転生施術師は聖女も魔王もトロトロに溶かす ~前世No.1エステティシャンの指(ごほうび)は世界を救う~

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第1話 鉄壁の騎士、陥落の序曲

王都の喧騒から外れた路地裏。

そこに『女神の休息所(ヴィーナス・レスト)』はひっそりと店を構えている。看板は小さく、目立たない。だが、漂ってくる芳醇なハーブと魔力を含んだオイルの香りが、知る人ぞ知る「逃げ場所」であることを無言で告げていた。


店主のサエ――かつて異世界(日本)で「エンジェルハンド」と呼ばれた女は、真っ白な施術着の袖をまくり上げ、今日の予約表を眺めていた。

「さて、今日の患者様は……あら、随分と重症な方が来るのね」

彼女の視線の先には、予約者名ではなく、「筋肉の硬度」を示す魔力反応が記されている。それは岩石のように赤黒く凝り固まっていた。


カラン、コロン。

古風なドアベルが鳴ると同時に、店内の空気圧が変わるほどの重苦しい気配が流れ込んでくる。

現れたのは、身長一八〇センチはあるだろうか、全身を鈍色のフルプレートアーマーに包んだ長身の人物だった。兜を小脇に抱え、露わになった顔は、彫刻のように美しいが、氷のように冷たい。

王国最強と謳われる【氷の女騎士団長】、ヒルダである。


「ここが……噂の揉み療治屋か」

ヒルダは値踏みするように店内を見渡した。その視線は鋭く、戦場での敵索そのものだ。

「いかにも怪しい。路地裏になど店を構えて……違法な薬物でも使っているのではないか?」

「いらっしゃいませ、騎士様。当サロンは正規の認可を受けておりますよ。それに、路地裏にあるのは――」

サエは営業用の柔らかな微笑みを崩さず、しかしその瞳の奥で【解剖の魔眼(アナライズ)】を発動させた。

「――本当に疲れている方が、誰にも見られずに羽を休めるためです」


サエの視界が変貌する。

ヒルダの身体がサーモグラフィーのように色分けされる。だが、それは通常の体温ではない。「凝り」と「魔力の鬱血」のヒートマップだ。

(うわぁ……)

サエは内心で絶句した。

首筋から僧帽筋にかけては、鉄板が入っているかのように真っ赤。腰回りは重い鎧の負荷でどす黒く澱み、足の裏に至っては感覚があるのか疑わしいほど白く強張っている。

美しい肢体が、過剰な責任感と金属の重量で悲鳴を上げている。職人としてのサエの魂に、静かな、しかし熱い火が点いた。

これはもはや人体ではない。ほぐすべき「最高級の素材」だ。


「……ふん。口だけは達者だな」

ヒルダは重い足取りで施術台の前まで歩み寄ると、ガチャリと籠手を外した。

「部下がどうしてもと勧めるから来てみたが、私は別に疲れてなどいない。騎士たるもの、肉体の疲労ごときで職務に支障はきたさん」

「左様でございますか。では、メンテナンスということで」

「うむ。手短に頼むぞ。三〇分……いや、一五分でいい。背中を少し撫でる程度で構わん」

ヒルダは強がりを言いながら、ガチャガチャと音を立てて鎧を脱ぎ捨てていく。

床に置かれた鎧の山は、彼女が普段背負っている「国家」という重さそのものだった。


アンダーウェア姿になったヒルダが、ベッドにうつ伏せになる。

鍛え上げられた背中は、無数の古傷と、盛り上がった筋肉の鎧で覆われていた。隙がない。物理的にも、精神的にも、他者の侵入を許さない拒絶の背中だ。

「では、失礼いたします」

サエは両手にたっぷりと特製のアロマオイルを馴染ませた。体温で温められたオイルが、ぬるり、と艶めかしい光を放つ。


最初の一手。

サエの手のひらが、ヒルダの肩甲骨の間に音もなく着地した。

ピクリ、とヒルダの肩が跳ねる。

「……っ。なんだ、その手は。熱いぞ」

「血行が悪いので、そう感じるだけですよ。リラックスして、息を吐いてください」

サエは【聖なる指先(ホーリー・タッチ)】の出力を微弱に調整し、まずは表面の皮膚をオイルで滑らせるように撫で始めた。

(表面はカチカチ。でも、その奥にある深層筋は……泣いてるわね)

サエの指は、単に揉んでいるのではない。皮膚の下にある筋肉の繊維一本一本を透視し、その隙間にオイルと共に魔力を「浸透」させていくのだ。


「ん……ぐ、う……」

ヒルダが枕に顔を埋めたまま、くぐもった声を漏らす。

「いかがなさいました?」

「いや……なんでも、ない。ただ、貴様の手が……奇妙に、重い……」

「重いのではありません。深く、入っているんです」

サエは親指の腹を、ヒルダの首の付け根――頭板状筋の最も硬い結節点(トリガーポイント)に音もなく滑り込ませた。

そこは、兜の重さを一身に支え続けてきた、ヒルダの急所であり、最大の弱点。


「そこは……っ!?」

ヒルダの身体がビクンと弓なりに反った。

「あら、随分と滞っていますね。騎士団長ともなると、常に気を張っていらっしゃるから」

「ま、待て……そこは、だめだ……っ、押すな……!」

拒絶の言葉とは裏腹に、サエの指先が触れた一点から、痺れるような熱が放射状に広がり、ヒルダの脳髄を直接揺さぶった。

痛い。けれど、その痛みの芯には、抗いがたい甘美な痺れが混じっている。

「逃がしませんよ」

サエは逃げようとする筋肉の動きを先読みし、さらに体重を乗せた。

ずぷり。

指が、肉の奥へと沈み込む。

「あ、がっ……!? ぁ、ああっ――!」


それは、戦場では決して上げることのない、無防備な悲鳴だった。

ヒルダはハッとして口元を手で覆おうとするが、サエのリズムはそれを許さない。

円を描くように、捏ねるように。

硬いバターが熱したナイフで溶かされるように、ヒルダの背中の「鉄壁」が、物理的に液状化していく。


ここから、視点はヒルダの内側へと沈む。


(なんだ、これは……!?)

ヒルダの思考は、白い靄(もや)に包まれていた。

背中を這う指が、まるで生き物のように肉を割り、骨の隙間に入り込んでくる。熱い。熱すぎる。魔力が逆流し、血管という血管が膨張して、全身が脈打っているのがわかる。

騎士としての誇り? 警戒心?

そんなものを維持するための演算領域が、快楽という名の暴力的なデータ量で塗りつぶされていく。

(思考が、まとまらない……。指揮を、執らねばならないのに……)

「力、抜いてくださいね~」

頭上から降ってくるサエの声が、悪魔の囁きのように、あるいは天使の福音のように甘く響く。

「無理、だ……勝手に、身体が……んくぅッ!」

サエの親指が、肩甲骨の裏側、未知の領域を抉った瞬間だった。

脊髄を駆け上がった電流が、脳の理性を司る部分を焼き切った。


「あひぃっ!? な、なに……今の……お、おねが……やめ……っ♡」


口から飛び出したのは、自分でも聞いたことのない、雌の声音。

鎧の下に隠し続けてきた「ただの女」としての本能が、サエの指先によって暴き出され、引きずり出される。

視界がチカチカと明滅する。

ベッドのシーツを握りしめる指から力が抜け、だらしなく開いていく。

(溶ける。私が、騎士団長である私が……ただの肉に、されてしまう……!)


視点は再び、サエの冷静な観察眼へと戻る。


「ふふ、いい声ですね。でも、まだ右肩が残ってますよ」

サエは容赦がない。

もはや抵抗する力もなく、ベッドの上で濡れた魚のようにピクピクと痙攣するヒルダに対し、淡々と施術を続ける。

「くっ、殺せ……! いっそ、殺してくれ……!」

「マッサージで死んだ人はいません。はい、吸って~、吐いて~」

「す、すぅ……はぁ……あ、あぁぁんっ!」


ヒルダの「くっ殺」文句は、サエの巧みなリンパ流しによって、あえなく悦楽の喘ぎへと変換された。

もはや彼女の背中には、鉄壁の防御力など微塵も残っていない。

サエが指を滑らせるたびに、桃色の肌が波打ち、熱を持った吐息が部屋に充満する。

汗とオイルで濡れそぼったその姿は、戦女神の敗北であり、同時に「休息」という名の勝利でもあった。


***


一時間後。

施術台の上には、抜け殻のようになったヒルダが横たわっていた。

瞳の焦点は合っておらず、半開きの口からはほうけた吐息が漏れている。

かつての鋭い眼光は見る影もなく、そこにあるのは、生まれて初めて深い安息(と快楽)を知ってしまった、無防備な女性の姿だけだった。


「お疲れ様でした。ハーブティーをお持ちしましたよ」

サエが湯気の立つカップを差し出すと、ヒルダはのろのろと起き上がろうとして――シーツに絡まってずり落ちそうになった。

「あ……う……」

「無理に動かないで。筋肉が緩んで、力が入らないでしょうから」

サエに背中を支えられ、ヒルダは赤面しながらカップに口をつけた。

温かい液体が喉を通ると、ようやく少しだけ理性が戻ってくる。


「……魔術、だな」

ヒルダは震える声で呟いた。

「ええ、エステという名の魔法です」

「……私の身体が、自分のものではないようだ。鎧が……羽のように軽い」

ヒルダは床に置かれた鎧を見下ろした。あれほど自分を守るために必要だと思っていた金属の塊が、今はただの窮屈な枷に見える。

「それは良かった。でも、長年の蓄積は一度では取りきれませんよ。特に腰回りの深層筋は、あと三回は通っていただかないと」

サエは手際よく次回の予約票を書き込む。


「つ、次……?」

ヒルダは一瞬、迷う素振りを見せた。

騎士団長が、こんな路地裏の店で、あんな恥ずかしい声を上げて蕩かされたなど、知られてはならない。二度と来るべきではない。

だが、彼女の身体は正直だった。

サエの「あの指」の感触を思い出しただけで、背中の筋肉が疼き、奥歯が浮くような渇望が湧き上がってくるのだ。

(あそこを、また……押してほしい)

その欲求は、忠誠心よりも強固な鎖となって、ヒルダの心を縛り付けていた。


「……明日の、同じ時間だ」

ヒルダは予約票をひったくるように受け取ると、逃げるように――しかし、来た時よりはずっと軽やかな足取りで――鎧を纏い直した。

「誰にも言うなよ。これは……国家機密だ」

「ええ、心得ております。顧客情報は絶対遵守ですから」

サエの涼やかな声に見送られ、ヒルダは店を出た。


翌日、王宮の練兵場にて。

「団長、今日はずいぶんと動きがしなやかですね!」

部下の称賛に対し、ヒルダは曖昧に頷いた。

「う、うむ……少し、身体の使い道を変えてな……」

その頬がほんのりと朱に染まり、時折遠くを見るような潤んだ瞳になることを、部下たちはまだ知らない。


そしてサエの店には、早くも次の「素材」の気配が近づいていた。

異世界の強者たちが、その鎧を脱ぎ捨てにくる場所。

『女神の休息所』の伝説は、まだ始まったばかりである。

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