第7話
表ソフトのみを装備した僕の日本式ペンと、表ソフトに加えて粒高を装備した大井さんの反転式ペン。この対戦、裏ソフトが一枚も存在しないことになる。その為、お互いに裏ソフトが出来るような強力な回転をかけることができない。ボールの回転が力大きな決め手になり得ない純粋な打ち合い…そして打ち合って行くうちにボールは無回転の性質が強まって行くだろう。粒高で打てばボールの無回転化は更に早まる。無回転は飛距離が短いほど撃った時に飛びやすく、飛距離が長い時に打つと飛距離が伸びづらくなるという特徴がある。その繊細な無回転の感覚を制したものがこのような対決を制する。ただ、一応表ソフトでカットなど強い回転をかけるような打ち方をすればボールの無回転化をある程度戻すことができるだろう。そんな時間稼ぎの労力に見合うような戦い方があればの話だけど。僕なら回転を戻して時間稼ぎをする前に積極的に攻めの姿勢を取る。無回転の気まぐれに裏切られるリスクは背負うことになるけど、一応卓球の長い経験がある。頃合いのボールくらい見分けられる。
でも、大井さんの方も伊達に表ソフトと粒高という両面異質ラバーのラケットを扱ってはいない。無回転の性質のことは教えてあることもあって、無回転のボールでもどうにか適応して打ち返してきている。いや、適応というより打ち返すだけで精一杯というところかな。彼女の返球には粗が見られる。そこに僕の隙あらば攻撃の勢いに対応しきれず、失点を繰り返している。そうして気が付けば1セットが終わっていた。2セット目に至っては11−0<ラブゲーム>だ。
卓球の試合は5セット方式。どんなに点数差があっても3セット勝たなければ試合は終わらない。とは言え、このまま続けても単調な試合になるし何より大井さんは既に戦意を喪失しているように思えた。途中から自滅に近い失点が後を経たない。そこで、特別に大井さんの代わりに野石さんが代わりに試合を続けることになった。
野石さんは大井さんの両面異質ラバーとは正反対の両面裏ソフトだ。一応試合中である以上、こちらにラケットの変更は無い。無回転が試合を支配する環境から一変して、強い回転への対処が必要になる。でも、本気を出した僕には大した問題ではない。むしろ裏ソフトが無い試合の方が稀だし。3セット目序盤はネットスレスレにボールを返す。熟練した者であればそんな位置からでもスマッシュを打ってくるものだけど、野石さんはまだそこまでできる程ではない。実際野石さんはスマッシュを試みてもボールはネットを越えられなかった。大井さんの時とは一転して守備寄りにシフトし、ミスを誘う。前にこういうストップ系のボールを拾おうとしてラバーを捲った経験のある野石さんにこういうことをするのは少し気が進まないけど、今回はお構いなしだ。それに今は保護テープもある。これ野石さんはそんな状況から脱却しようと思ったのか返球が沈みやすい下回転を極力使わない戦術に移行した。でも、それこそ高度な作戦が無ければただスマッシュされるリスクを上げるだけだ。少なくとも現状よりマシになれば良いや程度の考えでやることではない。野石さんの試みは大して効果が無いまま3セット目が終了した。積極的にボールをコート外に飛ばそうとすればまだ勝機はあったかもしれないけど、それに対応できない僕ではない。
2人とも順調に成長しているものの、まだまだ伸び代は大きい。と言った所だろうか。それどころか、まだ卓球を始めて数ヶ月しか経っていないと言うことを考えればここまで出来れば上出来だろうか。特にここの卓球部は部員の気分次第ではやらない日もあるくらいだし。むしろ毎日部活しない分、高いモチベーションが維持されてるまであるのかもしれない。ガチ勢でもなければストイックな環境でモチベーションは維持できないだろう。実際、大井さんだって試合が終わった頃には目に光が戻ってる気がする。というか少しの間興奮しながら褒め立てられまくった。あまり体験したことのない事に僕は少したじろいでいた。そんなに強ければ大会に出ても良い線行くんじゃないかとも言われたけど、僕には大会に出たいという気持ちは無い。ということを言うと例によって受験の話にシフトしていく。そんなやり取りが落ち着いたところで野石さんが口を開く。
「私たちと模擬戦していても、物足りないんじゃないの?」
別にそんなことはない。別に強くなりたいわけでも無いし。僕はただ、卓球で遊ぶことさえ出来ればそれで十分だ。一応受験勉強のこともあるし。それに、ここまで本気を出すことができたのはこの卓球部の環境のおかげでもある。別の環境だったらこうは行かなかっただろう。そう思うと、僕って…つくづく弱い人間なんだと思わされる。こうやって笑っちゃうくらい都合が良くならないと実力を出すことはできないんだから。
本当に久々に全力で卓球したからなのかどうにも気分が高揚している。僕はこれまでのことを2人に打ち明けていた。雑魚狩りで気分が良くなるなんて最低じゃないかと感じつつ。幼い頃に卓球にハマったこと、中学の卓球部で弾圧を受けてきたこと、卓球に愛想を尽かしていたこと。そして今、卓球に対する情熱を取り戻しつつあること。一通り話し終わるまで、2人は何を言うでも無く黙って聴いていた。しばらくすると、大井さんが口を開いた。
「ねえ、今度遠征しようよ。」
…遠征?他校の部活動と合同練習でもするのだろうか?そう思っていた。意図はどうであれ。だけれど、気がついたら僕は新幹線の座席に乗っていた。まさか修学旅行より前に新幹線に乗り込むなんて思いもしなかった。
冬休みも初日、雪景色も見えなくなった辺りで大井さんが今回の事を思いついた経緯を訊くことにした。運賃なんて1万は裕に超える。到底高校生にどうにかできる額ではない。それを3人分大井さんが支払っているんだ、そんな大金を肩代わりされて平気でいるなんて無理だろう。大井さんが言うには、帰省を兼ねて皆で首都圏で遊ぼうと思ったのだそう。
帰省?確か、野石さんは寮で暮らしているとは聞いていたけど、大井さんもなんだ。しかもそんな遠くから…。そんな北方の学校にわざわざ進学するなんて、スキーやるために行く以外に聞いたことがないぞ…。偏差値的な面を考えるにしても、田舎より都会の方が優れている学校が揃っているだろう。田舎の高校だと定員割れを起こしている所だって珍しくない。今僕らが通ってる高校だってそうだ。ともかく、そんな遠くから行き来するのであれば高額な交通費にも目を瞑れる…のか?
いや色々置いとくにしても、なんでそんな遠くの高校を選んだんだ?そこはその時が来たら話すつもりのようだ。大井さんも野石さんレベルの複雑な問題を抱えているんだろうか。それよりも今回の遠征の一番の目的は僕だと大井さんは踏み込んで来た。部活に一番貢献してくれて勉強も頑張っているのに、私たちだけ楽しているわけにはいかないと。自分にできるやり方で恩返ししようと思ったのだと。恩返しも何も、自分なりにエンジョイしていただけなんだけどな。なんなら、そんなエンジョイをさせてくれた2人にこちらが感謝したいくらいだ。すると、大井さんはこう反論した。
「まだ、あの時のツケが残ってるじゃん?あの約束、今回の旅費でチャラってことで良いよね?」
もう、言い争いはそこまでにしておくことにした。もう首都圏に入っている以上、険悪な空気のまま遊んでも楽しくないだろうし。もう自分自身、あんなのはもうどうでも良いと思ってたのに、義理堅いものだ。
今回の遠征は3泊4日の予定。ただし、具体的に何処に連れて行かれるのかは聞いていない。念の為、卓球道具を持っていく必要があるかは予め訊いていたけど、その必要は無いとのことだった。ともなれば、遠征とは名ばかりの旅行とか帰省になるんだろう。勿論具体的な目的地教えてもらおうと思ったのだけど、考えてないと突き返された。
そうして駅を降りたのは東京都…ではなく神奈川県。正直、東京も神奈川も都市の規模からして大差無いように思える。首都圏はこうだから施設名に東京とかついていても東京じゃない所に存在する施設とかあるんだろうなあ。そんな事を思いながら大井さんの後をついて行くと、巨大なマンション前まで来た。野石さんと顔を見合わせていると、画面付きインターホンで大井さんが何やら話終わり、扉が開いた。大井さんに促されて入るとそこは、あからさまに上品というか、住居にしては手が混みすぎてる。エレベーターに入ると、大井さんは躊躇わずに最上階付近の階のボタンを押した。
…うん。もう大井さんの実家がどういう所なのか察しがついた。野石さんも同じようで、お互い強張った顔になっていた。
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