第9話 情けない奴

 その後の授業がまったく身に入らなかったのは言うまでもない。


 女子の着替えを初めて見てしまった罪悪感。

 その女子にママと言ってしまった後悔。

 そしてママになって上げようかという発言。


 とても男子高校生には荷が重すぎるシチュエーションのせいで、俺の意識はすっかり宇宙に取り残されてしまった。『ここテストに出るぞ』なんて教師の合言葉も右から左に受け流すだけだし、誉から渡された練習メニューもまったく頭に入らずにいる。


 駄目だ。福路さんの全てを包み込むような母の顔しか頭にない。


 あんなにおっぱい大きかったんだ。柔らかそうだった。


 埋まったらどれだけ気持ちいいだろう。


 ……。


 ……。


 …………駄目だ!! 俺、なんてこと考えてやがる!? 男として最低過ぎるぞ!!


 と、一人四苦八苦していると前の席にいる福路さんが何やら、笑みを浮かべて俺の事を観察していやがる。やっぱりさっきの発言は揶揄っていただけなんだろう。男子のことを試すような悪女には見えなかったのに……!!


 だが上の空で福路さんに『ママ』と甘えてしまった身だ。おっぱいだって覗いてしまった。弱みは嫌というほど握られてしまった。


 とにかく後で誤解を解こう。着替えを見てしまった件については菓子折りでも持って謝りに行こう。


 そしていい加減滝行にでも行って、捻じ曲がった煩悩を取り去るとしよう。真理のせいで居もしない母親を求める性癖がほんの少しだけあるようだ。このままでは誉を始めとした性癖軍団を笑うことも出来やしない。


「――隆司、隆司、隆司!!」


「大丈夫だ。俺は健全だ。そしてノーマルだ」


「は? いや、もう授業終わったって。早く部室に行くぞ」


「俺はノーマルだ。俺はノーマルだ。俺はノーママだ」


「ノーママ?」


「うぐっ!?」


 何とか目を覚ます。危ない、また同じ失態を侵すところだった。しかも誉の前でこんなことした日には卒業するまで一生ネタとして擦られる!


 よし、平常心平常心。福路さんも放課後だからか居ない。ここにママはいない。故にノーママ、俺はノーマル。


 心の平衡状態を指差しで確認完了。


 俺はテニスバッグを肩に担ぐのだった。


「そうだ、福路の件聞いたよな?」


 俺はテニスバッグを肩から落とすのだった。


「えっ!? な、何が!? まさか体育の時……」


 まさか体育の授業直前、この教室で福路さんと二人きりで起きたイベントがバレた!?

 

 なんて説明すればいいんだ! 百合籠高校No.1の美少女が私の母になってくれるかもしれない女性だったって話でもすりゃいいのか!?


「体育? なんの事だ、お前今日熱でもあるんじゃねえのか?」


「いやあそんな事ない。忘れてくれ」


 誤魔化すのにも体力を使うんだが。しかし体育の授業で起きたことは周りには伝わっていないようだ。学校一の美少女のインナー姿を目撃し、かつそのおっぱいにしゃぶりついてママにしていたなんてバレてたら集団イジメの対象だ。もう学校に二本足で立っていられないだろう。


「で? 福路さんがどうしたって?」


「福路がテニス部にマネージャーとして入部したらしい」


 なーんだ、テニス部のマネージャーになったのかぁ。



「……は? え?」


◇◆


「今日からテニス部にて皆さまのご支援をします、福路千穂です。まだ体験入部のマネージャーという形ではございますが、なにとぞよろしくお願いいたします」


 本日のテニス部視聴覚室ミーティングは異様な雰囲気に包まれていた。昨年度ミスコン優勝者のモデルと見間違うような少女が、一応強豪校とはいえ我が部のマネージャーになると壇上で言い放ったのだから。


 男子テニス部だけでなく女子テニス部からも住む次元が違うのに、と一部神格化している声さえ聞こえる。なんというか有名アイドルが一日マネージャーをやりますと来たらこんな感じなんだろうな、という反応で満ちている。


 ミーティングで私語でもしようものなら雷を飛ばしてくる三間森先生も、今だけは様子を伺っている。入部届を出しに来たのがつい一時間前と青天の霹靂もいいところで、さしもの名顧問も戸惑っているに違いない。


 そして真理が唖然とするところなんて初めて見た。学校ではいつも冷静沈着の機会みたいな無表情に努めてきたのに。


「くそぅ……なんで羽原ちゃんみたいな妹キャラが入ってくれないんだ……しかしマネージャー途中入部の前例が出来たのは良い事だ。学校各地に散らばる妹候補に声を掛けるか?」


 誉は定時運行なので放置確定。妹ハーレムでも作るつもりだろうか。


「……とりあえず紹介は終わりだ。コートに集合。羽原、マネージャーのあれこれはお前が教えてやれ。赤古はフォローだ」


 俺と真理に丸投げして三間森先生が練習前ミーティングを閉めた。しかしあの鬼顧問にしてはやっぱり歯切れが悪い。


 とりあえず視聴覚室には俺と真理と福路さんだけが残り、テニス部の紹介とかマネージャーの心得とか毎日の業務を伝えるのだった。イレギュラー事態にも関わらず引継ぎも完ぺきにこなせるのは流石真理だ。


「……という訳で、まずはドリンクを一緒に作りましょう」


「うん。分かった、教えてくれてありがとうございます、真理ちゃん」


 簡潔な説明も終わり、真理と福路さんも部員全員分のボトルを入れに――入らない。その前に俺と真理へ交互に一瞥すると微笑を浮かべた。


 ……妙なくすぐったさが俺の中に迸る。着替えを見てしまい、膝枕された後に迫って来たあの聖母のような笑みを見た。


「ねでも真理ちゃん。もう一つ、やらないといけない事があるんじゃないかな」


「いや、真理が言ったのでやることは全てだぞ」


「そうかなぁ。例えば毎日頑張ってる部長さんを励ます事、とか」


「ど、どういう事ですか」


「真理ちゃんは分かってるくせに。?」


「待て待て待て待て」


「待ってください待ってください待ってください」


 真理とシンクロした。福路さんを抑えて周りに誰もいないか確認する動作も、学校にも散々秘密にしてきた筈の俺達の同居関係を何故知っているのかという動揺も見事にシンクロしていた。


「いや、本気で。なんで知ってるの……!?」


「大丈夫ですよ。別に周りにはバラしませんし、まったく脅すつもりもございませんから」


 焦る俺達を面白そうに見つめながら、しかしあくまで人畜無害そうな笑みで福路さんは続ける。


「でも真理ちゃんも気持ちも尤もです。学校でママと呼ばれるのは、物凄い恥ずかしいことですものね」


「あっ、いや、えっ……」


「だから隆司くん」


 俺の前にいるのは清楚で麗しくて胸が大きくてモデルのような体形な――


「学校では私をママだと思って、いっぱい甘えていいからね」


 ――紛う事なき、二人目のママである。

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