第6話
自分のデスクに戻り、ふと私はさきほどの発言を反芻する。
過酷な環境で育った種は強く育つ。自分で述べておいて言い得て妙だった。
それを明確に目撃したのは二十代前半の頃だ。当時、いわゆる御曹司と呼ばれる大学の友人がひとりいた。彼は優秀な癖に根が真面目なのか、折に触れ、勉強一筋で世の中のことを何もわかっていない己のことを恥じていた。終いには「ヒッチハイクで日本一周でもしようかな」とまで宣い出すほどだった。
私はそんなことで悩むなんて贅沢な奴だと思いつつも「そんなこと言うならいっそ世界旅行でもしたらどうだ」と受け答えをした。
ところが驚いたことに、彼は卒業とともに本当に飛行機で旅立ってしまった。彼と再会したのはそれから一年以上後のことだ。久しぶりに対面した彼は信じられないほど顔つきや雰囲気が変わっていた。元は痩躯だった体はがっちりした体形に、色白だった陶器のような肌は浅黒く日焼けしていた。何より目だ。野性味というのか、目の奥にある輝きが私の知っているものと違った。それが私の観測した、環境や経験が人体や精神に影響を与えるという個人的事例だ。
であるならば、逆も然りである。
親に甘えかされて育った子供はタイヤ交換すらできないし、家飼いの犬や猫は外では生きていけないし、餌を与えられて育った鳥は自分で餌をとることができない。
そして幻想を抱いているファンは、少しの幻滅も許容できない。
偶像とは、マリア像や仏像のように夢を見せる神秘の存在で、見せた夢を途中で壊すことは絶対に許されない。そのときのダメージは信心の大きさに比例するからだ。まかり間違えば暴動が起きかねない。
そのためにタレントの間には契約書があり、厳しく管理するマネージャーが銘々にあてがわれている。
さりとて、この均衡を破られるリスクを社内が認識していないわけではない。リスクとはつまり、ちょっとした行為や解釈の違いだけでも炎上してしまうという危機感だ。
男からナンパされたというエピソードだけで炎上するのに、隠れて男と付き合っていることが発覚したら……。
そこまで考えて私は思考を停止する。
「霧ヶ峰さん、やっほー」
椅子に深く沈み込んでいると、斜め後方から声をかけられた。振り返るとまん丸顔に垂れ目の人懐っこい女性がいる。
白色担当、桜井咲良。かなり初期からカラーズに在籍しているので、墓場鳥の大先輩にあたる。
彼女とは少しの間だけマネージャーとタレントの関係になったことがある。先輩である専属マネージャーの佐々木が産休に入り、そこで採用されたばかりの私が急遽ドッキングしたという流れだ。彼女とはそれからの付き合いなので、担当外ではもっとも仲のいい間柄だった。
「咲良か。しばらく本社に来る予定はなかったと思うが?」
「さすが霧ヶ峰さん、担当の子以外の予定までしっかり頭に入ってるとは」
「買い被りすぎだ。それでどうした?」
「今日はダンスレッスンの帰り。ちょっとふらっと寄っただけだよ」
言われてみれば胸まである髪が少し湿っている。しかし服装はスポーティーなものではなくレディスーツだ。ふらっと寄ったにしてはちゃんと着替えている。業務外ではあるが、会社に私服だと目立ちすぎるからだろう。
表には出さなかったが、彼女の相変わらずなプロ意識に私は感心する。
ダンスレッスンやボイストレーニングは主にライブ前や収録前にしか義務付けられていない。そのあとは本人の自由意思に任せている。それでも定期的に研鑽するのは、向上心以外の何物でもない。どちらかというと、ライブ後は持ち歌の振り付けすら忘れてしまうが普通だ。
少なくともいま私が担当している墓場鳥はゲームばかりしていて、そもそも最低限しか外に出ようとしない。彼女の爪の垢を煎じて飲ませてあげたいものだ。
「熱心だな。しばらくイベントもないのに」
「私ももう若くないし人一倍頑張らないとなって。ほら、新しく入ってきた若い子と一緒に踊って、キレが悪いとか言われたくないでしょ」
「ん? 確か咲良は女子高生じゃなかったか?」
私がお道化ると、彼女は「もうっ」と大きく目を剥いた。
「それエイジハラスメントって言うんだから。エジハラだよ。ぷんぷん」
制服を着た女子高生キャラにして、チャンネル登録者百万人。彼女は裏表のない人懐っこさでその記録を打ち立て、社内でも一目置かれている。
「でも羨ましいな。年をとらないっていうのは」
「まあ中身はしっかりきっちり取ってるですけどねー。っていうかそうだ、もーちょっと聞いてよー」
桜井の口癖はこの『もーちょっと聞いてよ』である。実際のボリュームはちょっとどころではないのだが、よく控室などでも他のカラーズメンバーに話の押し売りをしている。
基本的にどれもしょうもないことなので聞かなくてもいいのだが、つい圧に押されて私も耳を貸してしまうことになる。そうさせるだけの愛嬌が彼女にはあった。
「わかった。元マネのよしみで聞こう。でもここじゃなんだから場所を移そうか」
隣のデスクの椅子は空いていたがいつ戻ってくるかはわからないので、私たちは廊下の先にある休憩スペースに場所を移す。
社内にはどの階にもラウンジのような軽くくつろげる場所が設置されている。部署が違う人間同士が交流するときに使用されるものだ。
置かれているのは机と椅子とソファと、自販機がふたつ。自販機のひとつは一面がエナジードリンクで、相対するだけで気が引き締まるようだった。
そこで無料のエナジードリンクを二本キャッチして、揃ってソファタイプのベンチに腰を下ろす。
「で、相談って?」
私が尋ねると、細長い缶から慌てて桜井が唇を離す。
「別に相談って一言も言ってないんですけど。いや相談なんだけど、親が結婚はどうするんだって最近やたら煩くてさー」
何事かと思ったら存外ヘビーなものが来た。
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