老人の正体

しばらくして捜査本部に新たな情報がもたらされたが、それは三人の地道な作業が身を結んだ、というわけではなく、現場近くの交番に一人の男性が尋ねてきたことがきっかけだった。

彼は被害者の家の規制線がいつとれるのか、ということを執拗に聞いてきたそうだ。交番の警官が話を聞いてみるとこの男性は、不動産屋を営んでおり、被害者に現場となった家を売った張本人だということがわかったのだ。


そんなわけで昨日浮上したこの南不動産。そこで念のため中垣、村瀬、山形の三人で話を聞きに来たのである。


「いやぁ、ごめんなさいね。交番のおまわりさんにしつこく聞いちゃって。何しろこっちも商売なもんで。いつ清掃とか荷物の引き払いとかできるのかな、ってのが気になっちゃいまして」


ひげを生やした不動産屋のおやじは、気持ち悪いほどニコニコしている。これが彼なりの愛想笑いなのかもしれない。


「そうそう、この人ね。覚えていますよ」


早速被害者の顔写真を見せると、彼は何度も頷いた。その瞬間三人は目を見合わせた。


「何か契約の時に変わったところがあったんですか」


中垣が尋ねた。


「ええ、そりゃあそうですよ。なにしろ一人暮らしのお年寄りに一軒家を売るなんてめったにないですからね」


「言われてみればそうですね」


村瀬は口だけそう言ったものの、それは捜査本部で指摘されていたことでもある。特段驚きはなかった。村瀬は正直、ここも収穫なしか、とあきらめていた。


「もしよろしければその時の契約書類など、見せてもらえませんでしょうか」


念のため聞いてみた。無駄かもしれないがやらないよりましだろう、と思った。


「ええ、構いませんよ。少し待っててください」


立ち上がって彼は奥の部屋へと消えていった。


「ここも空振りですかね」


山形が大きなため息をついた。


「ここまで情報がないと、流石に滅入ってくるな」


中垣の声も沈んでいる。


「お待たせしました。これですね」


数分経って、持ってきてもらった書類を一目見て、三人は一瞬首を傾げた。


「あれ、これ違う方のじゃないですか」


「ああ、名前がおかしい」


被害者の苗字は佐々木のはずだ。


しかし、契約書類の名前欄には、立花重蔵、と書かれていたのだ。


「いや、待て。住所を見てみろ。現場の住所だ・・・・・・」


中垣の声はかすれていた。


「すみません、被害者がこの書類を書いて、契約したんですよね。その際身分証明などはありましたか」


村瀬がどうにか冷静さを保ちながら聞くと


「当然ですよ。契約の際には身分証明をしていただくことになっていますから」


その店主の答えに三人は絶句した。ならばなぜ被害者は佐々木と名乗っていたのか、しかも表札まで立てて。さらには病院まで佐々木、という名前で通っていた。保険証を偽造していたのか。いや、待て。そもそも名前を変えなければいけない理由はなんだ。


「ほかに変わったことはありませんでしたか」


「いやあ、他にはなかったですね。普通のじいさんでしたよ」


そう言われれば、ここにもう用はなかった。






「刑事課の人がこんなとこに来るとは。何の用ですかい」


警戒心を隠そうともしない、どすの効いた声だった。覚悟はしていたものの、いざ目の前に対峙すると形容しがたい圧力を感じる。部屋の端には幹部と思われる組員、その付き人がこちらに殺気を向けているが、正面にいる70代ほどの老人、川奈岩治一人の殺気のほうがずっと重い。


いかにも高級そうな絨毯が床に敷かれ、壁には寅が描かれている水墨画、猛獣たちのはく製が置いてある、桑名組組長室。村瀬たち刑事の前の大きな机を挟んで、革張りの椅子に座っている70過ぎの老人、川奈岩治。一体どれほどの修羅場をくぐってきたら、こんな男になるのだろう。


「この男を知らないか」


村瀬が胸ポケットから出した写真は、被害者である立花重蔵の顔写真だった。


「正直に答えろよ」


そう言って念を押すのは警視庁組織犯罪対策課、通称マルボウの刑事だ。指定暴力団である桑間組に乗り込むためには、彼らの力が絶対に必要だった。現にここにいる刑事たちのうち、中垣と村瀬以外の10人は全員マルボウの刑事だ。


立花重蔵は、佐々木という偽名を使っていた。しかも偽名で保険証を使い、戸籍を複数所持していた。よって裏社会の人間である可能性がある、そこで暴力団なら何か知っているかもしれないと考えたのだ。


「俺らを疑っとるんか。あぁ?」


組長である川奈の付き人であろう若い衆が、こちらに嚙みついてきた。不安の裏返しだろうな、と村瀬は思った。


「違う、話を聞きたいだけだ」


こういう手合いには慣れているのだろう。マルボウの一人がうんざりしたようにあしらう。


「嘘こいてんじゃねえぞ。俺らをなめんじゃねえ」


幹部と思われる一人が顔を真っ赤にし、唾を飛ばし始めると、他の付き人と思われる若い衆、そして幹部と思われる連中まで怒りが伝染していったようだ。


「大体、なんで俺らのとこに来る必要あるんだよ。暴力団はうちだけじゃねぇぞ」


「捜査だとか言って、急にガさ入れ始めんじゃねえだろうな」


「わけのわからねぇ容疑で逮捕でもすんのかよ」


そうして話の収拾がつかなくなり、こりゃ実力行使もあるか、と心の中で決めたその時


「黙れ」


先ほどまでとは比べ物にならないほど、低く、芯のこもった声。桑名組組長である川奈哲司の一声は、組員にとっては絶対だ。怒号が響いていた部屋は一瞬にして静まり返り、全員が背筋を伸ばして組長のほうを見ていた。思わず村瀬も背筋が伸びた。


「おい、あんた。見ない顔の、お前」


そこで村瀬は初めて、自分のことを言われてるのに気づいた。こっちにこい、と手招きしているようだ。ちらり、とマルボウの顔を見ると、行け、というように首を振ったので、川奈の椅子の近くまで行き、片膝をついた。


「で、こいつはどういう風に殺されたんだ?」


一瞬真実を教えるべきか迷った。相手は暴力団だ、リスクはある。しかしここで嘘の情報を教えるほうが、後々面倒なことになりかねない。真実を教えるべきだろうと、村瀬は判断した。


村瀬は事件の大筋を説明した。説明し終えると、川奈はしばらく腕を組み、目をつぶって、何かを考えている様子だった。目の前の刑事に話す内容を吟味しているのかもしれない。


「こっちは本当のことを話したんだ。そっちも本当のことを話してもらうぞ」


「焦んなよ。言われなくてもそのつもりだ」


そうして川奈は語り始めた。


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