【ファーストレコード】消失の誕生

 2722年の東京は人にあふれていた。

 武宮玄が生きている2843年では、円盤のロボットで埋め尽くされていた。ほとんどの住宅は鉄の塊のように真四角で、木造建築はほとんどない。

 しかし、2731年の朧忍の時代は巡回するAIロボットの数も半数以下であり、木造建築と鉄製住宅が入り混じる発展途上国のような景観だったのだ。

 


 東京は人でごった返している。

 そんな東京の一角にある小さな一軒家に朧忍は住んでいた。

 忍びの一族は漫画のキャラクターのように隠れ里に住んでいるわけでもなければ、特別な拠点があるわけでもない。

 木を隠すなら森の中。灯台下暗し。スパイが一般市民に紛れて生活するように、忍びもまた一般市民に紛れて生活していた。朧忍が通う予定だった忍者学校も世間から隠れているわけではない。むしろどこにでもある公立高校であり、一般公開されてる。街中にあふれる極々平凡な高校である。

 ひとつおかしなところは、なぜか毎年一クラスだけ、スポーツ推薦組でもないのに異様に身体能力が優れたものが集まることだろう。客観的には偶然としか言いようがないが、それもそのはず、忍者の末裔だけを集めているクラスだったのだ。

 そうやって、忍びは擬態する。


 とはいえ、朧忍には関係のない話だった。

 忍びの仕事は大方三つに分類される。

 ターゲットの暗殺。

 諜報活動。

 密かな護衛任務

 どれも朧忍には関係のない。

 なぜなら朧一族には使命がある。

 英雄石を守るという使命だ。

 それ以上に勝るものはないからだ。


 ――――運命の日。


 自室の扉があけられる。


「ねえね。お人形さん。破けちゃった」


 小さな女の子が薄暗い部屋に入ってきた。

 愛らしい顔に、愛らしい瞳、朧忍によく似た顔つきをしている。

 御年4歳。年の離れた妹だった。


 名前を朧月夜という。

 朧な月のような瞳をしていた。それが名づけの理由らしい。

 月夜は忍に懐いていた。甘えん坊さんだったのだ。朧忍と祖母のふたりで面倒を見ていたからだ。

 どうしてかといえば、両親は月夜が物心つく前に他界している。なにやら渡航べつな諜報任務で殺されてしまったらしい。だから朧忍にとっての家族は祖母と妹のふたりだけだった。良く面倒を見ていたら懐いたのだ。


 彼女はゲームをしている朧忍の袖を引っ張って甘えてくる。「ねえね、ねえね。お人形さん」と泣きそうな顔で助けを求めている。

 彼女の手にある人形は破けている。彼女は夜にお人形さんを抱っこしている。寝ている間に負荷がかかったのかもしれない。

 忍は仕方ないな、とゲームを即座に中断して、「……貸して」と彼女の人形を預かった。


「兎さんをお願い」


 彼女から兎のぬいぐるみを受け取ると、破け方を確認する。少し兎の耳周りの布が破れた程度だ。大きく破損しているように見えるのは綿毛がでているからだ。

このくらいなら糸と針だけで問題ないだろう。彼女は引き出しからミニチュアサイズの裁縫セットを取り出した。玉手箱のような小さな箱でそのなかには糸と針だけのシンプルな裁縫道具が入っている。左手に針。右手に糸。細い針穴に糸を通して準備する。左目をつぶって右目だけで狙いを定め、人形の綿毛が飛び出た部分を手際よく縫っていく。


 朧忍は生粋のゲーマーである。だというのに、どうして、好きなゲームよりも妹を優先するのか。


 朧忍は妹が大好きだった。

 年下で甘え上手なところが好きだった。

ねえね、ねえね、と呼んでくれる妹が愛らしかった。

裁縫だって妹のためにネットで勉強をして覚えたのだ。ぬいぐるみは朧忍の自作だった。

 冬前にもこもこのセーターを編んであげたときは、飛び跳ねて喜んでくれた。そんな妹が愛らしくて、大好きで、大切にしたかった。

 月夜には幸せになってほしい。


 だから、苦しむのは朧忍だけでいい。


(……私が、守るよ。英雄石は)


 兎の耳を縫いながら使命を反芻する。

 朧忍の家の下には英雄石と呼ばれる”六色”の石が眠っている。その石のなかには英雄としての力が封じ込められていて、その石を手にした人間は英雄としての力を振るえるらしい。


 英雄石の伝承は6つある。

 赤色の英雄石は、パワーが手に入る。

 緑色の英雄石は、知識が手に入る。

 青色の英雄石は、戦技が手に入る。

 紫色の英雄石は、統率力が手に入る。

 金色の英雄石は、思考力が手に入る。

 白色の英雄石は、すべての力が手に入る。


 英雄石は100年に一度くらい生まれる。噂は色々あった。異世界からやってきた賢者の石だとか、英雄の素質を持った人間が石のなかに閉じこめられているとか。眉唾物の噂から現実的な噂までさまざまだ。


 朧忍は鼻で笑う。そんなことはどうでもよかった。

 朧一族にとって重要なのはそこじゃないからだ。

英雄石を悪用する人間がいるということだ。英雄石を使った大規模テロや英雄石を使った国家転覆は実際にあった事件の数々である。


 悪人の手に渡らないように、新たに生まれた英雄石を回収、守ることが500年続く朧一族の使命だった。


 忍は小さく笑った。

 ぬいぐるみの修復が終わったのだ。


「月夜。こんな感じで良い?」


 ぬいぐるみを受け取ると月夜はにこっと笑った。


「ありがとう。ねえね」


 愛する妹に、朧一族の重い責務を背負わせてなるものか。

 だから朧忍が背負うのだ。

 朧忍は愛おしい妹の頭をなでた。まるで大切な宝物を確認するように、妹のおでこをなでる


「ねえね? どうしたの?」


「…………大丈夫だよ。月夜はねえねがちゃんと守るから」


「うん! ねえね大好き!」


 月夜は飛びつくようにして抱き着いてくる。

 忍は抱きしめ返した。

 姉妹は抱擁する。

 妹には自由な道を選ばせてあげたい。

 妹には過酷な戦いを経験させたくない。

 だから忍が英雄石の責務を背負うのだ。

 忍びにならない。忍びになれば家にいられない時間ができるからだ。守護者は朧忍ひとりでいい。

 月夜は普通の女の子として成長してほしかった。

 好きな道に進んで、好きな人と結婚して、好きなように生きて幸せになってくれればそれでいい。

 大切な友達をつくって、コミュニケーション能力を育むのだ。

コミュ障で出来損ないの引きこもりな姉に、結婚相手を自慢げに見せてほしい。

 いつか「ねえね」じゃなくて、「姉さん」なんて呼んじゃったりして、いい加減外に出て働きなさいよと説教をされながらも楽しく食卓を囲むのだ。

 妹の成長を見届ける。


――――儚き願い。


 すべてはその日に破綻した。

 朧忍は言葉を失っている。


「もう一人いたのか。そいつは計算外だなあ」


 そいつは蛇のような目をしていた。髪はロングヘアーで、肩くらいまである。どこか胡散臭い奇術師のようなシルクハットの男だ。杖を肩に乗せて、首を右に、左に、動かした。黒いマジシャンである。

 悪魔のようにケタケタと笑っていた。


「私が一瞬で殺してしまいましたよ。目の前で殺してあげればよかったかねえ」


 忍の視界は点滅した。

 チカチカと点灯と消灯を繰り返し、壊れたフィルムのように世界のノイズが走るのだ。

 どうしてだ。朧忍の脳は理解を拒む。

 これは夢だ。

 夢に違いない。


 だってそうだろう?


 朧月夜だったはずのそれは首と肉体が切り離されている。妹の首だけが千切れて地面に転がって、血が零れ落ちている。

 祖母だったはずのそれは胴体と下半身が真っ二つになって床に転がり落ちている。


 大切な家族が肉塊に変容し、和室の畳を赤色に染め上げている。

 英雄石の様子を見に行って、戻ってくるあいだのことだった。

 家の中でその惨劇が広がっていたのだ。助けを求める声も、泣き叫ぶ声も聞こえなかった。英雄石は地下に保管してあるから声が届かなかったのだろう。

 そんなことあっていいわけがない。

 視界の焦点を無理やりに合わせる。

 月夜の亡骸が転がっている。

 祖母の亡骸が転がっている。


「あ、ああああああああああああああああ」


 朧忍はようやく現実を認識して、絶叫した。

 朧忍の家族はたった一人の男に殺されたのだ。

 すべては血の海に沈み、彼女の心を黒く染めていく。

 そいつは名乗る。


「どうもどうも、ご機嫌よう。私の名前は蛇神信介だ」


 そいつの名前はかすれたように聞こえる。

 無機質な声で続ける。


「英雄石をもらいに来ました。どうぞよろしく」


 英雄石のせいで、妹は、祖母は、殺された。

 瞬間。

 朧忍が壊れて歪む、

 彼女が見ていた世界がねじ曲がる。


「どうしました。急に立ち上がって。ショーはこれからですよ? じっとしていてくださいね。一瞬で殺してあげますから」


 思考を蝕むようなどす黒い憎悪なのか。

 涙を乾かすほどの燃えるような激怒なのか。

 感情の波が暴走し、世界の全てを書き換える。

 朧忍の目は死んだ。

 がちゃん、という音がした。

 自分の脳のなかで音がした。自分の中にかけていたリミッターが外れる音だ。


 彼女のなかに流れ込んでくるのは、幼いころの祖母との会話だ。


『忍よ』


『………どうしたの。ばあば』


『お主のその異能力。使うんじゃないぞ』


『どうして?』


『そりゃ決まっとるじゃろう』


 老婆は言った。


『その異能力は危険すぎるからじゃ』


 その制約は打ち砕かれる。

 狭い箱にしまっていた朧忍の異能力は解き放たれる。抑え込んでいた蓋が開かれたのだ。

 朧忍はクナイ上に投げた。

 そのクナイそのものは攻撃ではない。技のトリガーだった。

 彼女の姿が消える。

 異能力ではなく縮地。


 上にクナイを投げ視線を誘導して、体を沈め気配を殺す。そうすることで、人間の焦点は上方のクナイに、朧忍の位置は下にくる。

視線を誘導し消えたように見せる古式武術のひとつである。


 その技術で距離を詰めた。

 朧忍が触れれば、それは必殺の一撃になる。全てを終わらせるべく、蛇の男に”触れた”のだ。


 異能発動の条件は満たした。


「……これで終わり」


 朧忍は無慈悲に彼を殺した。

 彼は”忘却”する。


「……私は、誰でしょう」


 何も覚えていないようだ。

 困惑した面持ちで頭を押さえている。


「なんだ! この死体は!」


 彼は戸惑っている。

 それもそのはず、男は記憶を失ったのだ。自分が誰かもわからない。自分が何をしていたのかもわからない。自分がどんな人間なのか。そんな記憶すらないのだ。

 絶対に許さないという黒い激情が、朧忍の目に宿る。

 彼に与えるべきは慈悲のない死だ。

 反省もさせないし、懺悔もさせない。勝ち誇らせもしない。

 走馬灯だって見せてやるものか。


 朧忍の目に宿る殺気が、蛇を飲み込む。

 無意味に無駄に、無残に死んでほしかった。

 朧忍は容赦なくその異能力――――『忘却』を使った。


「……私の異能力は任意の記憶を忘却させる。触れたら必勝必殺」


 触れた対象の記憶を消す。

 データを消す。情報を消す。

 ありとあらゆる記憶を任意に取り除く。

 それが朧忍の異能力『忘却』である。

 彼女は蛇の男に触れることで、記憶の全てを消したのだ。


「終わりにしよっか」


「オマエは一体!?」


 朧忍は一瞬の動揺を見逃さない。

 暗器のクナイを握り締めるように胸元から取り出す。


「……ばいばい」


 涙を流しながら、まるで壊れたマリオネットのようなうらついた動きで的確に蛇の頸動脈を裂いた。月夜はこうやって殺されたのだろうか。そんなことを思いながら、クナイを首筋にめり込ませたのだ。


 彼に反撃は許されない。

 記憶がないから反撃する術がないのだ。

 クナイは男の首を半分だけ斬りつけると、頸動脈から破裂したパイプのように血を吹き出してそのまま地面に倒れていく。

 血の海が広がる。

 それを冷めた目で見下しながら、鼻で笑った。


(……ggez)


 虚しかった。

 手ごたえのない男だったからだ。

 こんな人間に祖母は殺された。妹は殺されたのか。そう思うと頭がおかしくなりそうだった。どうしてこんな人間に大切な物を奪われたのか。


 朧忍はこの日に家族を失った。


 大切だったおばあちゃんも、愛らしかった妹も、13歳にしてすべてを失ったのだ。

まだ中学一年生にして、手のひらからすべてが零れ落ちた。

もし、これで蛇の男が逃亡していたら生きる道が見つかったのかもしれない。復讐をするために立ち上がる。朧忍という復讐者の物語がはじまったのかもしれない。生きる意味が見つかったのかもしれない

 たった一瞬で激情に駆られて復讐を完遂してしまう。


 朧忍には何もなくなってしまった。

 怒りもない。

 憎悪もない。

 家族もいない。

 残ったものは悲しみだけだ。

 朧忍は膝をついて泣いた。

 嗚咽を漏らし、咽び泣いた。


(……ごめんね。月夜)


 首がちぎれ、こと切れた妹の頭と体を抱き寄せる。

 冷たくなっていて、呼吸の音は聞こえない。ぐしゃぐしゃになった肉が、朧忍の体にこびりつく。愛らしい笑顔はもう見られない。

 姉としてなにができてあげたのだろうか。もっと彼女と一緒に遊べばよかった。もっと彼女との思い出がほしかった。


(ごめんね、婆や)


 祖母の亡骸をかき集める。

 何も恩返しできなかった。

 あまりにも無残な亡骸を、彼女は宝物のように抱き寄せる。


(ごめんね。私がもっとしっかりしてたら)


 朧忍は泣いた。

 事件は解決して、敵は倒して、それでも妹は取り戻せない。消えた命は蘇らないのだ。

 涙は止まない。

 絶望が心を満たし、悲しみが喉を震わせる。

 泣いて、喚いて、どうしてこんなことになったのか。

 自分自身に問いかける。。


――――私が、弱かったから?


 違うと思った。

 理不尽な死に強い弱いも関係ない。

 戦いで負けたわけではないからだ。


――――運が悪かったから?


 違うと思った。。

 この悲劇を運で済ませていいはずがないのだ。


――――『英雄石をもらいにきました』


 男の薄気味悪い笑顔が記憶の影に蘇る。

 奇術師の男が嘲笑う。

 朧忍はたどり着く。


――――英雄石なんてものがあるから。


 英雄石というものがなければ、彼は襲撃してこなかった。

 英雄石は最強の武器だ。

 誰もが喉から手が出るほど欲しい。

 英雄石を手に入れるために何人の朧一族が戦死したのだろうか。英雄石を守るためにどれだけの朧一族が犠牲を払ってきたのだろうか。英雄石の力でどのくらいの罪なき人が殺されたのだろうか。


 一瞬で英雄並みの力を手に入れられるその石は、まさしく神器そのものだった。

 そんなものがあるから、戦いが起こる。

 そんなものがあるから、月夜が死んだ。

 そんなものがあるから、祖父が死んだ。


――――私が、なくそう。英雄石を。


 朧忍は立ち上がる。

 すべてを消失させればいい。

 世界から忘却させればいい。

 二度とこんなことが起こらないように、英雄石を全人類の記憶から消し去るのだ。


 かくして世界に【消失】が生まれる。

 小さな少女の物語。

 記憶の暗殺者の物語。



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