暮華ちゃんは今日もクレーンゲームに沼る
折瀬理人
プロローグ
「あーあ、何か面白いことないかなぁ」
近頃すっかり口癖になっている、今年も流行語大賞になりそうな台詞を口にして、私はメロンクリームソーダを少しだけすすり上げる。
パンダコーヒー店というコスパ最強で知られる喫茶店での一幕である。気のない言葉通り伏し目がちになっていると、口コミで有名な逆写真詐欺のサンドイッチがどんと置かれている。いつもながら見本よりもかなり大きく多い。普通は逆なのに。すごい。でもそれでも私の心はいまいち晴れない。
「それをあたしを前にしてまた言うかー」
すっかり面白くない人代表みたいになってしまった対座の友人が口を尖らせる。でも決して怒ってはいない。毎度のことなので呆れているような態度だ。
「いや、一緒にいて面白くないって言ってるわけじゃないから」
「別にそんなことどうでもいいんだけどさー。そう暗いと心配になるじゃん」
「言葉の弾みというか」
「全然弾んでなかったけど」
「んだね。ごめん」
冷静に失礼だな自覚して私は軽く詫びる。
「最近ますますそんな感じだけど何か不満なの? 悩みがあるとか?」
友人の粗相も謝罪も意に介さず、
「むしろ逆かな。だから困ってるのかも」
私は適当に思考しながら何となく応答する。
「逆?」
「特に不満もなく、これといって悩みらしい悩みもないってこと」
「超最高じゃん」
そりゃそうだ。本来ならそう解釈して世界に今日一日を感謝して眠りにつくべきなのだ。五体満足、中流家庭、体形普通、顔は自分的には中の上、友人もいて両親どちらも健在だ。
なのにいったい何がそんなに面白くないのだろう。
「でも何か最高じゃないの」
「あ、彼氏いないからじゃない。ずっと男いないじゃん」
「そういうんじゃないんだよなぁ」
それだけは言える。性欲は強くないし、新しい男性アイドルグループの台頭を見ても一歩引いて見ている。どころか熱狂しているファンや友達を見ると引いているくらいだ。
でも言えるのはそれくらいのことで、どうしたらこの袋小路から抜け出せるかがわからない。
うわこれって、ひょっとして、鬱ってやつかも知れない。
「じゃあ何なのその死んだ目は」
「それがわからないから困ってるの」
「もう女々しいなぁ」
「だって女だもん。女女してますよ」
「何かこっちまでモヤモヤしてくる。何かヒントとかないの?」
「別に緑に問題出してないから」
「んじゃあ、ほしいものは?」
何が足りないかではなく、何が欲しいかというアプローチのようだ。
視座を変えて言い方を変えたならば、少しくらいはこの胸の曖昧模糊を言語化できるんだろうか。
「ほしいものかぁ。そうだなぁ、世界がひっくり返って変わるような」
巨大なサンドイッチの切れ端を頬張り租借し、私は脳に栄養を送り込む。
「ような?」
「文明開化の音? みたいな」
普通に駄目だった。
※
「じゃあさーあ、最近はまってるキャラとかいない?」
恒例の道草の帰り道、ふと好きなキャラクターの話になった。男性に興味がないなら、マスコットはどうなんだというまた新たな方向性である。
もっと言うと三次元に答えがないなら二次元に活路があるのではないか、という斬新な発想。
親身になってくれる友人には痛み入るが、そっちはそっちでそこまでってなもの。
イケメンとか言われてちやほやされている男よりかは関心があるくらいだ。
「しいて言うなら、ブリーフうさぎかなぁ」
「おっ、ブリうさ。あたしも超好き。ようつべでアニメやってるよね。なんだ、ハッピーになれそうな推しキャラいるじゃん」
「私は超はつけてない」
「幸せになるためには推しを作るのが一番だと思うんだよね、あたし」
何だかんだ私のことについて考えてくれていたらしい。でもこちらからするとちょっと空回りというか、的外れというか、そこらへんがどうももどかしい。
「推しとも言ってない。少しいいなって思った程度」
ブリーフうさぎとは、最近になって巷で急速に伸びてきている新進気鋭のマスコットキャラクターだ。腕も短く短足で顔も不細工だが、表情が妙に愛くるしくいかしているのだ。可愛い一辺倒だったマスコット業界に一石を投じている感じがして好きだ。
好きとていってもただ好きなだけだけで、推しとかはオーバーすぎる。
「まあ細かいことはいいから、グッズでも集めてみたら。部屋いっぱいにさ」
「ブリうさのグッズ? まああれだけ人気ならそりゃたくさん出てるか」
「集めだしたら人生が一気に楽しくなるかもよ」
歩道を少し走って振り返った友人は、私とは打って変わってとても楽しそうだ。何か秘訣があるなら賜りたい。
「そうかなぁ」
「そうそう」
「でもどこに売ってるとか知らないよ」
もうこうやってやらない言い訳を探している時点で私は終わってる気がする。
「んー、あたしもそんなに詳しくないけど、この前ゲーセンに行ったらいろいろあったよ」
「へー、もうそんなところにもグッズ展開してるのか。早いなぁ」
「これから寄ってみたら?」
「えー」
めっちゃ嫌そうな声が出た。
そこまでの記憶は鮮明なのに、そのあとの過程がどうも飛んでいて、いつの間にかゲーセンの入り口に私はぽつんと立っていた。
さっきから出入りする客が奇異の目でこちらを一瞥している。
「せっかくだし、一個だけ取って帰ろうかな」
決して巷で人気のブリうさグッズがほしかったからじゃない。彼女にプレゼントしたら喜ぶだろうな、という光景が瞬時に浮かんだからだ。
これは腑抜けた私に付き合わせてしまっている、せめてもの罪滅ぼし。
私、
たかがゲームセンターに入るにしてはなかなか気合の入った入店の仕方だが、それも無理はない。これまでの私の人生であまりに縁がなかった。来たとしても付き合いで友達とプリクラを撮るくらいでゲームなんてろくにやらないし、ひとりで来るなんてことはまずなかった。何より偏見かも知れないけど男が行くところというイメージが強い。だってゲームとかフィギュアとか置いてあるし。
なので男の人専用のアダルトコーナーに潜入しているような気がして、なんとなく居心地が悪い。実際に男性の比率がかなり高い。女子高生がひとりでいるなんて私くらいなものだ。
さっさと用事を済ませようと店内を探索する。 何の作品のものかわからない美少女フィギュア、どでかいぬいぐるみ、かと思えばやたらと小さい景品。他にはお菓子類も。
改めて眺めてみると、本当に多種多様なものが景品になっていて感心する。
「いろいろあるんだなぁ。あ、あった」
お目当てのものを発見して思わず大きな声が出る。
まず目についたものはクレーンゲームと中に貼られたポスター。ブリうさがでかでかとプリントされていて、ブリーフうさぎとこれまた大きく文字が書かれている。その下に全一種の文字。
しかし困ったのは、それがフィギュアだったことだ。ブリーフうさぎが箱になってしまっている。思っていたものと違う。小物がよかった。
「ぐっ、よりによってフィギュアか。こんなものまで出てるとは……」
ちょっと身構えてしまったのは、フィギュア系は取るのが難しい、という先入観があったからだ。事実、難しいはずだ。棒と棒があって、その細い間にちょうど落としてゲットする。もしそれが簡単ならこの店はとっくに潰れている。
出来ればやりたくない。仮にフィギュアがほしいのならフリマサイトとかで買ったほうが断然安上りなはずだ、と危険信号が点滅している。
しかしタイミングが悪いのか、他にブリうさのグッズらしきものは見当たらなかった。
「ま、まあ案外あっさり取れるかも知れないし、うん。ビギナーズラックってやつでさくっといっちゃおうー」
とりあえず財布から百円を取り出し投入する私。
こういうものに経験がなかったので右も左もわからない状態だが、右のボタンが横移動で、左ボタンが縦移動ということはさすがにわかる。だって親切な矢印マークがあるし。
一、二、という手順でアームを動かす。そして手を離すと勝手に二本の爪が開いて景品の箱に降りていった。
移動。開閉。持ち上げる。すぐ落ちる。終了。一プレイがこの流れ。
そして眼前にあるのはさっきより数センチずれただけのブリうさ。
「嘘でしょっ。こ、こんなんで私の百円がっ」
軽い衝撃が走ったが、少し離れたところで誰かが景品をゲットした派手な音がして、まだもう少しやってみるかと思い留まる。
「ま、まあ、いまのは運が悪かっただけ。他の人は手に入っているわけだし」
クレーンゲームが簡単だったら店が成立しないのは道理だけど、高難度すぎても成立しないのも道理だ。つまりちゃんと取れるようにはなってるはず。現にさっきの人も取れていた。
「たかがゲーム。私にだってすぐ取れるはず、うん」
元来の負けず嫌いが出てきて、私はついに本気を出す。
「私を本気にさせたな。なめんなっ」
が、紆余曲折を経て手持ちの百円が尽きかけたころ、私は完全に沼っていた。沼といっても底なし沼のほうだ。
景品はあっちへ転がりこっちへ転がり、同じところをぱったんぱったん、まったく終わりが見えない。
「どうしてだよぉおおおおお」
ガラスにへばりつき、人目をはばからず私は慟哭する。
念のため景品の取り出し口から頭や手を突っ込んでみたが、全然駄目、手が届かない。
冷静に考えて、やめればいいのに、やめるべきなのに、やめられない。
だってここでやめたらこれまでのお金が無駄になってしまう。
だけど本当にもう無理。
続けたくてももうお金がない。
「あーあ、こんなんならやるんじゃなかった。バカみたい」
後ろ髪引かれる思いで半泣きになりながら踵を返したそのとき、ふと甘いパフュームの香りがした。そう認識した瞬間、私の横を誰かが通り過ぎて行った。
「この形でやめるなんてもったいない。これはリーチの形だよ」
反射的に振り返ると、黒いスーツの大人の人が私がプレイしていたブースの前で止まっている。
「もしかしてそれ私に言ってます?」
「そうだよ、だって君がこれをプレイしていたんでしょ?」
会話が成立して、初めてその人が女性だと私は気づいた。黒尽くめスーツにウルフヘアと、とてもボーイッシュな佇まいをしていたので一瞬だけ男の人かと思っていたのだ。
女性なのにイケメンですごく不思議な雰囲気の人。
「そうですけど、私初めてやってみたら全然ダメで」
「でもこれはリーチの形だ」
断言する女性とは裏腹に、私にはそうには微塵も思えない。
ブリうさのフィギュアが入っているであろう、いまやすっかり憎たらしい箱が、やや斜めの状態で橋の隙間にはまっている。
リーチ、つまりここからあとワンプレイで獲得するなんてたちの悪い冗談だ。
「まったくそうは思えませんけど」
「私が百円をあげるから、言われたとおりにやってみて。きっと取れるから」
「はい?」
どういう展開だと混乱している間にイケメン女性はコインを投入口に入れて、私を手招きする。
その流れるような華麗さに私は抗えなかった。
甘い密に誘われる蝶というか何というか。全てが自然なことのように感じた。
それからまた記憶が曖昧だ。
「そう、その位置で降ろせば角に肘をかけられて回って落ちるはずだよ」
至近距離の彼女に対して何故かドキドキしていたし。
「こ、ここですか」
これで取れなかったら恥をかかせてしまうとか変な気を使っていたし。
盗れなかったら余計に落ち込むし。
「そう、そこだよ」
気がつけば親切な彼女は結果を見届けることもなく颯爽と去っていった。
残ったのは私とブリーフうさぎの箱。
たった数分、夢か幻のような儚い時間だった。
だけどその中でひとつだけ鮮明に憶えていることがある。
景品が落ちた瞬間に耳にした、あの『ゴトン』という音を。
そこで私は確かに、人生が変わるような、文明開化の音を聞いたのだ。
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