第5話 トイレの噂の検証

廊下の突き当たりに、ぽつんと光が漏れる場所があった。

男子トイレの前だ。消灯された校舎の中で、そこだけが妙に明るい。


「……あ、ぼくトイレ行きたい……」

てんが小声で呟いた。


「そういや俺も行きてぇわ」

宗介が肩を回しながら近づく。


蓮はタブレットをのぞき込みつつ、さらっと言った。

「このトイレにも噂あるよ」


「おいっ!今から入ろうって時に言うな!!」


宗介が全力で振り返る。

てんも一歩下がり、蓮を睨むというより

「なんで今言うの」の顔。


蓮は涼しい顔だった。

「だって、順番だし」


「順番とか知らんわ!!」


とはいえ、行かないわけにもいかず――

三人はトイレへ踏み込んだ。


校舎の古いタイル特有の、ちょっと湿った匂いが漂っている。

鏡は冷たく曇り、奥に並ぶ個室は薄暗い。


てんと宗介が並んで小便器の前に立つ。


「……なぁ蓮」

「ん?」


「このタイミングでなんか出てきたら、マジでやばいよな……」

宗介はやたら静かな声で言った。


てんもこくこく頷く。


――キィ……。


トイレの奥の個室のドアが、わずかに揺れた。


「うわっ!!」

てんが跳ね上がった。


「おい!飛ぶな!かかるだろが!!」

宗介が半分笑いながら怒鳴る。


「だって、いま動いたじゃん!!」


てんが叫ぶと、蓮は淡々と画面をスクロールする。


「ここの噂は誰もいない個室から水が落ちる音がするってやつだね。

……たぶんそれ」


その説明の直後――


ポタ……ポタ……。


静まり返ったトイレに、水滴の音が確かに響いた。


用を足し終えた宗介が顔をしかめる。

「マジで聞こえてんじゃん……!」


「やっぱ本物……?」

てんが宗介の肩にしがみつくように寄る。


蓮はため息をひとつつき、霊縛ライトを構えた。

「とりあえず大丈夫。もし霊がいたとしても、このライトで照らせば、いきなり飛びかかってくることはないから」


宗介がピタッと止まり、小声で言う。

「……いや、それ開けた瞬間に飛びかかってきたらどうすんだよ」


「だからライトで照らすって言ってるでしょ。反応を一瞬止められる。それに止まってる間に、てんちゃんが触って浄化すればなんとかなるでしょ?」


蓮がさらっと言う。


てんが思わず素っ頓狂な声を上げた。

「えっ!? ぼくが!?」


宗介は妙な説得力で頷く。

「ああ。てんが触れば……まあ、なんとかなるよな」


「えぇぇぇぇ!?!?」

てんは宗介の腕にしがみつきながら震える。


だが、ほんの数秒後。


「……や、やってみるよ……!」

てんがぷるぷるしながら、宗介の横に立った。

両手を前に出し、猫パンチのようなタッチ構えを取る。


宗介が思わず吹き出す。

「お前、その構えで浄化できるのかよ……」


「い、いざとなったら当たればいいの!!」


蓮は淡々とした声で補足する。

「大丈夫。ライトで一瞬止まる間に、てんちゃんが触る。理論上は完璧」


てんは構えたままで震える。


蓮はまったく動じず、ゆっくり個室の方へ歩いた。

「じゃ、確認するね」


蓮は個室のドアに手を添え、ゆっくりと押し開けた。


ライトの光が狭い空間を舐めるように照らす。


……誰もいない。


ただ、洗面台の裏のパイプから

ポタ……ポタ……と水が落ちているだけだった。


蓮が淡々とライトを下ろす。


「……水回りが緩んでただけだね」


宗介がふっと息を吐き、胸を押さえた。

「な、なんだよ………ビビらせやがって……!」


てんも肩の力を抜き、安堵の笑顔を浮かべる。

「よかったぁ……誰もいなかった……!」


二人がほっとした、その――まさに一秒後。


ガタンッ!!


個室の奥で、立てかけてあったモップが

時間差で派手に倒れた。


「ぎゃあああああああ!?」

「ひいいいいいいい!!?」


宗介とてんがまた同時に跳び上がる。


蓮だけが瞬きもせず、その倒れたモップを見つめて言う。


「モップだよ」


宗介は情けない声で壁に手をつき、

「安心させといてコレは反則だろ……!!」


てんは涙目で宗介にしがみつきながら叫んだ。

「ぜ、絶対なんかの霊が押した!!絶対!!」


蓮は小さく首を傾げる。

「ただの重心の問題だと思うよ」


宗介が苦笑いしながら言う。

「てん、お前……びっくりしすぎて触りにも行けてなかったじゃん」


「だって無理だよ!! 絶対飛び出すと思ったもん!!」


蓮はライトを消しながら、何でもない声で続けた。


「怖がりながらも前に出ようとしてたし、十分偉いと思うよ」


「えらいの!?」


「うん。びっくりしたら浄化も解除もできないのは仕方ないよ」

てんは褒められたと思って胸を張ったが、

その顔はまだびびったままだった。



蓮はライトを消して振り返った。

「噂の七割はこんなもんだよ。次いこっか」


宗介とてんは同時にため息をつき、

しかしどこかホッとしたように笑った。


校舎の夜はまだ長い。



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