第6話
義賊(よたか)の情報と火盗改(おに)の遭遇
夜。
蕎麦屋「喜助そば」の暖簾が仕舞われ、江戸の町が寝静まる頃、一人の男が闇に溶けた。
喜助(きすけ)。
いや――義賊「夜鷹(よたか)」
彼は、昼間の公事師(リベラ)とのやり取りを反芻(はんすう)していた。
(……ちっ。とんだ藪蛇(やぶへび)だ)
喜助は知っていた。手代・庄助が冤罪であることなど、火を見るより明らかだ。
なぜなら、あの日あの時、越後屋の蔵に忍び込んでいたのは、他の誰でもない、この俺だったのだから。
越後屋は、表向きは堅実な呉服商だが、裏では貧しい者相手に法外な金利で金を貸し付け、米を買い占め、私腹を肥やす「悪党」だった。
夜鷹(喜助)の目的は、その証拠である「裏帳簿」と、蔵に溜め込まれた「小判」だった。
(まさか、火事になるとはな……)
あの日、彼は首尾よく裏帳簿を手に入れ、千両箱の一つに手をかけた、まさにその時。
蔵の外から、火の手が上がったのだ。
慌てて脱出した際、追っ手の目をくらますために用意していた煙玉(えんだま)のいくつかが、予期せぬ高熱で発火してしまった。
(……あのくノ一崩れ(早乙女蘭)が嗅ぎつけた『匂い』は、それか)
越後屋を燃やしたのは俺じゃない。
だが、俺は現場(そこ)にいた。
そして、火事の原因が、庄助への「濡れ衣」を着せるための、越後屋自身の「口封じ」か、あるいは別の「第三者」によるものだと、喜助は直感していた。
「(あの公事師(リベラ)のお嬢様、厄介なところに目をつけやがった)」
リベラが欲しがっている「証拠」――庄助の無実を証明し、越後屋の悪事を暴く「裏帳簿」は、今、喜助の手の中にある。
だが、これを渡せば、自分が現場にいたこと、つまり「義賊・夜鷹」の正体に繋がるヒントを与えることになる。
喜助は、アジトにしている廃寺の屋根の上で、月を眺めながら思考を巡らせていた。
その時だった。
「――そこか! 夜鷹!」
闇を切り裂くような、鋭い怒声。
喜助が視線を向けると、月明かりを背負い、鬼の形相でこちらを睨みつける男が立っていた。
(……火盗改(オニ)!? なぜ、ここが……!)
堂羅デューラ。
彼は、蘭の「匂い」という僅かな糸口から、執念で夜鷹のアジト周辺を割り出し、部下と共に張り込んでいたのだ。
「問答無用! 神妙にお縄につけい!」
デューラが抜刀するよりも早く、喜助は動いた。
屋根を蹴り、江戸の闇へと飛び込む。
「逃がすか!」
デューラもまた、常人離れした跳躍で後を追う。
江戸の屋根瓦の上を、二つの影が疾走する。
追うデューラは、検察官としての理性をかなぐり捨て、ただ「悪」を捕らえるという執念に燃えていた。
追われる喜助は、忍びとしての技を駆使し、最小限の動きで距離を取る。
「(しつけえオニだ……!)」
喜助は、懐から撒菱(まきびし)を掴み、後方の屋根へと投げ捨てる。
「小細工を!」
デューラは、それを間一髪で躱(かわ)すが、わずかに体勢を崩す。
その一瞬の隙。
「(煙に巻くぜ……!)」
喜助は、火事場で発火したものと同じ「煙玉」を足元に叩きつけた。
ボッ! という音と共に、辺り一帯が濃い白煙に包まれる。
「ぐっ……! 待て、貴様!」
デューラが煙を振り払い、視界が晴れた時、そこにはもう夜鷹の姿はなかった。
「……逃げられたか」
デューラは、激しく肩で息をしながら、忌々しげに舌打ちした。
だが、その時。
彼の足元に、何かが落ちているのに気づいた。
煙玉の煙(すす)にまみれ、端が少し焦げた、和紙の束。
撒菱を避けた際に、喜助が(あるいはデューラ自身が)弾き飛ばしたものだろう。
デューラは、それを拾い上げる。
それは、明らかに帳簿の一部だった。
びっしりと書き込まれた米の売買記録と、法外な金利。
そして、その帳簿の表紙には、はっきりとこう書かれていた。
『越後屋 裏』
「……!」
デューラの脳裏に、佐藤の「違法捜査だ!」という怒声と、蘭の「冤罪かも」というささやきが蘇る。
「(夜鷹は……放火犯ではなかった?)
(こいつは、越後屋の『悪事』を盗み出していた……?
だとしたら、あの火事は……一体誰が?)」
デューラは、焦げた帳簿を強く握りしめた。
義賊「夜鷹」は逃したが、彼は今、庄助の「冤罪」と、この事件の「真の闇」に繋がる、あまりにも重い「証拠」を手にしてしまった。
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