vsサイコパス

 崔幸助はにんまりと笑った。


 目的地に着いたのだ。

 階段の下、ターゲットは地下にいるらしい。殺しやすくていいと思った。

 ついでに彼の家族を殺そうかとも思ったが、リスクが高いからやめろと赤毛のアンから連絡がきた。武宮玄の姿見が変化した理由が分からない以上、無駄な行動は任務失敗に直結しかねないからだ。


 音が鳴らずに、鉄の扉が開く。


 崔幸助は首を傾げた。

 その部屋は人の住む場所というには明らかにおんぼろであり、廃屋のようであった。


(随分ときたねえ場所だねえ。まるで豚小屋だ)


 机には蜘蛛の巣が生えている。

 ベッドの端にはカビが生えている。

 埃とカビの匂いが充満して、いるだけで気分が悪くなりそうだった。

 おおよそ人間の生きていけるような環境ではない。

 崔幸助はこの世界の常識に笑った。異能力ランクFの人間には人権がない。常に迫害されて生きている。

ランクで決まる世界の常識だった。


(こんな場所で飼われるくらいなら死んだほうがマシかな。俺ちゃんってば優しい!! 殺して苦しみから解放してあげられるんだからさ!)


 そう言って、彼はお気に入りのサバイバルナイフをポケットから音なしで取り出した。

 ベッドの上では体の大きな少年がすーすーと寝息を立てている。見た目は20くらいだが、歳は16らしい。なにをしたらこんな体になるのか興味がつきないか、これから死ぬ人間の裏事情を気にしても仕方がないだろう。

どうにも起きる様子はない。直感が鋭いタイプではなさそうだ。

 稀に消音という異能力をもって近づいたときに、目を覚ますやつがいる。勘が鋭いタイプだ。そういう手合いが相手だと暗殺が失敗する可能性もゼロではなかったが、彼はそういうカテゴリーには属さないらしい。


 ぺろりとナイフを一なめ。

 任務前、彼の儀式であった。


(さあ、始めようか)


 武宮玄を確実に殺すため、ナイフを当てずに動かして、頸動脈の位置を探す。

 崔幸助は人体医学に長けていた。筋肉の動きを読む。血流の動きを読む。

 人を一目見れば、斬り方がわかるのだ。

 彼はゆっくりと武宮玄の首元にナイフを当てる。


(このあたりが頸動脈かねえ?)


 おおよその位置を把握する。

 彼はその首元に頸動脈を幻視した。

 崔幸助は肩を竦める。


(んじゃまあ、アディオース)


 そうやってナイフを振り下ろす。

 すぱっとナイフが一閃を作る。

 ぷしゃああと音を立てて、血が噴き出す。

 武宮玄の頸動脈は切れて血が噴水のようになる――――はずだった。


「は?」


 ふと、崔幸助の口からそんな声が漏れる。

 ナイフは武宮玄の首を裂くことができなかった。

 まるで石をサバイバルナイフで叩いたときのように、傷がつかないのだ。切り傷ひとつ付いてない。


(な、なぜ? ナイフで斬れない? 俺ちゃんは夢を見てるのか)


 サバイバルナイフが小刻みに振動している。体の震えがナイフの先まで伝わって、逃げろという警鐘を鳴らしているようだ。


 彼の額にじんわりという汗が滲み、白い化粧が落ちてくる。

はあ、はあ、と過呼吸を起こしたかのように呼吸が荒くなる。

 崔幸助は生まれて初めて、本当の意味での異常事態に遭遇したからだ。


 殺人を行うとき、想定外なパターンはふたつある。


1、ターゲットに気がつかれる。

2、そもそもいなかった。


 そのどちらかである。


 崔幸助は素人じゃない。熟練の殺人鬼だ。殺人のプロだ。

 想定外は想定内だ。

 もしもの場合に備え、二手三手と仕込んである。ターゲットに気がつかれれば、即座に消音で離脱。β班に応援要請する。そもそもいなければ出直しをするだけだ。

 しかしながら、ナイフが通らないという異常事態は経験したことがなかった。物理法則を無視されたようだ。


 どこを斬れば人間の肉が斬れるのか。完璧に理解しているつもりでいたからだ。

 崔幸助の手は震える。


(落ち着け。俺ちゃん。いまのはちょいと力の入れ具合が弱かっただけよ?)


 自分のミスが原因であると考えた。


(こいつは筋肉のバケモンだ。もしかしたら筋肉がクソかてえだけかもしれない)


 崔幸助はファンタジーなことを考え始める。

 頸動脈付近の筋肉がナイフで斬れないわけがないのだが、筋肉が堅いから切れないという理論に発展しはじめる。そう思わなくては理性が保てないからだ。

 ある種の現実逃避である。


 武宮玄はすやすやだった。

 起きる様子はない。

 もう一回だけチャンスが続行される。


 崔幸助は自分に言い聞かせるように、強くサバイバルナイフを握り締める。

 今度はナイフの持ち方を変える。ナイフを喉に突き刺すような持ち方をしたのだ。切るのではない。刺し殺すのだ。


(これで死んでくれ! 頼む)


 そんな情けない祈りとともに、崔幸助はナイフを振り下ろす。

 待っていたのは頸動脈が破裂してぷしゃああという音を立てるのではなく、ぱきっとサバイバルナイフが折れる音だ。

 彼の首筋には傷一つついてない。

 サバイバルナイフが折れた音。

 それと同時、武宮玄の目が見開いた。

 武宮玄と目が合った。まるで眠っていた獅子が目を覚ましたかのような空間だ。

 背筋が凍る。

 崔幸助はひしゃげた下駄のような顔になった。



 ★


 武宮玄は明日、大事な話がある、と神代隼人に言われたので、早めに眠りにつくことにした。

 セカンドステップが終了し、ラストステージに突入しようとしているのだ。

 武宮はカビの匂いのするベッドに寝転がり目を閉じた。眠るまでは一瞬だった。

 すやすやと心地の良い眠りに入る。

 エンジェルと殴り合いに勝てたのもある。強くなれたという実感が得られて清々しい眠りである。

 このまま朝まで目を覚まさない。そのはずだったのにどういうことか。首のあたりに違和感が走る。

 なにか物が当たったような感触だ。


(んん? 虫かなんかか?)


 武宮は気のせいだと思った。

 再び深い眠りにつく。

 深い眠りについた。

 かと思ったら、次はつんと指で突っつかれたような気がした。同じところを二回突っつかれたのだ。どうにも気のせいではなさそうだった。

 武宮は目を覚ます。体感深夜の2時くらい。


 こんな時間に誰が来たのだろうか。目を開けると、そこにはピエロがいた。

 街中で大道芸をやってそうな男だ。

 見知らぬ人で初対面。

 明らかな不法侵入者である。


「どちら様だ?」


 ピエロはきひっと笑った。

 武宮は意味が分からなかった。


「なぜ笑う? なにがおかしいのだろうか?」


「おかしいも何もすべておかしいだろ!? なんなんだ、てめえ!!」


「それはこちらの台詞なのだが。指でつんつんしないでほしい」


 なんだんだ、てめえ。と聞きたいのは武宮のほうだった。

 不法侵入されているのだ。

 面識のないピエロの男がいきなり首元を指でつんつんしてきたのだ。

 まるで意味の分からない状況である。

 恋人同士でもやらないと思った。


「指じゃねえよ。ナイフだよ!?」


 ピエロの男は発狂していた。


「深夜に大声を出すな。オマエのせいで俺が怒られるだろ」


「俺ちゃんを馬鹿にしているのか? ああ、いいぜえ? 俺ちゃんも切れちまったぜ?」


 彼はどこからともなく包丁を取り出す。


「俺ちゃんの本気を理解させてやんよ」


 彼は包丁で殴りかかってきた。包丁は斬撃だった。武宮は斬撃耐性があり、刃物は通用しない。つまり、包丁で斬りかかってくるのではない。殴りかかっているのだ。

 そのときのことだ。


 「理解」というワードが武宮の脳内が急速に目覚めさせる。

「理解」というワードをきっかけに回想をはじめた。


――――回想開始。


『タケミヤボーイ。エンジェルとばかり特訓していないで、たまには俺と特訓をしないか?』


 ある日のこと。

 エンジェルとの殴り合いを終えたタイミングで、ジム・アンダーソンがうさぎ跳びで移動しながら声をかけてきた。彼は移動の時もトレーニングをしている。


『教えたい戦闘訓練?』


『ああ、そうだ。とびっきり使える戦闘訓練だ』


 武宮は少し興味がわいた。

 エンジェルの武術も素晴らしい。

 見たことのない技やテクニカルな戦闘スキルが身につくからだ。その一方で、『力の英雄』ジム・アンダーソンの戦い方も気になった。


 『戦技の英雄』と『力の英雄』


 その明確な違いを知りたいと思ったのだ。


『それなら頼む』


 そんなわけで、武宮は彼に一度教えを乞うことにした。

 エンジェルと訓練をしていたいつもの公園へ移動する。

 お互いが向き合うように立ったが、エンジェルとの時とは別だった。

 向かい合ってはいる。目の前に立ってはいる。同じように立っているのに違うのは、距離は50センチくらいしか離れていないからだ。

 エンジェルとは五メートル離れた状態で訓練を開始した。

 逆にジム・アンダーソンとの訓練では一瞬で腕が届く距離である。

 武宮は不思議だった。


『これは戦闘訓練じゃないのか? こんなに近い距離でできるのだろうか』


『そうだ。戦闘訓練さ。お互いに動かず避けず、殴り合う。アメリカーーーーンスタイルのな!』


『?』


 武宮は意味が分からなかった。


『なぜ、距離が近いか。それは男とは時に拳で語り合わなければならない生き物だからだ』


『なるほど? どういうことだ?』


 拳で語るの意味が分からない。

 拳とは喋るものではない。殴るものだと思ったからだ。

 その疑問を少女が解決してくれる。

 隣からシャルロッテが声をかけてきたのだ。


『武宮! 拳とは語るものだ! 男たるもの拳で理解し合う必要がある!』


 彼女は何かを訴えかけるようにガッツポーズで震えていた。


『ステゴロ対決。それがヤンキー漫画や格闘漫画のお約束だからな!』


 漫画の影響らしい。


『スモールガールが今日の特別講師だ!』


『スモール!? 小さくないが!?』


 どうやら、シャルロッテとジム・アンダーソン。

 2人が教えてくれるようだった。


『拳が語るとはどういうことだろうか?』


 武宮は分からなかったので質問した。

 拳が何を教えてくれるのか。

 拳とは殴るためにある。それが武宮の固定観念だった。

 シャルロッテが答える。


『武宮。オマエは喧嘩したことがあるか?』


『喧嘩?』


 喧嘩したことはない。

 喧嘩するような友達がいたことないからだ。

 経験がないことを恥じる。


『いいか。武宮。人間は争うことで理解し合うこともある』


『そんなことがあり得るのか? 喧嘩をしたら不仲になるのでは?』


 理屈の意味が分からなかった。

 まるで突拍子もない話に聞こえた。

 論理的ではない。事象が逆転しているようにも思う。

 ジム・アンダーソンは威張るように両腕を腰において高らかに笑った。


『そんなことはないぜ! タケミヤボーイ! 雨降って地固まるという諺が日本にもあるが、喧嘩することで理解し合えることもある。拳に想いがのる。心がのる。魂が乗るのさ。だから本気で相手を理解したいなら殴り合うのが一番だぜ!』


『そうなのか』


 武宮は目を見開いた。彼にとっては大きな驚きだった。

 喧嘩が理解につながるとは思えなかったからだ。


『だからタケミヤボーイが覚えるべきはステゴロの殴り合いだ!』


『ステゴロの殴り合い?』


『そうだ! お互いが全力で至近距離からぶん殴りあう。暴力でお互いを理解する! アメリカーーーーンスタイルさ!』



 距離が近い理由が判明する。

 お互いに避けることをせず、至近距離で一発ずつぶん殴り合うのだ。

 それを理解が完了するまで繰り返すらしい。

 詳しく聞いたところ、ステゴロの喧嘩というらしい。シャルロッテにヤンキー漫画を読ませてもらうことで学習した。知識として習得したのだ。

 その日から一日三十分だけのジムと武宮玄の相互理解がはじまった。


 ジム・アンダーソンが武宮の顔をぶん殴る。

 武宮がジム・アンダーソンの顔をぶん殴る。


 それを無限に繰り返すのだ。


 シャルロッテが遠目から『なんか違う気がするが……まあいいか!』と言っていた。


 武宮はこのステゴロ特訓でジム・アンダーソンのことが少しだけ分かった気がした。彼のパンチは凄い。彼のパンチは強い。彼の拳は大きい。

 いろんなことを理解した。


――――回想終了。


「俺ちゃんの本気を理解させてやんよ」


 本気を理解させてやる。

 武宮玄も理解した。


 どうやら彼は相互理解を望んでいるらしい。

 武宮は彼の一発目をもらうことにした。

 避けない。

 彼の包丁は武宮の首で止まった。

 斬撃耐性が発動して、彼の包丁を受け止めたのだ。

 まずは一発目である。


「は、馬鹿――――「次は俺の番だな」」


 ステゴロは交互に殴り合う。

 交互に殴り合うことで、心というものを乗せるらしい。


 彼が拳を振り抜く。


「ふべがッ」


 崔幸助の頬が変な音を立てる。

 ぼきばきべき。みたいな顎が外れるような音だ。彼は暴投したボーリングの玉のように地面を跳ねながら転がって、壁の方に吹っ飛んでいった。壁にぶつかったときぐしゃりみたいな変な音がした。

 出血して血の惨劇が広がってしまう。


 ごくり、と武宮は唾を飲んだ。


『安易に人を殺してはいけません』


 ソジュンの教えが頭をよぎったのだ。

 彼はすぐさま机の引き出しを開けて秘薬を取り出す。倒れたピエロのもとに駆け寄った。不法侵入しただけで殺してしまうのはやりすぎのように思えたのだ。

 彼はぶくぶくと泡を吹いている。顎は完全に外れて、頭から出血が止まらない。気分は緊急医療班だ。このままでは死んでしまうと思い、秘薬を飲ませてあげた。

 彼の骨格はみるみるうちに回復していき、やがて元通りになった。

 武宮は袖で額を拭う。秘薬で彼の一命は救われたのだ。

 彼の命はどうでもいいが、ルールを一日で破ってしまうのは気が引けた。ソジュンに顔向けできないのだ。


「生きているか?」


「ああ、生きて……ってなんでてめえ俺ちゃんを治してやがる! つーかどうやって治した!!」


「治ったならよかった。さあ、つづきをしよう」


 武宮は崔幸助の肩を持ち上げて、無理やり立たせた。

 お互いに向き合うように立つ。彼の武器である包丁をを拾い上げ、彼の手に収めた。


「これ、オマエの包丁だ」


「は? なんで武器を返した」


 崔幸助は渡された包丁を見て、素っ頓狂な声を出す。

 武宮のほうも意味が分からない。

 まだ何も理解しあえてないからだ。


「何を言っているんだ? もう一回殴り合うんだろ? 安心してくれ。次は加減する」


「てめえ、何を言って!! あれだな! 俺ちゃんを痛めつけようってそういう腹だな! 異能ランクFが。舐めやがって」


 彼は憤ったように目を血走らせた。

 武宮はなぜ怒ったのか、それもついでに理解しようと思った。


「理解し合おう」


「????? は?」


「だからお互いを理解をするために殴り合うんだろ?」


 ステゴロで心が通じ合う。それが武宮の考え方である。

 ジム・アンダーソンの教えだった。

 崔幸助は絶句する。


「…………い、イカレてやがる。こんなのやってられるか!」


 そう言い残して、彼はどこかに行ってしまった。脱兎のごとく地下室を飛び出したのだ。


「なんだったんだ? まあどうでもいいか」


 ひとつ大きな学びを得た。

 武宮は強くなりすぎた。筋トレしたことで、”一般人”が相手だと簡単に殴り殺せる領域に到達してしまったのだ。これから先は、喧嘩による相互理解はやめておこう。殺人禁止ルールを破ってしまう可能性を考えた。

 彼は反省しながら、ベッドに入る。


 明日は最終試練だ。体を休めるために寝ることにしたのだ。

 うとうとしながら、頭の片隅で思う。


 彼はどこの誰でなんだったのだろうか?

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