第5話 とりあえず三角関係が始まった


放課後。

夕日の光が校舎の窓ガラスに反射し、

長い影が廊下に伸びる時間帯。


俺――春海ユウトは、

千堂ユイに案内されて美術室へ入った。


静かな部屋だった。

窓から入る橙色の光が、イーゼルや絵具の並ぶ机を柔らかく照らしている。

油絵の具の匂いがほんのり漂って、

美術部らしい落ち着いた空気があった。


そんな中、

ユイさんは筆を持ちながら俺の方を見て、

ふわりと微笑んだ。


その笑みは、

星野アカリの“太陽みたいな笑顔”とはまったく違う。

静かで、優しくて、

心がそっと包み込まれるような微笑みだった。


「春海くんって、優しいね」


穏やかな声で、

まるで事実を確認するように言ってくる。


「え、いや……そんなことは……」


「ううん。あるよ。

こんな急なお願いでも断らないし……

雑用でも嫌がらずにやってくれるし……

気遣いもできるし……」


そして。


「だからね。

春海くんって、優しいから……好き。

……友達として、ね?」


“友達として”という言葉のあとに、

かすかに付け足されたような小さな声が聞こえた。


――“今は”……?


空耳かもしれない。

けれど、

ほんの少し照れたように目をそらすユイさんを見ていると、

その予感が現実味を帯びる。


心臓が、ドクン……と跳ねた。


ポスター制作を終えた頃には、外はすっかり夕暮れ。

ユイさんにお礼を言って美術室を出ると、

校舎の影が伸びる校門の前に――


アカリがいた。


腕を組んで、

ぶっすーっとした顔で。


そして俺を見るなり、


「ふーん」


ふーん、ってなんだ。


「千堂さんと、何してたの?」


声が冷静そうに聞こえるのに、

目だけが不満でいっぱいになっている。


「いや、えっと……

部活のポスターの手伝い……のはず」


「そっか。

……楽しそうだったね」


「え、いやそんなこと――」


最後まで言い切る前に、

アカリはぷいっと顔をそらした。


あ、これ絶対ちょっと拗ねてるやつだ。

わかりやすっ……いや、かわいいけど。


歩き出すと、

アカリは俺の横でちょこちょこついてきながら、

口を尖らせて言う。


「ねぇ、春海くん」


「な、なに?」


「……私のこと、どう思ってるの?」


足が止まりかけた。


心臓が一瞬、本当に止まったと思った。

息も吸えなくなる。

喉がひゅっと詰まる。


アカリは、

わざとらしく誤魔化すわけでもなく、

だけど真剣すぎるわけでもなく、

その“ちょうど間”みたいな顔で俺を見ていた。


答えようとした瞬間――


「なんてね!」


アカリは急に明るい笑顔を見せて、

俺の顔を覗き込む。


「とりあえず今日も一緒に帰ろ!」


本気なのか

冗談なのか

探りなのか

無自覚なのか


まったく分からない。


でも。


わざとじゃなくても、

冗談でも、

本気でも。


どんな理由であっても――


俺の心臓は反応してしまう。


ドクン、ドクン、と。


しばらく歩いても、

アカリはなんでもない風を装って喋っていたが、

視線だけは時々こっそり俺を見上げていた。


そのたびに、

胸の奥がむずむずして、

呼吸が整わない。


そして今日の出来事を総合してみると――

どう考えても、

俺を中心に“なにか”が動き出している。


アカリ。

ユイ。


どちらも善意で、

どちらもいい子で、

どちらも俺と距離が近い。


――これ、もしや……


三角関係というやつでは?


「ねぇ春海くん、また黙ってる。

考えごと?」


横を見ると、アカリが笑っている。

その笑顔の奥にある“何か”は、

まだうまく読めない。


けれどひとつだけ確かなのは――


俺の高校生活、

ここから先ぜったいカオスになる。


避けようと思っても、もう遅い気がしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る