怜雄の昔話

「水族館、楽しかったね」


「ああ、まあまあ楽しかった」


「の割には、イルカショーで水かけられたときすごい笑ってたよね。写真撮っとくんだったな」


「そうだったか?」


「そうだよ。それに今、目線そらしたでしょ。恥ずかしい時の癖」


はぁ、とため息をついた。確かにイルカショーの時、柄にもなくはしゃいでしまった。七瀬も怜雄もイルカに水をかけられ、ぐしょぬれの状態で、笑いあった。あそこまで大声をあげて、騒ぎ、はしゃいだのはいつぶりだろうか。


思い返すと裏の仕事を始め、七瀬を守ると誓ったころからだろう。犯罪も犯し、人間の黒い部分をまともに見続けてきた。そんな生活の中で自分の中で無意識に気を張っている部分があったのかもしれない。


「ありがとな、今日。誘ってくれて」


「あれ、素直になった?」


「ああ」


「・・・こちらこそ、ありがとう!!」


満面の笑みで言った七瀬に、怜雄も満面の笑みで返した。


「10年前、、南区で発生した老人が殺害された未解決事件について、知っている方いたら情報提供お願いします」


「お願いしまぁす」


そんな声が耳に飛び込んできた。その瞬間怜雄の体は一瞬こわばり、ちらりと七瀬のほうを見た。


「すみませーん、10年前に起きた老人の殺害事件なんですけれども」


一人の刑事が、声をかけてきた。落ち着け、動揺を顔に出すな。大体、俺はこの事件の容疑者じゃないんだ。


「何かあったんですか?」


七瀬が問う。


「10年前、このあたりで一人暮らしの老人が殺害される事件がありましてね。まだ犯人が捕まってないもんで、こうして情報提供を呼び掛けているんです」


「そうなんですか。捕まるといいですね」


「ええ、必ず捕まえますよ。何年かかっても」


そう言い切った刑事の顔は、眼光鋭く、不思議な力強さに満ちていた。


「頑張ってください」


七瀬がそう言うと、刑事はこちらに会釈をしてまた別の人に声をかけに言った。安堵からため息をつきそうになったが、隣には七瀬がいる。握りしめ、手汗が出ていた拳を解くだけにとどめた。


「10年前の殺人事件かぁ」


「どんな事件なんだ?」


怜雄もチラシを覗き込んだ。警察の捜査がどこまで進んでいるかのヒントになるかもしれない。


「一人暮らししていた立花重蔵さんが、自宅で何者かに殺された事件・・・だって。身元を示すものが、全部持ち去られたそうよ」


「家の中のもの全部か?」


「うん、そうみたい」


流石に偽名のことについては分かっていたらしい。だが、本当の身元が分かったとこで、犯人にはたどり着けないだろう。何も心配することはない。


「ねえ、怜雄は人殺ししてないよね?」


「どうしたんだ?急に」


「いいから答えて」


「してないよ。それは絶対にしない」


「・・・そっか。そうだよね。怜雄に人は殺せないもんね。力ないし、喧嘩弱いもんね」


無理やり笑ったような顔をしながら、美南は歩いていく。少し下を向き、ポケットに手を突っ込みながら、怜雄も後に続いた。


そこからはいつもと変わらなかった。チェスと将棋をして、怜雄が勝って、たわいもないおしゃべりをする。二人が倉庫に泊まるときの、いつもの夜だ。


「ねえ、怜雄」


コンビニで買ったカップラーメンを二人で食べている最中に、唐突に七瀬が切り出してきた。


「うん?」


「なんで怜雄はこの倉庫に住んでるの?」


「急にどうしたんだ?」


「よくよく考えれば、聞いたことなかったから」


少しの間二人に沈黙が流れる。風が倉庫の扉を叩き、がたがたという音が響いた。


「居心地が良いから・・・としか言いようがないな」


「一人暮らしの家よりも?」


「ああ」


「それは、私と怜雄がここで初めて会ったから?」


「それは何というか、その、意地悪な質問だな」


怜雄が笑みをこぼした。そのあとふーっと、ため息をつく。


「ごめん、話したくないならいいの」


「いや、いい機会かもな。でもその前に俺の昔話を話してもいいか?」


そうして怜雄はまた、息を一つ吐いて語り始めた。


「俺は、暴力団の幹部と、その愛人の間に生まれたんだ。父親はろくに家にも帰らないし、養育費も出してくれなかった。まあ、子供を産んだ愛人とその子供なんて、邪魔で仕方がなかったんだろうな。で、母さんは一人で俺を育ててくれた。母親が育ててくれたっていうのは七瀬と同じだな」


「そうね。私の場合は父親はいなかったけど」


「あんな父親ならいないほうがましさ」


苦虫をかみつぶしたような表情をして、怜雄は吐き捨てた。


「でも仕事も金もない女一人が生きていくには、当然限界がある。行政の支援とかも、受けようと思えば受けられたのかもしれないけど、母さんはそんなん知らなかっただろうし」


「じゃあ、お母さんは逃げたの?」


「いや、俺に暴力を振るうようになった。後はクスリだな」


そう言って、怜雄は服を脱ぎ、上半身を見せた。タバコを押し付けられたような丸いやけどの跡が散らばり、何かで切りつけたような切り傷もあった。


「ひどい・・・・」


七瀬が口を覆い、ショックを受けたように言った。


「おいおい、ヤッた後に傷見せたことあったろ?」


「あの時は暗いし、よく見えなかったの。それにお母さんにやられたなんて聞いてなったし、あと、あの時は、その・・・・」


「ん、どうした?」


「ヤッた後の会話なんて、その・・・疲れて覚えてないのよ・・」


真っ赤な顔をして俯く七瀬を、怜雄は口を半開きにした間抜けな表情で見つめていた。風がまたしてもがたがたと、倉庫の扉を揺らしている。普段はうっとおしいと感じる音だが、今に限ってはありがたかった。

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