Remainer

んご

第1話 トラックに轢かれ気付いたら異世界に…なんてことなかった

荒れ果てた草原に夜風が吹き抜けていた。

ひび割れた大地には、焦げついた魔力の残光が揺らめき、空は紫色の稲光に裂けている。

遠方では巨大な魔物の影がうごめき、地を震わせるように吠えた。


剣戟の音と魔法の爆発が入り混じる。

人間の兵士たちは必死に隊列を維持しようと声を張り上げ、対峙するのは黒煙をまとった魔物軍。

その中心には、禍々しい魔王軍の紋章が刻まれていた。


ここは異世界ヴェルグレイス。

豊かな魔力に満ち、幾多の種族が調和していた大地。

しかし今、その均衡は崩れ、世界は終焉の炎に呑まれようとしていた。



天空神殿。

白い大理石の床が光を反射し、中央には巨大な光の泉が浮かんでいる。泉の前には、透き通るような佇まいの女神アリアが立っていた。


アリアは水面に映る戦況を見つめ、深く眉を寄せる。


「……前線が、また落ちたわね。

 このままではこの世界は数日も持たない」


光が揺れ、小さな影が泉から飛び上がった。

妖精のエンフィーである。


「女神様〜!戦場、マジでやばかったですよ! 

 こっちの兵士はもうボロッボロです! 

 あんなの勝てっこないですって!」


アリアは静かに首を振った。


「エンフィー……分かっているわ。

 だからこそ、次の手段を取らなくてはいけないの」


エンフィーは緊張し直し、姿勢を正す。


「……例の転生作戦ですか?」


アリアは泉へ手をかざし、複雑な魔法陣を浮かび上がらせた。


「かつて、この世界は異世界から来た勇者に救われた。

 記録はほとんど残っていないけれど」


「でも、候補者は見つかったんですか? 

 すっごく厳しいんでしょ、条件」


アリアが水面をなぞる。

揺れた水に現れたのは、一人の青年の姿だった。


仕事帰りにコンビニで些細なことで悩んでいる青年。

帰宅してスマホを見たまま寝落ちする青年。

どこにでもいる、いや、普通より普通な男。


「……え? この人が選ばれし勇者? 

 いやいやいやいや…… めっちゃ普通ですけど!? 

 むしろ影薄くないですか!?」


エンフィーの抗議とは裏腹に、アリアは微笑んだ。


「だからいいのよ」


「よくないですよ!!!

 世界の命運がかかってるんですよ!!?」


アリアは静かに続ける。


「転生時の能力はその者の『価値』と関係する。

 それは低ければ低いほど、

 反比例してヴェルグレイスでの力となるの。

 それが勇者としての『適正値』」


エンフィーは映像をつつきながら唸る。


「要するに、超役立たずな人間ってことですか?」


「本当に誰の役にも立たない人間なんていない。

 厳密には社会的な価値ではなく、

 己の内に秘める『自身の価値』に関係する。

 彼は自分に何の価値もないと本気で思っている。

 それに、『真の善人』でなければ『彼ら』の許しも 

 降りない」


「…『彼ら』って?」


エンフィーの問いかけに、アリアは何も答えず空を仰ぐ。

その様子が少し気になりながらも、エンフィーには別の疑問が浮かぶ。


「でも、超いいやつなのに、誰からも必要とされてな

 いと本気で考えてるやつなんて……

 そんなの有り得るんですか?」


「そうね。でも、だからこそ彼――

 間倫太郎はざまりんたろうは希少な存在。

 まさに勇者と呼ぶにふさわしいのかもしれない」


エンフィーは間倫太郎と呼ばれた男をもう一度ながめ、ぽつりと言う。


「ふーん……なんか、可哀想なやつ」


アリアは静かに宣言した。


「作戦名、『Project-R』」


アリアは泉から光のパネルを引き出した。

魔法陣に刻まれたアルファベットはただひとつ『R』の文字。


「Project-R…『R』って何の略なんです?」


 エンフィーは首を傾げる。


「それはまだ言えないわ。

 意味は……やがて形になるものだから」


(教えてくれたっていいのに……)

 

エンフィーは心の中でぼやきつつ、光パネルを見つめる瞳を少しだけ真面目にした。


「……でも、大事な作戦には違いないですよね」


「ええ。では転送装置を起動するわ。

 エンフィー、準備はいい?」


「……責任重大ですけど……やります!

 やるしかないですもんね! 

 この可哀想な人間を必ず連れてきます!」


転送装置、そう呼ばれる台座の前に二人は移動した。

アリアの詠唱とともに光が渦を巻く。

異世界と現世をつなぐ転送ゲートが開いた。


ゲートの前へと浮かび上がるエンフィー。


「行ってきます、アリア様!」


眩い光が神殿を満たし、世界は白く塗りつぶされた。


「頼んだわよ、エンフィー…」


アリアのつぶやきが静かに神殿内に響いた。



朝の雑踏。

ビル風が吹き抜け、人々はそれぞれの職場へ急ぎ足で動いている。


(はぁ……眠い……行きたくねぇ……)


先ほど間倫太郎と呼ばれた男が気怠そうに歩きながらため息をついた。

目は半欠け、足取りは重い。


そんな彼とすれ違った自転車が何かを落とした。


「あ、落としましたよー……って、聞こえてないか」


倫太郎は溜息をつきながらも、落ちた物を拾い、突然ダッシュした。


「ちょ、待って! 落とし物ーっ!」


追いついて落とし物を渡すと、相手は驚いたように言った。


「あっ……ありがとう。

 でもこれ、たいした物じゃないし……

 わざわざ走らなくても……」


「あ、いや……なんか、ごめんなさい……」


気まずい空気のまま、相手は去っていく。

倫太郎は職場とは反対方向に走っていたことに気づき、青ざめた。


「やべ、遅刻じゃん!!」



 病棟。ギリギリで全体の申し送りに駆け込む。


「間くん。ギリギリね。

 社会人として余裕を持って行動しなさい」


「……すみません」


病棟師長の淡々とした口調が、少し刺さる。



通常ラウンド。

「佐藤さん、採血結果も良くなってますし

 先生もそろそろ退院出来そうって言ってましたよ」


「ありがとうねぇ、間さん」


「いえ、どうも……」


退室し、廊下で小さく息を吐く。


(患者も大変だよな……社交辞令)



そしてクレームの多い患者の部屋。

「田中さん、この食事は控えてもらわないと――」


「うるせぇ!! てめぇは人の楽しみ奪ってんだよ! 

 看護師のくせに偉そうに!」


「いえ、決してそういう訳では……」


「出ていけ!!」


「……失礼しました」


倫太郎は静かに頭を下げ、退室した。廊下ではさっきより少し大きなため息が漏れる。


廊下の奥で同僚たちがヒソヒソ話している。


「また田中さんの担当させられてる。

 あの人、威圧的で私苦手なんだよね〜

 間さんかわいそ〜」


「でも丁度いいんじゃない?

 間くんって感情なさそうだし、ね?」


倫太郎はその会話を特に気にすることもなくそのまま次の患者の元へ向かう。



夕暮れ。ほどほどの残業を終え倫太郎は無気力に歩いている。


(間倫太郎。28歳、看護師。

 資格以外、何の取り柄もない。

 誰かの役に立てるかもって思って、

 安易にこの仕事を選んだけど……

 まあ、普通。秀でたこともない。

 それに……案外、この仕事……闇も深い)


ため息が漏れる。


(結局……何も変わらない)


歩きながらうだうだとそんなことを考えていた。

しかし、次の瞬間、後ろから轟音が近づいていることに気がつく。

トラックが彼目掛け突っ込んでくるではないか。


「うおっ!?——っ!!」


反射的に跳びのき、寸前で回避する。


「あぶねっ……死ぬとこだった……」


 倫太郎が九止に一生を得たその背後、電柱の影で小さな金色の光が揺れていた。


彼は再び歩き出す、またうだうだと考えごとをしながら。


(期待もされてないし、友達とか仲間もいない。

 面倒くさい仕事はいつも俺……

 別にもう慣れたしいいけど。

 これといった目標や夢もない。

 とりあえず惰性で生きてる)


そんな倫太郎の心の嘆きが続く中、再び轟音。

トラックの接近を意味していた。


「……は? また?」


またも寸前で避ける。


「あぶねぇ…今日は運にまで見放されてるのか……?」


その背後、屋根の上でまた金色の小さな光が動いた。


「ちっ……なんで避けんのよ……」


倫太郎は嫌な予感を感じ、帰り道を急いだ。

だが、普通ではあり得ないことが三度起こる。

そう、三回目のトラックが彼に迫ってきたのだ。


倫太郎は華麗に躱す。

嫌な予感が彼の動作に余裕を与えていた。


「またトラックかよ!? どうなってんだ今日は!? 

 業界繁忙期なのか!?」


「何で死なないんだよーー!!」


倫太郎がひと息つくかつかないかの間、突然少女のような声が聞こえた。

そして彼の目の前で金色の光が弾けた。


「何で死なないのよ、あんた!!」


怒り心頭の妖精エンフィーが姿を現した。


「え……え? なにこれ?」


戸惑う彼を気にもとめずエンフィーは続けた。


「私は妖精エンフィー! 

 女神アリア様の命で、

 お前をヴェルグレイスに連れていくため

 この世界に来たの!」 


「妖精? 女神?……ベ、ベル? 

 何言ってんだお前、大丈夫か? 

 いや……大丈夫じゃないのは俺の方か?」


「だから妖精だって言ってるでしょ!」


倫太郎は彼女をじっと見つめ、その存在を確かめるため

そっと手を伸ばした。

 

パクッ。


「痛っ!!」


倫太郎の指に噛み付いたエンフィーは、ぺっと唾をはく仕草。


「ほら、夢じゃないでしょ?」


倫太郎は明らかに今自分に起きていることが普通じゃないと分かりつつも、指の痛みが消える時間を使ってやや冷静になる。


「……まあ、こんな生き物テレビでも見たことなし……

 妖精ってのは認めてやるよ。

 で、何だっけ? 何かしに来たって?」


「もう一度言ってあげる。

 私は妖精エンフィー。

 女神アリア様の命でお前をヴェルグレイスに連れてい

 くために――」


「いやいやいや、何それ?」


エンフィーは状況を説明しはじめた。


「今、ヴェルグレイスは魔王による侵略の危機!

 だからこの世界から勇者の素質を持つ人間を呼ぶ

 必要があるの!」


「なんか……どっかで見たことある展開だな…

 …で、なんで俺?」


「役立たずだから」


即答であった。


「ん? 酷くね?」


「違うの?」


彼もまた否定はしない。


「否定できないけど……

 でも、役立たない人間なんて他にいくらでも…」


「アリア様が言うには、

 本当に役に立たない人間なんていないの。

 問題は自分の価値をまったく見出していない人間。

 そういう人間ほど、ヴェルグレイスでは

 力を発揮する法則があるんだって」


「そんなやつ他にもいそうだけど?」


「かつ、真の善人であること」


「真の善人? 良い人? お人好しってこと?」


「そんなレベルじゃないわ。

 見返りを求めず、苦労も気にせず、

 他者のために自己犠牲をいとわない……」


「そんなやつおらんやろ!」


しかし、エンフィーは淡々と続けた。


「確かに。そんなやついるとしても、

 誰かを助けようとする気持ちや、役に立ちたいという

 気持ちが自分の存在価値って理解してるはず。

 でもあんたは違うみたい」


倫太郎は黙り込む。


「今日一日こっそりあんたを観察したけど……

 悪い人ではなさそうだし、

 アリア様が言うんだから間違いないでしょ」


「で、その……ベルなんとかにはどうやって行くんだ

 よ?」


「簡単に言えば、死ぬことね♪」


エンフィーは笑顔だった。


「断る」


「何でよ! ヴェルグレイスに行けば勇者よ? 

 評価爆上がりよ?

 今みたいに惰性で生きてるんじゃなくて、

 みんなからチヤホヤされて――」


「興味ないって。

 てか、普通に考えろよ、死にたい訳ないだろ!?」


「少なくとも、死んだら今より生き生きとは出来る

 んじゃない?」


「死んで生き生きってお前……

 確かに俺はお前から見たら惰性で生きてるだけかも

 しれないけど、死ぬのは怖い、

 人として当たり前の本能だ!」


「頑固だなー。ま、死んだら分かるって」


エンフィーは背中の小さな羽を金色に光らせ魔法を発動した。

再びどこからともなくトラックが現れる。


「またトラックー!?」


「異世界転生といえば、やっぱこれでしょ」


「どんな固定観念だよ!?」


倫太郎は必死に避け続ける。

何度目のトラックだっただろうか、彼が避けたトラックは電柱へ突っ込む。

大きな衝撃音、それとともに電柱が折れはじめる。

その先にいるのはエンフィーであった。


「きゃーー!!」


「うおおっ!?」


無意識に身体が動いた。

彼は倒れくる電柱に飛び込み、小さな妖精を抱きかかえて転がった。


「おい! 大丈夫か!? しっかりしろって!」


気絶していたが、息はある。

倫太郎は胸を撫で下ろす。


「……何なんだよ、こいつ……」


夕暮れの道路。倒れた電柱。

倫太郎の腕に抱かれた小さな妖精。

これが彼らの出会いであった。



後書き

第1話を読んでいただきありがとうございます。

この先の展開も楽しんでいただけると嬉しいです。

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