第34話 ギルドマスターの極秘依頼

「――ギルドマスターの、レオルド・フォン・アークライトだ」


 重厚な声が店内に響いた瞬間、俺の脳みそは完全に処理能力を超えた。

 ギルドマスター? あの、カインの父親で、この街の冒険者の頂点に立つ、あの人が? なんでこんな夜更けに、俺の店に?


「「「「「ええええええっ!?」」」」」


 俺たちの絶叫が、綺麗にハモった。

 リリアが慌てて扉を開けると、そこには、フードを目深に被り、明らかに人目を忍んでいるレオルドさんの姿があった。


「突然すまない。少し、人払いをしてくれないか」


 その表情は、ギルドで見た時の威厳に満ちたものではなく、何かに深く思い悩む、一人の男の顔をしていた。


「ど、どうぞ……!」


 俺たちは、半ばパニックになりながらも、レオルドさんを店の中に招き入れた。

 リリアが急いで扉に『閉店』の札をかけ、鍵を閉める。

 工房のテーブルを囲んで、俺たち五人と、レオルドさんが向かい合う。気まずい沈黙が、重くのしかかった。


(な、なんでだ!? なんでギルドマスター直々に!? まさか、昼間の噂の件で、俺、何かやらかしたのか!? 国に強制連行されて、地下牢で一生浄化させられるとか!?)


 俺が最悪の未来を想像してガタガタ震えていると、リリアが警戒心を隠さない声で、口火を切った。

「……それで、ギルドマスター直々のご来店とは、一体どういうご用件でしょうか。まさか、あの馬鹿げた噂の件で、アラタをどうこうしようって話じゃないでしょうね?」


 リリアの言葉に、セナさんも、クロエさんも、エリアーナさんも、同意するように頷く。心強い。俺の周りは美少女の護衛でガチガチだ。

 レオルドさんは、俺たち四人の強い視線を受け止めると、静かにフードを取った。

 そして、俺に向かって、深々と頭を下げたのだ。


「まずは、我が息子の非礼、そして暴走を、心から詫びたい。本当に、すまない」

「へ……?」


 予想外すぎる展開に、俺の口から間の抜けた声が漏れる。

 詫びる? 謝罪?

 レオルドさんは、顔を上げて、苦渋に満ちた表情で続けた。


「息子が、王城で『王立浄化ギルド』の設立を画策している件は、私の耳にも入っている。君のその類稀なる力を、国家の名の下に縛り付けようとする、愚かな陰謀だ」


 その言葉に、俺たちは息を呑んだ。噂は、本当だったのだ。

 だが、レオルドさんの口調は、それを肯定するものではなかった。むしろ、強い怒りと、悲しみが込められているように聞こえた。


「私は、ギルドマスターとして、そして一人の父として、息子の暴走を止めねばならん。だが……今の私には、そのための力が足りない」

「力が、足りない……?」


 リリアが、訝しげに問い返す。ギルドのトップが、何を言っているんだ。

 レオルドさんは、かぶりを振った。


「今宵、私がここへ来たのは、ギルドマスターとしてではない」

 彼は、俺の目をまっすぐに見つめた。その瞳には、藁にもすがるような、切実な色が浮かんでいる。

「一人の男として……いや、アークライト家の長として、アラタ殿に、極秘でお願いしたいことがあるんだ」


 アークライト家の、長として。

 その言葉の重みに、工房の空気がさらに張り詰める。


「これは、ギルドを通すことのできない、私個人の……いや、我が一族の依頼だ」


 そう言うと、レオルドさんは、おもむろに懐に手を入れた。

 そして、テーブルの上に、一つの小さな箱を、静かに置いた。


「…………!」


 その箱を見た瞬間、俺は思わず息を呑んだ。

 それは、黒檀のような艶のある木で作られた、手のひらサイズの豪華な小箱だった。細やかな銀の装飾が施され、一目で年代物だと分かる。

 だが、俺の目を釘付けにしたのは、その装飾ではなかった。

 箱の中央に埋め込まれた、一つの宝石。

 まるで、固まった血だまりのような、深く、濁った赤色。

 その宝石からは、これまでに感じたどんな呪いとも比較にならない、禍々しいオーラが放たれていた。


(なんだ……これ……)


 俺の【万物浄化】の目が、警鐘を鳴らす。

 ただの呪いじゃない。

 リリアのガントレットに宿っていた『悪意』でもない。

 セナのサークレットにあった『恐怖』とも違う。

 クロエの盾を蝕んでいた『矛盾』ですらない。

 もっと、古く、深く、複雑で……そして、どうしようもなく『悲しい』汚れ。


 それは、まるで歴史そのものが凝縮されたような、『染み』だった。

 何世代にもわたる血と裏切り。

 拭いきれない後悔と、消えることのない憎悪。

 それら全てが、幾重にも、幾重にも塗り重ねられ、もはや洗い流すことのできない、一枚の絵画のようになってしまっている。


「……アラタ?」


 リリアが、俺の顔を覗き込んで、心配そうに声をかける。

 俺は、ゴクリと喉を鳴らした。

 恐怖は、なかった。

 むしろ、その逆だ。

 体の芯から、歓喜にも似た震えが、湧き上がってくる。


(すごい……。なんだ、この『汚れ』は……!)


 神々の食器を洗った時のような、あの時の興奮が蘇る。

 これを洗い上げることができたなら、俺は一体、どれほどの高みへ行けるのだろう。

 俺が、恍惚とした表情で小箱を見つめていると、レオルドさんが、絞り出すような声で言った。


「アラタ殿。君に、この箱を浄化してもらいたい」


 そして、彼は続けた。

 その言葉は、これから始まる物語が、これまでとは比較にならないほど、深く暗いものであることを、俺たちに予感させた。


「この小箱にかけられた呪いこそが、我がアークライト家が、何百年もの間、抱え続けてきた……忌まわしき『宿痾』そのものなのだ」

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