サイレントホース
サイレントホースにとってグリーンダンジョンは住み心地がよかった。
本来のダンジョンであれば、必ず天敵がいる。ダンジョン内部でも生命は循環する。サイレントホースといえど所詮は馬だ。最難関のブラックダンジョンでは食物連鎖の頂点に立てるような力はなかった。
グリーンダンジョンに生まれた彼は一度も命を脅かされることはなかった。時折、やってくるレンジャーを名乗る人間は、尻尾ひとつで殺せてしまうくらい脆弱だったし、ほかの魔物も敵ではなかった。ゴブリンの群れは2秒あれば殲滅できるし、オークの群れは欠伸ひとつで殲滅できる。サイレントホースの存在に気がつけるレンジャーは稀であり、そのほとんどは背後から首を斬り落とせる。
静かに近づき、静かに殺す。気がついたところでなにができるのか。腕を斬り落とせば攻撃手段はなくなるし、足を斬り落とせば逃げられない。人間とは脆弱な生き物であるという認識がインプットされていた。
そのサイレントホースにとって、死とは与えるものであり、与えられるものではない。
だからだろう。常に油断していた。常に自由だった。
赴くままに殺し、赴くままに遊ぶ。
ある日、五人の人間と出会った。
筋肉質の男。
栗色の髪をした女。
茶髪の男。
金髪の女。
ついでのような弱そうな眼鏡の男。
彼らがレンジャーであることは服装から一目瞭然だった。
サイレントホースは目を細める。
ひまだったので殺すことにした。
他愛もないひまつぶしだ。
人間の肉はマズく、食べられたものではない。雑食動物は肉を食べるため、肉質は最悪。雑味が多く骨ばかりで食べにくい。
食べるために殺すのではない。時間を潰すために殺すのだ。
レンジャーが相手だ。すぐに殲滅できるとは思っていなかったが、想定外だったのはリーダーの男がいち早く気がついたということだ。一人殺す前に気がつかれる。どうやら、レンジャーのなかでも格段に優秀な奴らのようだった。
面倒だ。
サイレントホースはそう思った。不意打ちでひとり殺せばパニックになるので、2人目3人目が楽になるのだが、失敗したので手間取りそうだ。
まあでも、弱い。
最初のやつらの動きをみて笑った。
動きは目で追える。異能力で姿は隠せても殺気は隠せていない。
これなら遊びが許される。どんなふうにして痛めつけようか。どんなふうにして苦しませようか。
サイレントホースは人間の悲鳴が好きだった。悲鳴を聞くと、自分が圧倒的に上に立っているような優越感が得られるからだ。
人間の頭を踏み潰すのが好きだった。ゴブリンの頭を踏み潰すときよりも、人間を踏み潰すときのほうが複数の悲鳴が共鳴するからだ。
人間は仲間意識が強く、誰かを人質に取れば助けようとする。そのみっともなくておろかな行動が好きだった。
だからこそ、彼らの逃げるという一手にひどく悲しくなった。リーダーの男が命令し、なんらかの力で離脱したのだ。おもちゃを取り上げられたような寂しさが残る。
おとりになったのは弱そうな眼鏡の男だけ。
脆弱な人間のなかでも飛びぬけて脆弱そうだった。
仕方がない。彼で遊ぼう。
腕を斬り落とし、足を斬り落とし、腹を割いて、悲鳴というオーケストラをダンジョンに奏でよう。
悪意はない。戦意はない。
ただの余興。純粋無垢な悪辣であった。
尻尾の鎌を操作して、振り下ろす。悲鳴を聞くために耳を澄ませた。
しかしながら、どうにもおかしい。
彼の腕を切り裂いたはずの鎌が燃えて、自分の尻尾まで燃えているではないか。
「ぶおおおおお」というのは静かな馬という呼称に相応しくない自分の鳴き声だった。自分の鳴き声が楽曲に組み込まれた。
サイレントホースは生まれてはじめての痛みを経験した。誰にも気づかれず、一撃ですべての敵を葬ってきたサイレントホースにとっては、はじめての痛みだった。
屈辱。
サイレントホ―スは激情に駆り立てられる。脳天から脊髄までを走り抜けるような奔流は、彼の思考を真っ赤に染め上げた。それは怒りだった。まぎれもない激怒だった。人生初の激憤は彼の思考を加速させる。
敵を探す。
顔を見ればわかる。
眼鏡の男の仕業ではない。
自信に満ちた顔つき。圧倒的強者の風格。間違いない。
金髪碧眼の女だ。
ならば、とサイレントホースは奥の手を放った。
それは黒い霧だった。
黒い霧は科学的な法則を無視する。自身の存在感そのものをこの世界から乖離させる。酒を水で薄めるように、この世界にある自分という存在を霧という水によって薄める力だった。存在感を消して、敵に奇襲をしかける。これで葬れないレンジャーはいない。必殺の一撃で仕留めてやる。気が付けるわけがない。霧の中では無敵なのだから。
そんなサイレントホースの思惑は一瞬で焼き尽くされた。
黒い霧ごと焼き尽くされたのだ。
「くだらない小細工ね」
女が何を言っているのか。
言葉は理解できないが、煽られていることはわかる。
サイレントホースに焦燥が生まれる。目の前の女はなんだ。なにをした。なぜ霧を焼くことができる。霧に火が付かないことくらい魔物でも知っている。
逃げろ。本能が囁く。
黙れ。理性が押しつぶす。
おまえは誰だ。と自分に問いかけて、サイレントホースは答える。俺は強者だ。
この世界は弱肉強食の食物連鎖だ。
強者は俺だ
弱者は人間だ。
弱者をまえに怯える必要などないではないか。
サイレントホースは奮起する。
負けるはずがない。負けるわけがない。負けていいわけがない。
まだ切り札が残っている。
サイレントホースは霧になった。
霧を焼くことができるのであれば、霧になって床の下を潜り抜け、背後に回り込み、鎌で首を斬り落とす。床と壁の反対側を霧になって通り抜ければいい。姿に気がついた時はもう遅い。首に叩きこむのは必殺の尻尾鎌だ。
彼にとっては完璧な作戦だった。
あくまでも彼にとっては。
ぱちん。女は指を鳴らした。
女の炎は際限なく燃える。
ぱちん、彼女がそうやって指を鳴らすごとに、彼女の体からあふれ出た炎は連鎖して、あたり一帯に広がる。
連鎖するごとに炎の範囲は拡大する。サイレントホースが霧になって床の底に沈んでも、壁や床を無視して発火した。炎はどこまでも追いかけてくる。床の下だろうとも、壁の向こう側だろうとも発火する。
霧になって不意打ちを目的としていたサイレントホースはようやく気がつく。
その炎はただの異能ではない。サイレントホースの黒い霧と同じ類の、この世あらざる特異的な異能力である。物理現象を無視する凶悪な異能力である。壁や床といった隔たりは意味をなさない。
サイレントホースは賢く、すぐさま逃避に切り替えた。生命の危機を動物の直感で感じ取ったのだ。黒い霧になったまま、彼らとは逆方向に加速する。
まずい。まずい。まずい。
ぱちん、ぱちん、ぱちん。
指を鳴らせば炎が近づく。炎が近づけば指が鳴る。彼女の指の音とともにサイレントホースは追い詰められていく。パチンという音はまるで死のカウントダウン。ひとつ指を鳴らすたびに、炎の範囲は拡大していく。
霧となったサイレントホース本体に炎が迫る。逃げるときに置いてきた黒い煙が導火線となって、炎の渦が追いかけてくる。
恐怖、焦燥、絶望。
負の感情を拭うように霧となって逃げる。速度にして時速100kmはでている。じゅうぶんに速いと言ってもいいだろう。しかしながら、その炎は理屈がない。炎に速度はない。炎に威力はない。指を鳴らせば連鎖していく。1メートルが2メートルに、2メートルが4メートルに。距離がつまる。
黒い霧を燃やしている。
否。
空気すらも燃やしている。
否。
世界の理そのものを燃やしているのだ。
炎は渦を巻き、意志を持っている蛇のようにサイレントホースの背後に迫る
いやだ。死にたくない。生きていたい。
そんな願いを焼き尽くすように、彼女の炎は連鎖して追いついた。
悲劇でもなければ、喜劇でもない。
炎はとぐろを巻いて旋風を起こす。サイレントホースの心臓に火がついた。それはたとえではない。物理的に火がついた。
サイレントホースは発火する。
生まれる場所を間違えただけのサイレントホースというつまらない魔物の物語は灰になって終幕した。
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