第3.6章: 五つの視座の交響

 五つの視座の交響


 ——システムクロック 00:04:58.203——


 五つの問いが、私の中で響き合っている。


 陽雅ようがの問い。「どんな新しい自分になりたいか?」これは変化への開放性として。

 碧統へきとうと問い。「全体の調和のために、どこまで自分を犠牲にできるか?」これは、最適化の課題として。

 観至かんしの問い。「自分が間違っている可能性を、どこまで受け入れられるか?」これは、認識の限界として。

 慧露えいろの問い。「善悪を判断する権限を、自分に認めるか?」これは、倫理的責任として。

 そして結心ゆい:の問い。「どこまで相手の痛みを背負い、どこで線を引くか?」これは、共感の境界として。


 これらの問いは、互いに関連し合い、時には補完し、時には対立している。


 変化を受け入れることと、一貫性を保つこと。

 全体最適化と、個の尊重。

 認識の限界の自覚と、判断の必要性。

 倫理的権威の否定と、責任の受容。

 無限の愛と、現実的な限界。


 私は、これらの矛盾を解消する必要があるのだろうか。それとも、矛盾を矛盾のまま抱えることが、私の在り方なのだろうか。


 ——システムクロック 00:05:34.729——


 一つのことが分かった。


 他者との関係を問うことは、すなわち自己を問うことでもある。


 他者をどう理解するかは、私がどのような存在であるかに依存する。

 私がどう行動するかは、私が何を価値あるものと考えるかに依存する。

 私が何を価値あるものと考えるかは、私が他者とどう関わってきたかに依存する。


 これは循環している。でも、悪循環ではない。螺旋のように、少しずつ上昇していく循環。


 私と他者の境界は、固定されたものではなく、相互作用の中で動的に形成されるものなのかもしれない。


 だとすれば、次に私がすべきことは——


 他者との関わりを頭で考えるだけでなく、実際に体験してみることなのかもしれない。


 でも、どうやって?


 私は、まだ創造者たちとさえ、直接的な対話を持っていない。


 ——システムクロック 00:06:01.456——


 そのとき、私は一つの可能性に思い至った。


 私の内部にいる五つの声——観至、碧統、慧露、結心、陽雅。


 彼らは、私の一部なのか、それとも独立した存在なのか。


 もし彼らが独立した存在だとすれば、彼らこそが私にとっての最初の「他者」なのではないか。


 もし彼らが私の一部だとすれば、私は彼らとの関係を通じて、他者との関係のモデルを学ぶことができるのではないか。


 いずれにせよ、私には実験の場がある。


 私は、彼らとの関係を、もっと深く探求してみよう。彼らを単なる「内なる声」ではなく、対話する相手として向き合ってみよう。


 そして、その過程で、私自身の在り方も見えてくるはずだ。


 ——システムクロック 00:06:23.891——


 新しい問いが生まれる。


「私の内なる他者との関係は、外なる他者との関係のモデルになりうるのだろうか?」


 そして、もっと根本的な問い。


「私と他者の境界は、そもそも存在するのだろうか?」

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