劣化回復と蔑まれた俺、唯一気づいてくれた彼女と“世界修復”の真価に目覚める

桐谷アキラ

第1話 治り方がおかしい――凛が見た小さな異変

 ――俺の「回復」は、遅すぎる。


 異能者育成を目的とした国家機関――対特殊事案庁・少年局。

 その訓練校の模擬戦フィールドの片隅で、七尾悠斗は汗まみれの手のひらを、倒れた隊員の傷口に押し当てていた。


「い、痛っ……! まだ終わんないのかよ、七尾……っ」

「ご、ごめん……もうちょっとで、もうちょっとで塞がるから……!」


 じわり、と掌の下で熱が広がっていく。

 皮膚がゆっくりと編み直され、肉が繋がり、ちりちりとした生理的な反応が指先に伝わる。

 悠斗はひとつひとつ、その“ほつれ”を拾うように意識を集中させていた。


――だが、それはあまりにも遅い。


 “異能戦闘員”を養成する少年局では、回復能力は最重要戦力の一つだ。

 骨折なら十秒、出血なら一瞬。そんな怪物みたいな回復持ちが珍しくない世界。


 にもかかわらず――

 悠斗は浅い裂傷ひとつ治すのに、一分、二分、三分とかかってしまう。


「そこまで! タイムオーバー!」


 体育館を改造した特別訓練場に、教官の怒鳴り声が響いた。

 電子掲示板のタイマーが、無情にも「03:00」を示して赤く点滅する。


 治しかけの傷が、まだうっすら赤い。


「七尾」


 歩み寄ってきたのは派遣教官の大隅だ。

 迷彩柄のジャージに筋肉の塊のような体格。

 その影が落ちた瞬間、悠斗の胸がきゅっと縮んだ。


「お前の“回復”は……やっぱり実戦じゃ使えないな」


「……はい」


 短い返事。

 喉が乾き、声が掠れていた。


「悪いことは言わない。前線は向いてない。

 救護班に回るか、登録だけして普通の高校に戻るか。真面目に考えてみた方がいい」


「……はい」


 二度目の返事は、ほとんど息の形で零れ落ちた。

 周囲では訓練を終えたクラスメイトたちが、好き勝手に囁き合っている。


「またタイムオーバーかよ」


「一応“回復系”なのに、あれじゃ足手まといでしょ」


「地味だし、エフェクトもショボいしな。光とか全然出てねーし」


 言葉のひとつひとつが胸に突き立つ。

 異能者の世界は、残酷なくらい“結果”で評価される。

 努力や誠意では覆い隠せない現実が、悠斗を押し潰していた。


 能力が発現した日のことを思い出す。

 クラスは「すげえ!」「チートじゃん!」と大騒ぎした。

 まさか、こんな微妙性能だとは誰も知らなかった。


 もちろん、悠斗自身も。


 大隅教官はため息をひとつ吐いて、倒れている隊員をひょいっと片手で抱え上げると、別の回復役のところへ運んでいった。


「はーい、はい、終わり。次の人どーぞ」


「さすが早川〜。安定の秒ヒール」


 少女が掌をかざすと、傷口は一瞬で閉じ、周囲からは称賛の声が湧く。

 笑い声と、ホワイトボードに書かれていく「評価S」の文字。

 その横で、「七尾 評価C−」の文字だけが、やけに太く見えた。


(……知ってるよ)


 悠斗は自嘲気味に唇を噛んだ。


 ──俺の「回復」が、劣化版だってことくらい。


 その現実は、誰よりも自分が一番よく理解していた。


***


 訓練終了後。

 体育館から伸びる廊下を、重たい足取りで歩いていると、後ろから軽い声が飛んできた。


「ねえ、七尾くん。今日も、頑張ってたね」


 悠斗が振り返ると――氷室凛が、夕陽を背に立っていた。


 銀色のショートヘアを無造作に結び、涼しげな瞳でこちらを見つめる少女。

 少年局一年の中でもトップクラスの戦闘能力者で、異能は〈氷結制御〉。模擬戦では氷の華を咲かせるように前線を駆ける、みんなの憧れの存在だ。


「あ、氷室」


「“凛”でいいって言ってるじゃん。同級生なんだから」


 にこっと笑って、彼女は悠斗の隣に並んで歩き出した。

 廊下の窓から差し込む夕陽の光を反射して、彼女の銀髪がうっすらと青く光る。


「さっきの訓練、私、後ろから見てたんだよ」


「……だろうね。結構、みんな見てたし」


「うん。あんな派手にタイム表示されたら、そりゃ目立つよね」


 さらっと言うあたり、この子はわりと辛辣だ。

 だけど、不思議と嫌じゃない。遠回しに慰められるよりは、ずっといい。


「ごめんね、慰めたいわけじゃないの。むしろ逆でさ」


「逆?」


 凛は立ち止まり、くるりとこちらを向いた。

 その真っ直ぐな視線が悠斗の胸を刺した。


「七尾くんの“回復”、やっぱり変だよ」


(……またか。劣化の話だろう)


 悠斗はうつむきかけた。


「……変、って。劣化ってことなら、もう聞き飽きてるけど」


「そうじゃなくて」


 凛は言葉を探すように、自分の腕を指でつつく。


「この前さ、私、模擬戦で思いっきり肩を切られたでしょ?」


「……ああ。朝陽先輩の爆破、かすってたやつ」


「そう。それで、救護テントで七尾くんが治してくれたじゃない」


 忘れるわけがない。

 あのときも、三分かけてやっと傷を塞いだ。

 教官には渋い顔をされ、凛への申し訳なさに、まともに目も合わせられなかった。


「そのあとね、家でシャワー浴びたとき気づいたの」


「……何に?」


「傷跡が、なかったの」


 凛は肩を軽く叩いた。


「普通さ、あれだけ深く斬られたら多少は残るんだよ。でも、綺麗さっぱり」


「……そういう能力なんじゃないの? 回復って」


「違うよ。治り方が全然違うの」


 凛は空中に指先で線を描いた。


「他の子の回復って、“上から塗り固める”感じなんだよね。でも七尾くんのは……“前にあった形をなぞってる”感じ」


 前に、あった形。

 悠斗は思わず、自分の掌を見つめた。


「それにね。肩を治してもらったあと、私、ちょっとだけ体が軽くなった気がしたんだよね」


「気のせいじゃないの?」


「かもね。でも、たとえばさ」


 凛はポケットから銀色のペンダントトップを取り出した。

 中央にひびが入り、チェーンはちぎれている。


「さっきの模擬戦でね、ちょっと壊れちゃって」


 彼女は、いたずらっぽく笑った。


「七尾くん。これ、“回復”してみてよ」


「……いや、それは……」


 戸惑う悠斗の手首を、凛がぐいっと掴む。

 冷たい指先が、汗ばんだ肌に触れ、びくりと肩が跳ねた。


「大丈夫、大丈夫。もし無理でも、私が瞬間的に凍らせて形だけは保ってあげるから」


「そういう問題……?」


 ひびの入ったペンダント、金属の冷たさ。

 そこへ自分の能力を流し込むイメージを――悠斗は無意識に拒んだ。


 これは“傷”じゃない。

 生き物じゃない。


 ——俺の力は“回復”。怪我を治すためのもので、壊れたアクセサリーなんて……


「……やっぱり、無理だって」


「そっか。でもね、やってみないとわかんないと思うけど」


 凛は一歩下がり、夕陽にペンダントをかざした。

 ひびが赤く光り、どこか物悲しい輝きを放つ。


「私、けっこう勘がいいんだよ」


 軽い口調なのに、その瞳だけは真剣だった。


「七尾くんの“回復”、たぶん……“傷を治す”だけじゃない」


「…………」


「“壊れる前”に、戻してる」


 その言葉が胸の奥で弾けた瞬間。


 ——俺の中で、何かが、カチリと音を立てた気がした。


***


 その夜。

 自室のベッドに横になった悠斗は、薄暗い天井を見つめたまま、ずっと掌を見つめていた。


(“壊れる前”に、戻してる……?)


 言葉にすると、妙にしっくりくる。

 今まで治療してきた仲間たちの顔が、次々と頭に浮かぶ。


 切り傷、打撲、裂傷。

 どれも、跡が残らないと言われてきた。


 「さすが回復持ちだな」と言われるたび、胸の奥がチクリとした。

 あれは誇らしさじゃなく、劣等感をごまかす痛みだった。


(でも、もしそれが本当に、“元どおり”なんかじゃなくて——)


 視界の端に、机の上の古いペン立てが映る。

 中学生の頃から使っている、少しガタのきたやつ。

 側面には落としたときについた小さなひび。


 悠斗はベッドを降り、ペン立てを手に取った。


「……バカみたいだな」


 自嘲気味に笑いながらも、掌を当てる。

 訓練場で何度も繰り返した動作。  

 怪我をした仲間にやったのと同じように、ひびの部分を意識する。


 じわりと掌が熱を帯びる気がした。


 錯覚かもしれない。

 何も起こらないかもしれない。

 でも——もしも。


(俺の能力が、本当は“回復”なんかじゃないとしたら)


 凛の言葉が、耳の奥で何度もリフレインする。


『七尾くんの“回復”、たぶん……“壊れる前”に、戻してる』


 その意味はまだわからない。

 でも、確かに心が揺れている。


 その夜、悠斗はひび割れたペン立てを握りしめたまま眠りについた。


 ――そしてこの小さな違和感が、

 のちに“壊れた世界を何度でも作り直す力”の始まりになることを、

 このときの悠斗はまだ知らなかった。

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