Pride and Preference 8

「じゃあベス子さん、ちょっとこっち来て」

 ジリンがそう手招きした時、ベス子はおそらくすべてが目論見通りに進んでいることに大いに満足していたことだろう。だから、次にこんなことを言われても、やや戸惑いの色を見せただけで、依然媚態を振りまき続ける余裕さえ見せられた。

「ざざっとでいいから、体洗ってくれる?」

「……はい?」

 いつの間にか、草が生い茂る斜面の一角にシャワールームのような設備が一式置かれている。バスタブこそないが、シャワーホースと淡いライトにカーテンと、やりようによってはムードの一つも演出できそうではある。

 とはいえ、そこはあくまで森林風景と文学オブジェクトを主体にした文芸系メタバース空間。官能的な雰囲気はそうそう盛り上がりようがない。このままリアルジリンへの連絡手段だけもらって後日の直接対面となるか、せめて他のそれなりのムーディーな電脳空間へと移動することを予想していたらしいベス子は、いささか拍子抜けしたようだった。

「ここで、シャワー浴びるんですか?」

「そう」

「あの、シャワーの下に立ったら、突然ウサギの体がセクシーウーマンなウルトラピクセルに化ける、とか」

「そういう面倒な仕掛けは入れてないね」

「まさか、私の個人画像がフルヌードになってここで暴露されるなんてことは」

「そんな資金のかかるモジュールはもっと入れてないね。まあいいから、体だけ洗ってくれる?」

「……そういうご趣味にこだわるんなら、いいですけど」

 なぜだか不満そうな響きを交えつつ、かろうじてベス子は甘えた口調を保ったまま、即席シャワールームへピョンピョン跳ねて行った。その姿は、あくまで趣向の話だと自分に言い聞かせているようにも見えた。カーテンを閉める時には、ジリン達に流し目さえ送ってみせたほどだ。

 が、慣れた挙動でシャワーを浴び始めたベス子に、ジリンは雰囲気もへったくれもない声で呼びかけた。

「適当でいいからね。ああ、シルエットなんか意識しなくていいから。ウサギの体でしななんか作っても、ろくに色気なんか出ないでしょう?」

 図星だったらしい。さすがにイラっと来たのか、それからのベス子はただ普通に水流を全身に当てただけで、じきに濡れそぼった姿のままでカーテンを開けて出てきた。さっきまでとは打って変わって総身から不機嫌のオーラがにじみ出ている。

「バスタオルが見当たらないんですけど」

「それは必要ないから。じゃ、次こっちね」

 そう言ってジリンが指さした先には、ウサギの体なら全身で横になれるぐらいの大皿が木の台の上に載っていて、その大皿には白っぽい粉がいっぱいに盛られている。少しばかり興味を戻した目つきで、ベス子が訊いた。

「……美容パウダー?」

「まあそう受け止めてもらってもいいよ。これを全身にはたきつけてくれる?」

「ええっと、あんまりエキセントリックなプレイって、私、経験ないんですけど」

「プレイって何だい?」

 すっとぼけたジリンの口調で諦めたように大皿へ近寄ると、添えられているパフを使って全身に粉をはたきつけるベス子。シャワー上がりの濡れウサギの体は、ほどなく白い泥土をかぶったみたいにもっさりと重たげな外皮で覆われた。グラフィックがただ変化しただけとはいえ、さすがにこの姿は〝中の人〟にも不快だったらしい。

「なんだか全然美しくないんですけど。ジリンさんってこういうのが好み?」

「うん、大変結構。じゃ、これで最後だから」

 そう言ってジリンはその先を指さした。そこにはまたしても不可解なオブジェクトが草地の上に召喚されていた。

 大鍋である。ウサギどころかクマの体でもまるまる入りそうな、丸底の鉄鍋。その下にはふんだんな量の薪が燃え盛っていて、台代わりのコンクリブロックの中では炎の舌が鉄鍋の底を舐め回していた。

 鍋の中は油が煮立っており、これから新鮮な食材が投げ込まれるのを今か今かと待ち構えている。さらにはご丁寧なことに、その鍋へ具材を投下するための階段がしつらえてあり、ジリンがその階段の横でベス子へ向けて手を差し伸べているではないか。

「さあ、お嬢さん、お手をどうぞ」

 しばらくぼーっとその情景を眺めていたベス子は、はっと気がついたように周囲を見回し、鍋の向こう側で視線を止めた。そこには愛熊がいて、バカでかい木の切り株をテーブル代わりにした食卓で席に着き、ナイフとフォークを手に、目をキラキラさせながらじっとが運ばれてくるのを待っている。

 ついに、ベス子は叫んだ。

「宮沢賢治ですかぁっ!」



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