〜第1章:Smithers-Jones〜

本社で入社式を済ませた我々は、三ヶ月にも及ぶ新入社員研修に備え、都内のビジネスホテルに詰め込まれた。

同期入社は確か五十名強で、バブル景気を前にいまだ低迷する企業の中では、比較的多い方だった。

研修施設を持たない外資系企業なので、我々は都内各所のホテルを点々としたが、東京を知らない僕にとってはかえって好都合だった。


一週間のオリエンテーションを終え、本格的なMR研修が始まる。

理系頭の僕にとって、人体の仕組みや薬物動態などの専門的な知識は難なく習得するが、法学部出身のくせに薬事法規だけはどうにも苦手だ。

そして、前年上市されたばかりの「夢の抗潰瘍薬」の斬新で詳細な製品情報を、我々はみっちりと叩き込まれた。


毎日八時間以上の講習をこなし、ビジネスホテルでの夕食を済ませると、気の合った同期たちと酌み交わす酒は格別に美味い。

また、中途採用の老練な先輩たちと、毎晩遅くまで麻雀に興じ、給料を巻き上げられたことも今となっては懐かしい。

翌朝には、眠い目をこすりながら講習に臨み、また同じ夜の繰り返しだった。


そんな刺激的な日々は流れ、現場に配属される日も刻々と迫ってくる。

我々に提示された配属先は、関東、京阪神、そして名古屋を中心とする新設の中部エリアだった。

会社側は、我々の希望を可能な限り尊重する意向だが、当然ながら関東エリアに人気が集中した。

僕は、無責任な両親と決別し、学生時代の苦い思い出から逃れるように、中部エリアのパイオニアとなることを選んだ。


1983年7月初日、僕は新しく設立された名古屋支店の会議室にいた。

僕は、岡崎市を中心とする三河地区を一人で担当することになった。

早速その日のうちに、上司は僕を親会社の岡崎出張所に連れて行く。


岡崎出張所は、我々の寮がある名古屋市内から離れているため、宿泊出張扱いだった。

他の同期たちと離れ、僕はたった一人で岡崎出張所に赴き、夜は古びた旅館で過ごす。

ただ、その安い宿泊料金とは裏腹に、旅館での朝食は豪勢だった。

当時の宿泊日当を考えると、給料がほとんど手付かずで残ることが嬉しい。


   ♫ Did you get the car you’ve been looking for?

僕は貯まった資金で、とうとう憧れの新車「ホンダ/アコード 2.0 Si」を手に入れる。


岡崎出張所の先輩たちは、まるで同じ会社の一員のように分け隔てなく僕を可愛がってくれた。

彼らは、道修町の薬屋根性を僕に叩き込み、それが後々まで僕の精神的な支えとなる。

売れて当たり前の「夢の抗潰瘍薬」のみならず、競合の激しい抗生物質や血液製剤の売り上げに貢献することで、僕は先輩たちの信頼を勝ち取った。


毎朝八時には医局に入り、温かいコーヒーを用意して先生方の出勤を待つ。

そして、最新の医薬品情報をお伝えし、その日の処方をお願いする。

夜は研修医室に入り浸り、同世代の先生たちとの世間話に花を咲かせた。

繰り返される日常が、さながらThe Jamの"Smithers-Jones"を彷彿させる。


私生活はというと、地味な大学生活の反動から、僕は自由奔放な日々を送った。

僕の愛車アコードは、あえて神戸ナンバーを取得した。

評判の悪い三河ナンバーに比べ、仕事先で知り合った女の子たちに、神戸ナンバーは人気だった。

僕は、彼女たちを誘っては、六甲の夜景や京都の大文字を見にドライブへ出掛ける休日を過ごした。

学生時代とは違って金銭的な余裕も生まれ、僕は虚しいながらも遅すぎた青春を謳歌している。


卒後二、三年も過ぎると、ぼちぼち結婚式への招待状が届くようになる。

僕は、彼らへのご祝儀を工面するため、自堕落な生活の節制を強いられた。


五年目の春、僕は静岡出張所へ異動となる。

三河地区での業績が評価され、浜松の大学病院担当者として赴任することになった。

そして最大のミッションは、初代責任者として浜松分室を立ち上げることだった。


そんな折、姉からも招待状が届く。

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