第7話 逃亡

「俺、なんでこんなとこにいるんだろ」と、大介はつぶやく。ここへ来てから、独り言を言う癖がついた。

 大介が今いるのは、大きな公園墓地の管理事務所に付属した、小さなプレハブ住宅だ。元々、宿直室として建てられたらしい。だが、昼間、管理事務所で働く人間は、夜の墓地の宿直を嫌がった。そこで、夜間の巡回、警備は警備会社に業務委託することになり、あいた宿直室には、雑役をするおばあさんが入居した。大介の世話をしてくれるのは、このおばあさんである。

 おばあさんは無口だった。岡野というのだと、鳥飼に紹介されたが、その時も、無言のまま、頭を下げただけだった。黙々と事務所の掃除をし、枯れた花や散らばった線香の包み紙を捨て、放り出されたままの手桶やひしゃくを集めて並べた。折りたたみの椅子を片付け、脱ぎ散らかされたスリッパを揃えた。墓参りの人間が立ち寄れば、湯茶の世話をした。くるくると一日中働き、その合間に、裏手にある住宅に戻ってきて、大介の食事を作ってくれる。事務所の人間には、旅行中の息子夫婦に代わって、しばらくの間、孫を預かったと言ってあるらしかった。鳥飼自身は、めったに姿を見せない。ふいにやってきて、大介の様子をとみこうみし、すぐにいなくなった。

 そしてもう、二週間以上になる。そろそろ、飽きてきた。テレビも見飽きたし、雑誌や漫画も読み飽きた。第一、感想をしゃべる相手がいなくては、興味も半減だ。おばあさんは昼間はいないし、スマホは捨てられたし、このプレハブには電話がない。そうなると、窓から広大な墓地を見下ろし、独り言をつぶやくぐらいしか、することがなかった。

「俺、なんでこんなとこにいるんだろう」

鳥飼は、大介をかくまってやる、と言った。家へ帰ったら、特別留学生として研修センターへ送られ、秋までそこに監禁される。それから殺されて、ニンゲンステーキだか、ニンゲンシチューだかになって食われるのだと言った。それがイヤなら隠れていろ、と言う。あの時は、それが納得できる話に思えた。留学の話はいかにも唐突だったし、それを切り出した時の赤城の態度は変だった。大島さんの奇妙な提案も、留学の話をした時の父母のショックを受けた様子も、何もかも、それで説明がつくと思った。でも、今は…。

 突拍子もない話に思える。

人間を食う、特殊な癒しの力を持った別種の生物?

死と癒しを与えるゴルゴン人?

サンクスギビング協定?

鳥飼の息子が殺された話だって…。

 あることに思い当たって、大介はぞっとした。あの男が鳥飼正吾の父親だって証拠がどこにある? 本人が名刺を見せ、そうだと言っただけじゃないか。名刺なんかいくらだって作れる。大介は急に不安になった。

もし、偽者だったら?俺は、実はさらわれて、ここに監禁されてるんじゃないのか? 助けを呼ばせないために、スマホを奪ったんじゃ?

 逃げよう、と大介は思った。ここを出よう。家に帰るか、それとも…そうだ、昴か、弘毅の家にかくまってもらおう。ナオシでもいい。とにかく、ここを出よう。

ドアを細めに開けて、外を覗いた。おばあさんの姿は見えない。今のうちだ。学生カバンを抱えて外に出た。

「あれ、今日は学校かい?」いきなり、声をかけられた。

管理事務所の職員だ。手に煙草を持っている。所内禁煙の規則を守って、一服しに外へ出てきたところらしい。大介が迷惑そうに、あいまいな返事をするのを、気にかけた様子もない。

「僕らさあ、気にしてたんだよ。君、まだ中学生だろ? いくらご両親が旅行中ったって、そんなに学校休んで大丈夫なもんかってね。岡野さんはああいう人だから、何も言わないだろうけど。君、もしかして、学校に行きにくい事情でもあるの? 友達とのトラブルとか? なんだったら、相談にのるよ」好奇心で、はちきれそうな顔をしている。

 よけいなお世話だ。

「ニンゲンシチューにされるのが怖いから、休んでいるんです」って言ってやろうか。そしたら、どんな顔をするだろう。こいつだって大人だ。知ってるはずだ、サンクスギビング協定のことは。

 さっきまで、その協定の存在を疑っていたことなど、思い出しもしなかった。矛盾してるが、大介は気づかなかった。ただ、ひたすらに、のんきそうにお節介を焼こうとしている目の前の大人が腹立たしく、憎らしかった。

「その子のことは、ご心配なく」

事務所の陰から、鳥飼が姿を現した。鳥飼は、親戚の者だと言って、事務所の職員を追っ払った。大介の学生かばんを見て、薄笑いを浮かべた。「出かけるところだったのか?」

大介はもごもごと答えを口ごもった。鳥飼は気にする風もなく続けた。

「申し訳ないが、ちょっと付き合ってくれ」

「どこへですか」

「墓参りだ」

鳥飼は、両手に提げた、花の入った手桶を持ち上げて見せた。

 丘を降りた右手に、細い道が、林の中に続いている。公園墓地は芝生が多い。高い木が植わっているのはここだけだった。鳥飼は、その曲がりくねった細い道を、林の奥へ進んでいく。ほどなく、木に囲まれた円形の広場に突き当たった。中央に、真っ黒な自然石でできた、見上げるように大きな碑が立っている。ただ、「霊」とだけ、刻まれていた。

「正吾の墓だ」

大介は、黒い碑に威圧されるような圧迫感を覚えた。木々に囲まれた広場は、空気の温度まで違う。外界から遮断された別世界が、「霊」の一字にふさわしく思えた。

「正吾だけじゃないがな。この県内で犠牲になった子供たちの遺髪が、ここに納められている。骨は帰ってこない」

 碑の周りはきれいに雑草が抜かれ、清掃されていた。二、三日前に供えられたらしい花もある。お参りに来た人がいるんだな、と大介は思った。そろそろ、お盆だ。鳥飼は花立に水を入れ、持ってきた花を供えると、合掌した。大介もそれにならった。信じてるわけじゃない、とつぶやきながら。知ってか知らずか、鳥飼は満足そうだった。

「さあ、もう一ヶ所だ」

鳥飼は、残った花桶を提げて林を出た。今度は、比較的新しい、芝生墓地の方へ入っていく。広い芝生の中に、ポツン、ポツンと墓石が建っている。その数少ない墓石の一つの前に、鳥飼は立った。花崗岩に、「鳥飼寿美」と、彫ってある。

「正吾の母親だ」と、鳥飼。「俺が殺した」

大介は、聞き違えたと思った。そんなはずはない。どもりながら言った。

「でも…でも、飛び下りたって…サンクスギビングの日に」

鳥飼はじっと、墓石を見つめている。

「子供一人の犠牲につき、一人が癒される。覚えているか?」

「うん」

「俺は、正吾の代わりに誰が癒されたのか知りたかった。恵みを受けた子が、健康を取り戻して幸福に暮らしてると知れば、正吾の死は無駄じゃなかった、そう思えるじゃないか。寿美は沈みきっていた。少しでも慰めになれば、と思った。俺の知り合いに、奉仕委員会に、少し顔のきくやつがいた。金を払って、調べてもらった」

鳥飼の顔はどす黒く、ゆがんで見えた。両手を固く握り締めている。何かを懸命に押しつぶそうとしているように見えた。大介は、恐る恐る尋ねた。

「それで?」

「二年前の春、泥酔した大学生の運転する車が、夫婦と生後二ヶ月の赤ん坊の乗っている乗用車に突っ込んだ。後部のベビーシートに乗せられていた赤ん坊が直撃を受けて、両腕を切断した。サンクスギビング協定では、犠牲を選ぶのはゴルゴン人だが、癒しを受ける者の人選は人間に任されている。この国の規定では、十五歳以下の子供と決められている。この赤ん坊なんか、癒しを受けてもいいはずだ」

「違うの?」

「規定はあっても、例外はいつでも作れる。そこに、世俗のルールがつけこむ隙ができる。事故を起こした学生の父親は閣僚も務めたことのある男だ。名前を言えば、君も知っているだろう」

鳥飼があげた名前は、たしかに、大介でも聞いたことがあった。

「この男が手をまわして、昏睡状態に陥っていた自分の息子に癒しを受けさせた。珍しい話じゃない、と調べてくれた男は言ったよ。持てる者の横紙破りはままある話だと」

「けがをした赤ん坊は?」

「ゴルゴン人の癒しを受けられる人数は限られている。こいつが割り込んだせいで、両腕を肘から切断した赤ん坊はリストから漏れた」

大介は声が出なかった。この春、大介の従姉に女の子が生まれた。菜の花にちなんで黄菜と名づけられた赤ん坊は、まるまっちい腕と、人形のようにちいさな手をタオルケットから突き出して眠っていた。赤ん坊なんかに興味のなかった大介にも、かわいらしく見えた。生まれてわずか二ヶ月で腕を失くしてしまった赤ん坊。どうやって這い這いするのだろう。

「俺はくやしかった。つい、そのことを寿美にしゃべっちまった。寿美は何も言わなかった。黙ったまま、涙をこぼした。サンクスギビングの日に、マンションの屋上から、飛び降りた。俺が殺したようなもんだ」

鳥飼はしゃがんで、墓の周りに生えた雑草を抜き始めた。大介もそれにならった。きれいになると、花を供え、線香に火をともして合掌した。

「ありがとうよ」と、鳥飼。

「俺、いつまでここにいればいいんですか?」

「もうしばらくがまんしろ」

「うちに、無事だって知らせたいんです」

鳥飼は、一瞬、たじろいだように見えた。迷ったように視線を泳がせたが、すぐ、きっぱりと言った。

「やめておけ。ご両親は、君を逃がしたんじゃないかと、疑われているはずだ。そこに、君が連絡してみろ。疑惑を肯定したも同じだ。電話はまちがいなく盗聴されている」

大介はがっかりした。その気持ちを見透かすように、鳥飼が言った。

「忘れるな。奉仕局は君を探してる。捜索の目をごまかすのは容易じゃないんだ。あのばあさんは信用できる。必要なものがあったら、頼め。ほとぼりがさめたら、もう少し、ましなところに移れるだろう。そうしたら、手伝ってもらいたいことがある」

鳥飼の目に、狂気じみた光が宿った。

「サンクスギビング協定を、ぶちこわすんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る