異世界の恋愛観がぶっ飛んでる件について!
長月透子
第1話
有希は、不安な気持ちで周りを見回した。電灯の白い光に照らされるのは、広い道路と、その両側に続く舗装されたおしゃれな歩道だ。その横にはすっきりとした輪郭の、でもどこか異国情緒のあるレンガや白い壁の建物が並ぶ。
――ここはどこだろう。道にも建物にも、全く見覚えがない。駅からアパートまでの道を歩いていたはずだったのに。道を歩く人影はなく、辺りはおかしなほどに静まり返っている。
酔いはすっかり醒めていた。
有希は、溜息を吐いて立ち止まった。鞄からスマホを取り出して、地図アプリを起動する。
「……何よ、これ」
有希は眉をひそめた。
画面には、『現在地を取得できません』と表示されている。通信状態も圏外。
――まあ、来た道を戻ればいいか。
スマホから顔を上げて、そこで有希は目を丸くした。いつの間にか、目の前に男性が立っていたのだ。裾の長い変わった形の白いスーツに刺繍された金糸が、灯りを反射してきらめく。彫りの深いアジア人とは遠い顔立ちに、高い身長。圧倒されるような雰囲気。一言で言えば、ド派手なイケメンという形容が似合いそうな男性である。雑誌とかで見たことはないけれど、きっとモデルとかやってる人に違いない。
男性が自分を凝視しているように思えて、有希は何となく会釈をした。無視しがたい圧力を感じたのだ。
すると、男性が頷いて、右手を差し出してくる。有希は驚いて数歩後ずさった。
男性が少しだけ怪訝そうな顔になる。その時だった。男性の右手の上に、突然炎が燃え上がって、有希は悲鳴を上げた。
「ちょっと、手が! 手が、燃えてる!」
しかし男性は全く苦痛を感じているそぶりはない。手の上に燃え盛る炎を落ち着いて見下ろしている。
最初黄色だった炎は、赤、青、緑、紫と目まぐるしく色を変えて、最後は白金色に強く輝いて消えた。男性の顔には微笑みが浮かぶ。
「……手品か何か?」
有希は顔をしかめた。覚えたての奇術でも人に見せたかったのだろうか? 人騒がせな奴だ。
「悪いけど、おひねりできるような余裕はないから」
刺々しく言って、踵を返す。そして、有希はぎょっとした。
また、目の前に、男性が立っていた。慌てて振り返って、男性がついさっきまでいた場所と見比べる。
――一体、いつ移動したの?
会釈して、避けて通り過ぎようとする。しかし、その先を塞ぐように男性が立った。有希は胸が嫌な音を立てるのを感じた。人通りのない夜道だ。暗くはないけれど、通りがかる車はいない。走って逃げた方がいいだろうか?
「待て。何が気に入らない?」
「はい?」
有希は首を傾げた。男性はじっと有希を見下ろしている。
「もっと気に入った相手がいるということか? どこにいる?」
言っていることの意味がわからない。誰かと勘違いしているのだろうか?
「……ええと、よくわからないですけど、どいてもらっていいですか? 帰りたいので」
「この先にお前の家があるのか?」
少しだけ迷って、有希は頷いた。方向を教えるくらいで、そんな大したトラブルにはならないだろう。
初対面の相手からのお前呼ばわりも気にはなったが、雰囲気がありすぎる男性だし、外国人ならまあ、日本語に不慣れでも仕方ないだろう。
「はい。道を間違えてしまったようで」
「そうか。ならば送ろう。万が一があっては困る」
――万が一って何よ? そうは思ったが、見知らぬ道を歩くのは少しだけ心細かったし、男性が有希を襲うほど困っているようには見えなかった。ちょっと変わった奇術マニアのイケメンが、親切心を発揮してくれただけだ。マンションの通りは駅に近くて人通りもあるし。
有希は道を急ぎ足で戻る。男性はその後を黙って歩いてくる。
どれほど歩いただろうか。やがて、有希は足を止めた。おかしい。見慣れた駅のシルエットはどこにもない。それどころか道の両側の建物が小振りになってきている。駅に近づくなら、建物は大きくなっていくはずなのに……。
スマホは相変わらず通信圏外。GPSも取得できない。時間表示を見れば、引き返してから、もう三十分以上経っている。ヒールを履いた足が痛い。
「どうした?」
「ここ、どこなのよ」
「イルダーニャだ」
「いるだにゃ?聞いたことないんだけど。東京じゃないの?」
「トーキョー? ……なるほど。お前、異世界人だな」
有希はぽかんとして男性を見上げた。――何言ってんの、この人。
「えーと、これ、悪質などっきりか何かなの? こっちは仕事がなくなってへこんでるんだから、人をからかって遊ばないでよ」
「からかってなどいない」
男性は至って真面目な様子で返してくる。――やめてよ。そんなはず、ないんだから。そう考えてから、ゾッとする。静まり返った夜道。――東京なら、遠くに車の音が聞こえるはずなのに。
「納得できないなら好きに探せばいい」
「そうするわよ」
有希は、小走りで通りを戻って、角を一つ一つ覗いて回った。いくつもの通りを抜けて、最後には途方に暮れてしゃがみ込む。――足が、痛い。
「どうした?」
「あんた、何でついてくるの?」
ずっとついてきていた男性を、有希は八つ当たり混じりに睨んだ。
「自分の責任を果たしているだけだ」
「責任?」
「婚約者を守るのは当然だ」
「はぁ!?」
有希は素っ頓狂な声を上げた。思わず足の痛みも忘れた。
「婚約者!? 何を言ってるの?」
「お前はこの都市にやってきて求婚の名乗りを上げた。この国でお前の結婚相手になれるのは私くらいだ。つまりお前は私に求婚した」
「いや、してないから!!」
全力でツッコミを入れる。男性の眉が寄った。まずかっただろうか? しかし、男性は気を悪くしたわけではなかったらしい。
「お前は魔力を抑えていないではないか」
「は? 何ですって? まりょく?」
「まさか、魔力が分からないとでも?」
「何よそのファンタジーは」
「……なるほど。異世界人ならそういうこともあるわけか」
男性は少し考えたそぶりを見せた後、一人で頷く。
「何がなるほどなのよ?」
意味が分からない。この状況も、何もかも。
「ひとまず、移動するべきだ。お前はここで夜を明かしたいのか? お前が望むのなら付き合うが、近隣のものに迷惑だろう」
「え?」
「みな、おびえている」
「何でよ?」
「弱いからだ」
男性の答えは端的すぎて、よく理解できない。
「お前は疲労しているようだ。話の続きは明日にすべきだ。私が運んでもいいが、身体に触れても?」
「変なこと考えてないでしょうね。私、あなたの婚約者なんかじゃないわよ?」
「分かっている。宿を提供するだけだ」
有希は深くため息を吐いた。足は痛いし、もう歩くのは嫌だ。疲れて、もう何もかも、考えるのが面倒くさい。この男性が、有希をどうこうしたかったら、いくらでもできたはずだ。どうせ仕事もなくなったし、親も兄妹もいない。このような異常事態で、少しくらい投げやりになってもいいのではないだろうか?
「じゃあお願いしようかしら」
もしかして抱き上げて運んでくれるのかな、と少しだけ期待しながら、有希は頷いた。イケメンにお姫様抱っこ。それくらい憧れてもいいではないか。
男性が、右手を伸ばして有希の左手を掴んだ。有希は慌てて瞬く。男性と有希は、室内にいた。豪華な――おそろしく豪華な、西洋のお城のような内装の、おそらくは玄関ホール。背後には立派な扉があって、正面には、これまた立派な絨毯の敷かれた階段が見えた。
「は? 何よこれ?」
「転移しただけだが?」
顎が落ちそうになる。そんなものがホイホイ使える世界なのかここは。
「便利すぎるでしょ。って、いやちょっと待って! ここ一泊いくらよ!?」
「そんなことを考える必要はない。ここはいずれお前のものになるのだから」
「はい?」
ものすごく奇妙な言葉が聞こえてきた気がする。
「話の続きは明日だ。真夜中だからな。侍女たちも困っている」
男性が目配せする先には、柱の陰にお仕着せっぽい地味な服を着た女性がひっそりと立っていた。有希の視線に気づいて、ぺこりとお辞儀するも、頑なに目を伏せて、合わせようとはしない。
「明日また会おう」
男性はあっさり言って離れていった。その背中を見送って、有希はほっと息を吐いた。――状況はさっぱり分からないけれど、こんなところに泊まれるなんて、結構運がよかったのではないだろうか。
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