第5話 「雪女の冷たい視線と、最初の依頼」
──倉庫の中に、教室がある。
頭では理解しても、目の前の光景はなかなか受け入れがたいものだった。
体育館裏の倉庫のはずの場所に、
黒板、長机、椅子、棚、本棚、掲示物。
どう見ても「教室」だ。
ただ、普通の教室と決定的に違うのは──そこにいるメンツだった。
「新入り?」
最初に声をかけてきたのは、窓際であぐらをかいていた男子だった。
短く刈った黒髪に、健康的に焼けた肌。
学ランのボタンはほとんど開いていて、Tシャツが見えている。
笑えば犬みたいな八重歯が見えそうな顔。
そしてなにより、椅子に座ってるだけなのに、やたら“野生”の気配がする。
「おう、入間か。ほんとに来たんだな」
「……犬塚?」
「そ。昼間は普通クラス、夜はこっちって二刀流よ。
よろしくな、狼男見習い(オオカミおとこみならい)の犬塚恭介さま、だ」
自分で名乗って、自分でニカッと笑うあたり、やっぱりちょっと犬っぽい。
「自分で“さま”付ける人、初めて見た」
「大事だぞ、セルフブランディング」
「はいはい、そのへんにしといてね、犬塚くん」
黒板の前から、涼しい声が飛んできた。
そちらを向くと──そこに立っていたのは、氷の彫刻みたいな少女だった。
真っ白な肌。
肩までまっすぐに伸びた、淡い銀色の髪。
黒いタイツから伸びる足は細くて、でもまっすぐで、立っているだけで絵になっている。
瞳の色は、透き通った薄い水色。
窓の外の光を映して、氷の欠片みたいにきらきらしていた。
ただし、その視線はとても冷たい。
「……あなたが、新しい“ぬらりひょん枠”?」
「ぬらりひょん枠って何」
「増やしたくなかったんだけど」
ため息まじりに言われた。
初対面でため息から入られるの、地味にダメージが大きい。
「ちょっと、雪。言い方」
猫屋敷が横から割り込む。
「入間くん、紹介するね。
雪女の末裔(まつえい)、雪白(ゆきしろ)こはるさん。
成績優秀・運動神経良し・性格はツンドロ」
「ツンドロって何」
「ツンツンしてるけど、内心けっこうドロドロしてるタイプ?」
「新入りの前で変な設定足さないで」
雪白がぴしゃりと突っ込んだ。
その瞬間、教室の温度が一度くらい下がった気がする。
黒板の右端に置かれた花瓶の水面に、さざ波が立った。
「……ごめん、ちょっと寒気したんだけど」
「気のせいじゃないわ。感情が乱れると、温度が下がるの」
「自己申告制なんだ」
「制御中だから安心しなさい。あなたを凍らせるつもりは、まだないから」
“まだ”って何。
僕が心の中で突っ込みを入れていると、教室の隅でひょこっと小さな影が立ち上がった。
「あ、新しい人だ……!」
ランドセルを背負った、小学生くらいの女の子。
だけど、その髪型も服装も、どこか昭和レトロな雰囲気をまとっている。
赤いワンピースにおかっぱ頭。
大きな瞳がきらきらしていて、頬はほんのり桜色。
「はじめまして! 座敷童(ざしきわらし)枠の座敷原(ざしきばら)まひるです!
これから、よろしくお願いします!」
ぺこりとお辞儀した拍子に、ランドセルからお守りやら古い鍵やらがじゃらじゃら音を立てた。
「まひる、枠とか言わないの。そういうのは大人の事情だから」
教卓の近くで、からかさを肩にかけた女子が小さく笑う。
一本足の下駄を器用に履きこなし、
肩に背負った和柄の傘には、にやっと笑う顔が描かれていた。
「からさか紬(つむぎ)。からかさおばけ系。
見た目はこうでも、中身は割と古株だから、いろいろ聞いていいよ」
「中身古株って自己申告する女子、高校で初めて見た」
「素直な子はモテるって聞いたんだけどなあ」
からさかが肩をすくめると、肩の上の傘も一緒にくしゃっと笑った。
……動いたよね今、その顔。
教室の後ろのほうでは、窓の外の光に溶けるように、
黒板消しを静かに並べている“影の薄い”女子がひとりいた。
髪は肩のあたりでふわりと切りそろえられていて、
制服のスカートは他の女子と同じ長さのはずなのに、なぜか視線が滑っていってしまう。
目を凝らすと、ところどころ輪郭がぼやけている。
「……あれは?」
「影原(かげはら)さん。影女(かげおんな)系。
見てるとこっちまで存在感食われるから、最初はあんまり直視しないほうがいいよ」
「なんかサラッと怖いこと言われた」
猫屋敷が、僕の耳元でこっそり囁く。
その尻尾が、僕の腰のあたりをくすぐるようにふわっと揺れた。
──全員、濃い。
クラス替えどころか、世界替えレベルでメンバーが変わってしまった気がする。
「さて」
そのとき、教室の前の扉が、こん、と控えめな音を立てた。
すっと入ってきたのは、見慣れた顔だった。
霧ヶ丘高校二年B組担当、古文教師。
いつも着流しっぽいジャケットを着ている、ゆるい雰囲気の男。
「やあ、全員いるね。……おや、新入りも」
「古文の先生……?」
僕が思わず口にすると、男はにやっと笑った。
「“古文の先生”は表の顔ね。
こっちでは、霧ヶ丘高校・妖怪特別クラス担任の、沼田(ぬまた)です」
「ぬまた先生、かっこよく言ってますけど、要はぬらりひょんOBですよ」
からさかが小声で補足してくれる。
……OB。
つまり、この人もぬらりひょん系だということか。
沼田先生は、教壇に立ち、ゆったりとした仕草で湯呑みからお茶を一口飲んだ。
どこから出したんだ、その湯呑み。
「改めて。入間悠真くん。
ようこそ“こちら側”へ」
――ぬらりひょんの子ども。ようこそ、こちら側へ。
水底で聞いたあの声と、今の言葉がぴたりと重なって、背中がぞくっとした。
「君のことは、前から多少は聞いていたよ。
『どうも、総代候補が人間界で育っているらしい』ってね」
「総代総代って、さっきからその単語やたら出てきますけど」
「簡単に言えば、『場の責任者』だ。
神だの仏だの妖怪だの、人間だの、いろんな連中が混ざってる場を、最終的に“まとめてしまう”役」
「そんな重要そうな役に、僕を?」
「“役に就くかどうか”と、“そういう気質を持って生まれてしまったかどうか”は別問題だからね」
沼田先生は、にやりと笑って、チョークを手に取った。
「まあ、細かい話はおいおい。
まずは、うちのクラスの“仕事”を、体験してもらわないと」
黒板に、さらさらと文字が浮かんでいく。
《霧ヶ丘高校 七不思議 その四
──夜な夜な合奏する音楽室の鏡》
「……あ」
見覚えのある単語だ。
「最近、放課後になると、この“七不思議”の活動が少し激しくなっていてね」
沼田先生が、ポインター代わりの扇子で文字を軽く叩く。
「開かずの音楽室。
誰もいないのに、合わせ鏡の向こうでピアノが鳴る。
覗き込んだ生徒が、立ちくらみを起こして倒れる──」
「昨日、教室で見た“水たまりの手”とは、また別系統ですね」
水守が、いつの間にか教室の後ろの席に座り、タブレットを開いていた。
画面には、学校の簡易マップと、その上に重ねられた青い線が表示されている。
「こっちは“水路”じゃなくて、“境界面”のゆるみ、だと思う」
「専門用語出てきた」
「鏡はね、もともと“向こう側”と“こっち側”を行き来するための道具なんだよ」
沼田先生が、黒板の端に小さな四角を描く。
その中に“こっち”“あっち”と書き込み、矢印でつなぐ。
「神さま関係だと、神鏡(しんきょう)ってやつ。
仏さま関係だと、心を映す“智慧の鏡”。
妖怪的には、“化け物が覗くと本性が映る”とかね」
「マルチに使われすぎじゃない? 鏡」
「便利だからね、境界として」
からさかが肩の傘をくるりと回す。
その顔が、ニヤリと笑った。
「で、うちの音楽室の鏡が、どうやら本来の役割以上のことをし始めてる。
向こう側から誰かが勝手に使ってるのかもしれないし、
こっち側の“想い”が溜まりすぎて暴走してるのかもしれない」
沼田先生はチョークを置き、教室全体を見渡した。
「そこで、うちのクラスの出番だ」
さっと何本かの視線が僕に向く。
雪白の冷たい視線。
犬塚のわくわくした視線。
座敷原まひるのキラキラした視線。
からさか紬のニヤニヤした視線。
猫屋敷茜の、楽しそうでありながら、少しだけ“心配”の色も混じった視線。
「入間くん」
沼田先生が、僕の名を呼ぶ。
「これが、君の“最初の依頼”だ」
ごくり、と生唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。
「依頼って、やることは具体的に……」
「まずは現地確認。
今日の放課後、音楽室に入って、“何が起きているか”を見る。
その場を安定させるのが君の役目。
危なくなったら、雪白と犬塚が前に出る。
水守は情報サポート。猫屋敷とからさかはバックアップ。
座敷原と影原さんは、サポート&安全確保」
さらっと編成が決まっていく。
ゲームのパーティ編成画面を見てる感覚に近い。
「……拒否権は」
「あるよ」
即答された。
「でも、拒否した場合も、向こう側の“鏡問題”は進行し続ける。
君は何も知らない“普通のクラスメイト”として、被害が出るのを見ているだけになる」
「性格悪い言い方しますね」
「ぬらりひょん系だからね、性格はちょっと曲がってるんだ」
本人が自分で言うな。
教室の空気が、少しだけ重くなる。
でも、その重さは、息苦しいほどではなく、“覚悟を促す重さ”に近かった。
雪白が、すっと手を挙げる。
「先生。もし入間くんが受けるなら、私も参加します」
「おや、自発的に? 珍しい」
「“ぬらりひょん枠”がどれくらい役に立つのか、最初に見ておきたいので」
さらっと毒を混ぜながらも、雪白の瞳には、わずかに興味の色が混じっていた。
犬塚が、机に片足を乗せながら笑う。
「おもしれーじゃん。
鏡の向こうの誰かさんとケンカすんの、ちょっとワクワクするし」
「犬塚くん、机に足」
「へーい」
適当に返事をしながらも、心のどこかで炎が灯っているのが見て取れる。
座敷原まひるが、ランドセルの中からお守りを何個も取り出して机の上に広げた。
「あのあの、これ、持っていってください!
全部、“帰ってこられるように”ってお願いしてあるやつです!」
「そんなに帰り道用意されると、逆にフラグっぽい」
「フラグって何ですか?」
「なんでもない」
からさかは、肩の傘と一緒にくすくす笑っている。
影原さんは、相変わらず輪郭がぼやけたまま、静かにこちらを見ていた。
──みんな、何かしらの理由でここにいる。
その中に、僕も今、立っている。
拒否できないわけじゃない。
でも、断った未来を想像すると、胸のあたりがざわざわした。
音楽室の鏡。
通りすがりの誰かがふざけ半分で覗き込んで、倒れる。
ニュースにはならない、小さな事故。
でも、それが積み重なっていった先に、何が起きるのか。
水底で見た“手”のことを思い出す。
誰かが流した願い。
誰かが投げ捨てたお札。
誰かが見ないふりをした“想い”の残骸。
それらがたまって、形を持ったのがあの手だった。
鏡だって、同じかもしれない。
「……わかりました」
気づけば、口が勝手に動いていた。
「やります。
音楽室の鏡、見に行きます」
教室内の空気が、少しだけ、変わった。
雪白の瞳が、ほんのすこし柔らかくなる。
犬塚がニカッと笑う。
座敷原が「やったー!」と小さく跳ねる。
猫屋敷が、尻尾で僕の背中をぽすんと叩く。
「じゃあ、決まりだね」
沼田先生が、黒板の端にチョークで大きく丸を描いた。
《本日の任務
霧ヶ丘高校・音楽室 合わせ鏡調査》
「放課後十七時。
いったんこの教室に集合して、そこから音楽室へ向かう。
準備がある者は、それまでに済ませておくように」
「準備って、何持って行けばいいですか」
「各自が“お守りだと思うもの”なら何でも。
君なら、コロッケパンでもいいかもしれないね」
「コロッケパン、そんな万能アイテムじゃない」
思わず突っ込んだ僕を見て、クラスの何人かがクスッと笑った。
沼田先生は、その小さな笑いを確認してから、湯呑みをもう一口飲んだ。
「じゃ、解散。
──ああ、入間くん」
教室を出ようとした僕を、先生の声が呼び止めた。
「なにか、まだありますか」
「鏡を見るとき。
“自分がそこにいていいかどうか”を、ちゃんと考えるんだよ」
意味がわかるようで、わからない言葉。
でも、その言い方が妙に真剣で、冗談ではないことだけは伝わってきた。
「君は、場を“自分の家”にしてしまえる。
それは、便利な反面、危険でもある。
最初から全部を抱え込もうとしないこと。……いいね?」
「……努力します」
「うん、それで十分」
先生はそう言って笑った。
その笑い方が、どこか僕の“記憶の隙間”をくすぐる。
誰か、大人の男が笑っていた記憶。
座敷のような部屋。
ちゃぶ台。
湯呑み。
昼間っからテレビを見て笑っていた、あの背中。
(……いや、思い出せない)
そこまで思いかけて、記憶はふっと霧に包まれた。
***
放課後、十七時。
窓の外がオレンジ色に染まり始めたころ、僕たちは再び倉庫の奥の教室に集まった。
雪白は、いつもより少し厚手のカーディガンを羽織っている。
犬塚はジャージに着替え、やる気満々だ。
水守はタブレットとペットボトルの水をいくつかカバンに詰め込んでいる。
猫屋敷は、どこからか持ってきた鈴付きの猫型キーホルダーをポケットに忍ばせていた。
からさかは、肩の傘をいつもよりしっかり握りしめている。
座敷原まひるは、ランドセルにお守りをぎゅうぎゅうに詰め込んで背負っていた。
「よし、それじゃあ」
沼田先生は、教室のドアを軽く叩いた。
「妖怪特別クラス、第一回任務――
霧ヶ丘高校・音楽室合わせ鏡の調査、開始」
僕たちは、ぞろぞろと廊下に出た。
夕方の校舎は、昼間と違う顔をしている。
人気のない廊下。
閉ざされた教室。
蛍光灯の光が、どこか心許ない。
特別クラスの一行が音楽室の前で足を止めたとき、
校内放送が一瞬だけ、ぶつりと途切れた気がした。
「……聞こえる?」
雪白が、小さく眉をひそめる。
耳を澄ますと、確かに聞こえた。
──誰もいないはずのその部屋から。
ゆっくりと鍵盤をなぞるような、ピアノの音。
そして、それに合わせるように、
鏡の向こう側から、何かがこちらを覗く気配。
「入間くん」
猫屋敷が、横で尻尾をぴたりと止めた。
「最初の一歩目、君が踏んでね」
音楽室の扉の前で、僕は息を飲んだ。
ドアの向こうには、
ただの学校行事用のグランドピアノと、
ただの練習用の姿見があるはずだ。
──はずなのに。
ノブに触れた指先に、微かな冷たさがまとわりつく。
それは、昨日水底で感じた冷たさと、どこか似ていた。
(ここも、“誰の場所にするか”って話なんだろうな)
だったら、答えは決まっている。
「……行くよ」
小さく呟いて、僕はノブを回した。
キィ、と、古い金属の軋む音が、やけに大きく響いた。
開いた隙間から漏れてきたのは――
誰もいないはずの音楽室で、
鏡の中の誰かが弾いているピアノの旋律だった。
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます