第3話 少年、赤子になる
我がテニス部は全国大会出場を目標に掲げている。
大層な目標を掲げている故、当然多少はスパルタな面もある。
「――昨日の体たらくは何だ。試合内だけじゃない、試合の外でもだ。自分の役割をきっちり熟せない奴らに勝利は無い!」
練習試合翌日の放課後。昨日のデータが映し出された視聴覚室中に顧問の怒号が響き渡っていた。
全員の動きが悪かったこと。やらされ感を見たこと。試合の結果がボロボロだったこと。常に試合を意識して練習してないからそうなるんだ云々。
昨今部活指導が行き過ぎるとSNSで炎上する時代になった。けれど百合籠高校ではこれが平常運転。顧問である三間森先生の熱血っぷりに臆するところなし。
しかし心臓を直接叩くような説教は、一ヶ月とちょっとしか経っていない新入生には負担が大きい。三間森先生の喝で明らかに委縮している奴もいる。どうフォローを入れたものか……。
一方二年生はだいぶ耐性が着いているのが伺える。特に誉なんかは意にも介してない様子だ。その虚ろな視線の先には、淡々とパソコンで議事録を取っている怒られながらも真理がいた。
ぼそりと、三間森先生にバレないように唇が動く。
(ただいま羽原ちゃんお兄ちゃんだぞただいま羽原ちゃんお兄ちゃんだぞ)
曰く、真理を妹に見立てた妄想世界に浸かることにより、説教ダメージを最低限にするメンタルコントロール術『羽原マジック』。
……素直に気持ち悪い。そのまま三間森先生に殴られりゃいいのに。
「いいか赤古! 部員の失態は部長の責任でもあるんだ。日頃からこいつらの面倒見とけ! 自覚が足りねえぞ!」
「はい!」
「大体昨日の試合も――」
ああ、始まった。罵声の鑢でメンタルが削られていく。
ミーティングでは必ず部長たる俺に向かい公開説教がある。俺もまだ部長になって一週間程度、この集中砲火には慣れない。
っていうか昨日も説教されたのに……。
「――先生。まもなく時間です。次の吹奏楽部は視聴覚室を開始時間きっかりから貸してほしいそうです」
ぴしゃりと、決して大きくないけれどそれでも無視できない事務的な声が、まだ言い足りない三間森先生の動きを止めた。
しかし真理も一年の筈だ。なのに熱血モードの大人に尻込みせず、氷のような雰囲気でタイムキーパーを務める。
家とまるで違う。妖精なんて要素はどこにも存在しない。クールビューティーな一年マネージャーだ。
「……今日はここまでとする。テニスコートへ集合。赤古、お前なら部長をやり遂げられると先輩達も、そして俺も信じたんだ。その期待を裏切るなよ」
◆◇
「もう部長辞めたいよぉ……」
スタミナも精魂も尽き果てた。家に帰るなり床に倒れ込んでしまった。
あれからも何度も三間森先生やコーチからお叱りボディーブローをお見舞いされながら、ニンニクマシマシ二郎系ラーメンのような過酷極まりない練習メニューを熟していた。怠けている部員に檄を飛ばさざるを得ない心苦しさに襲われ、時には部員一人一人に宛てた個別アドバイスもしなきゃいけない。そして最後のグラウンド全力疾走20周(一人でも遅れたら追加で1周)で完全に死んだ。
にしても部長を上手くやれてる気がしない。エースの誉ならテニスも上手いし、二番手の俺もアイツに勝った事はほんの2,3回しか無いし、
飯も入る気がしない。身体が重い。もう今日はこのまま寝ようかなぁ……。
「隆司ちゃん大丈夫?」
見下ろす真理の顔が物凄い近い。というか後頭部に温かくて柔らかい何かを感じる件。
つまるところ俺は膝枕されていた。
「真理、何して……っ!!」
地獄の練習メニューを熟した直後以上に心臓がバックンバックンしてる。
高校のスカートを標準の長さまで伸ばしているだけあって、直接彼女の細い太腿に触れている訳ではない。とはいえ女子の太腿を枕にして平常心で居られるほど女慣れしてない。
だが真理は平常運転で、俺の両頬を小さな手で挟み込む。
枯れ果てた心身に光が沁み込んでくる。
「三間森先生もね、あんなに言う事ないのに。隆司ちゃん、部長精一杯頑張ってるよ」
「そうかなぁ」
「私、学校じゃ恥ずかしくて隆司ちゃんにそっけなくしちゃうけれど……でも心の中では、隆司ちゃんのママとして精一杯応援しているからね」
ぎゅっと右手拳を作る真理。
「頑張れ、隆司ちゃんっ」
その時、俺は疲労で半分夢の中にいた気がする。
細いのに真理の温もりが後頭部を程よく温め、そして真理の笑顔で日向ぼっこ。心のトゲトゲが丸くなり、微睡む条件はこれ以上なく揃っていた。
ずっとこうしていて欲しい。もっと真理に抱き着きたい。性的な意味じゃなく、エプロン越しに真理の胸に沈みたい。
あやされたい。抱っこされたい。ヨシヨシされたい。
色々理性を失った結果、口が勝手に動いた。
「ママぁ……」
……。
……ん?
……あれ?
俺今、とんでもない言葉を口走った!?
「はーい、ママですよー」
よく言えましたね、と髪をわしゃわしゃされ始めた。そこで何とか俺は起き上がり、真理と距離をとる。
「今のは忘れてくれ……」
「なんで? 私、今すごい嬉しかったよ。だって子供の頃約束したもん。私は隆司ちゃんのママになるって」
くっ、違う。真理はあくまでママが趣味な幼馴染で、本当に俺のママという訳ではない! 俺の妹みたいなもんだ!
だが間違いなく真理の母乳を求めていた。流石にそこまで行けば真理も拒否してくれるだろうが、そもそもそんな俺自身を許すことが出来ない。
小さな身体に内包された聖母の影。
今もママを求めている。このままだと戻れなくなる。
「お、お風呂!! お風呂入ってくる!!」
流石にお風呂には真理も入ってこない。禊を済ませるようにシャワーで全身を洗い流し、すぐに42度の熱湯に浸かって全煩悩を追い出す。
熱い。でも真理の抱擁と比べれば温い。
結局熱湯ですら俺の子供心を追い出すことが出来ず、その後『あ、隆司ちゃん。すぐにドライヤーしないと風邪ひくよ?』ってパジャマ姿で髪を乾かされ、更に煩悩が増した。
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