、出雲県玉造市方面行き特急列車が到着します」
駅のアナウンスが流れた瞬間、
クラスメイトたちのテンションがさらに跳ね上がった。
「玉造温泉〜!」
「たまゆら館〜!」
「鬼鎮寺、どの山の裏なんだろ!」
「そこは気にしなくていいから!」
列車がホームに滑り込んでくる。
風が、ホームの空気を入れ替えるように吹き抜けた。
水鏡の表面に、列車の車体と、その向こうに広がる見知らぬ街の名前が映り込む。
出雲県玉造市。
「ね、ゆうま」
隣で、猫屋敷が覗き込んできた。
「そんな顔してるとさ、
“修学旅行楽しみすぎて不安になってる人”みたいに見えるよ?」
「半分くらい当たってる」
「残り半分は?」
「世界の行く末と、山の向こうの鬼の機嫌について」
「修学旅行前に考えることじゃないでしょ、それ」
そう言って笑う猫屋敷の尻尾が、
ホームの冷たい風の中で楽しそうに揺れた。
水守は、すでにタブレットで現地の天気と地形図をチェックしている。
「今日の玉造市、午後からちょっと気圧下がるかも。
鈴と温泉と霊と、山の向こうの封印の機嫌、
全部、悪くならないといいけど」
「最後の一個が一番怖いんだけど」
雪白は、キャリーバッグの持ち手を握りながら、小さく息を吐いた。
「……とりあえず、“楽しむ”のも仕事。
“無事に帰ってくる”のも仕事。
“何かあったときに、ちゃんと立つ”のも、たぶん仕事」
その目の奥には、うっすらと期待と緊張の色が混ざっていた。
列車のドアが開く。
先生が「乗って乗ってー!」と手を振る。
僕は最後にもう一度、水鏡を覗き込んだ。
そこに、
自分と、クラスメイトと、列車と――
そして、遠くの山の輪郭みたいな影が、うっすらと重なって見えた気がした。
気のせいだと、今は思っておく。
でも。
(日本滅亡まで五年――)
頭の隅で、その言葉は消えないままだ。
修学旅行の列車。
クラス全員。
鈴。水鏡。法具たち。
封印の山と、そこに眠る鬼。
総代候補と、その仲間たち。
その全部を、同じルートに乗せて、
これから数百キロ先の“器の端っこ”まで運んでいく。
「……なんかさ」
笑うしかない感じになって、
僕は、少しだけ肩をすくめた。
「日本滅亡まで五年――そのカウントダウンを、
クラス全員で修学旅行の列車に乗せてしまった気がして、
僕はちょっとだけ笑うしかなかった」
(つづく)
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