第16話 殺到する依頼と呪われた店舗

「ひぃぃぃ! ち、近づかないでくださいぃぃ!」


 俺の悲鳴は、熱狂の渦にかき消された。

 ギルドの扉を開けた瞬間から、俺はもみくちゃにされていた。昨日まで俺をゴミでも見るような目で見ていた冒険者たちが、今や目の色を変えて俺に殺到している。


「浄化師様! どうか私の呪われた斧を!」

「報酬は言い値で構わん! 代々伝わるこの盾を清めてはくれまいか!」

「いや俺が先だ! 金貨100枚出すぞ!」


(な、なんだこの地獄絵図は!? 俺はただの皿洗いなんですけど!? 金貨100枚とか言われても価値が分からなくて逆に怖いんですけど!?)


 押し寄せる欲望の波に、俺の貧弱な精神はあっという間に限界を迎える。目が回り、足がもつれ、このまま圧死するんじゃないかと思った、その時だった。


「――そこまでよ!」


 凛とした声と共に、俺の前にリリアが立ちはだかった。

「依頼なら、正規の手続きを通してギルドに申請しなさい! アラタに直接詰め寄るなんて、無作法にもほどがあるわ!」


 彼女の気迫に、冒険者たちが一瞬たじろぐ。その隙に、セナさんとクロエさんが俺の両腕を掴み、人垣の中から救い出してくれた。


「大丈夫ですか、アラタ様!」

「……こっちへ」


 三人に守られるようにして、俺たちはなんとかギルドを脱出した。


 ◇


「ふぅ……とんだ災難だったわね」


 宿屋の拠点に戻ると、リリアが呆れたようにため息をついた。

 俺はというと、部屋の隅で膝を抱えてガタガタ震えている。


(怖かった……人間の欲望が凝縮された空間だった……。もう二度と行きたくない……)


「でも、すごい反響でしたね。アラタ様の力が、それだけ皆に求められているということですわ」

 セナさんがお茶を淹れながら、嬉しそうに微笑む。


「しかし、問題だな」

 リリアが、腕を組んで唸った。

「あれだけの依頼、全部受けるにしても、どこで作業するのよ。この宿屋の一室じゃ、とてもじゃないけど捌ききれないわ」


 その言葉に、俺もハッとする。

 確かにそうだ。俺の浄化作業には、最低でも綺麗な水と洗面器、そして集中できる静かな環境が必要だ。あんな風に押しかけられては、まともな仕事はできない。


「あ、あの……物置みたいな、狭くて暗い場所があれば、俺はそれで十分なんですけど……」

 俺がおずおずと提案すると、リリアは呆れたように俺の額を指で軽く小突いた。


「もう、アラタは! あなたは世界を変える力を持ってるのよ? もっと胸を張りなさい!」

 そして、彼女はポンと手を打つと、とんでもないことを言い放った。


「よし、決めた! こうなったら、アラタの専門店を開きましょう!」


「へ……? せ、せんもんてん……?」

 俺は、あまりに突飛な提案に、間抜けな声で聞き返すことしかできなかった。


「そうよ! 武具・アイテム浄化専門店! あなた専用のお店があれば、依頼の受付も作業もスムーズになるじゃない!」

「で、でも、お店なんて……お金が……」


 俺がそう言うと、リリアはニッと笑い、腰のポーチをテーブルの上に置いた。

 ジャラリ、と重い金属音が響く。中から溢れ出したのは、おびただしい数の金貨だった。


「これは、昨日の復帰試験で得た報酬よ。あたしたちの装備の呪いが解けたことで、特別ボーナスも付いて、かなりの額になったわ。これを、開店資金にしましょ!」

「そ、そんな、皆さんのお金を俺なんかのために……!」


「いいえ、アラタ様」

 セナさんが、穏やかに俺の言葉を遮った。

「これは、私たちからの『投資』です。あなたが私たちを救ってくれたように、今度は私たちが、あなたの力を支えたいんです」

「……私も、賛成。アラタの店、守りたい」


 クロエさんも、力強く頷いてくれる。

 三人の真っ直ぐな瞳に見つめられて、俺の胸にまた、あの温かい感情がじんわりと広がっていく。

 俺のために、ここまでしてくれる人たちがいる。

 その事実が、何よりも嬉しかった。


「……ありがとうございます」

 俺は、深々と頭を下げた。


 ◇


 方針が決まれば話は早い。

 俺たちは再びギルドへ向かい、ギルドマスターであるレオルド氏に、店舗用の物件を探している旨を伝えた。


「うむ、それは良い考えだ!」

 レオルド氏は、俺たちの計画を聞くと、我がことのように喜んでくれた。

「アラタ殿の力は、この街……いや、この国の宝となるだろう。ギルドとしても、全面的に協力させてもらう。すぐに、街で一番条件の良い物件を探させよう!」


 話がとんとん拍子に進んでいく。あまりに順調すぎて、逆に不安になってくるほどだ。

 そして、そんな俺の不安は、最悪の形で的中することになる。


「――父上、お待ちください」


 冷たい声と共に、執務室の扉が開き、カイン・フォン・アークライトが姿を現した。

 昨日とは違い、身なりは完璧に整えられているが、その瞳の奥には、俺への憎悪の炎がどす黒く渦巻いているのが見えた。


「カイン……何の用だ」

「いえ。アラタ殿がご自身の店をお開きになると聞きまして。それは素晴らしいことだ。彼のような『逸材』には、それにふさわしい、最高の場所をご用意すべきかと思いましてね」


 カインは、嫌味ったらしい笑みを浮かべながら、一枚の羊皮紙をテーブルの上に広げた。

 それは、一つの物件の間取り図と紹介文だった。


「これは……? 商業区の一等地じゃないか。しかも、破格の賃料だ。……だが、この物件は確か……」

 レオルド氏が、訝しむように眉をひそめる。


 カインは、そんな父親の反応など意にも介さず、俺に向かって芝居がかった口調で説明を始めた。

「ここは、街で最も人通りの多い大通りに面した、最高の立地です。これほどの場所なら、あなたの『偉大なる』御業を、多くの人々に知らしめることができるでしょう」


 だが、その言葉とは裏腹に、彼の目は全く笑っていなかった。

 ギルドの職員たちが、息をのみ、青ざめた顔で俺たちを見ている。


 リリアが、怪訝な顔でカインに問い詰めた。

「何か裏があるんじゃないの? こんな優良物件が、空いているわけがないでしょう」

「裏? まさか。……まあ、些細な噂はありますがね」


 カインは、わざとらしく肩をすくめてみせた。


「過去にこの店を借りた者が、ことごとく不幸に見舞われたとか……夜な夜な女のすすり泣きが聞こえるとか……壁に血の染みが浮かび上がるとか……まあ、どこにでもあるような『幽霊屋敷』の噂ですよ」


 幽霊屋敷。

 その言葉に、リリアとセナさんの顔が引きつった。

 この男、明らかに俺たちを陥れようとしている。浄化に失敗して評判を落とすか、あるいは呪われて再起不能になるのを狙っているのだ。


「ふざけないで! そんな曰く付きの物件を、アラタに押し付ける気!?」

 リリアが激昂する。だが、カインは余裕の笑みを崩さない。


「おや、心外だな。僕はただ、アラタ殿の力を信じているだけですよ」

 彼は、俺の目を真っ直ぐに見据え、決定的な一言を放った。


「まさか、固有神聖スキル【万物浄化】の持ち主ともあろう方が、この程度の低俗な呪いを恐れる、なんてことは……ありませんよね?」


 その挑発に、誰もが言葉を失った。

 断れば、「その程度の力だったのか」と嘲笑われる。受ければ、彼の思う壺だ。

 絶望的な二択。カインは、俺が屈辱に顔を歪めるのを、心待ちにしているようだった。


 だが。

 俺は、彼の予想とは全く違う反応を示していた。


 俺の視線は、カインの顔でも、リリアたちの心配そうな顔でもなく、ただ一点。

 テーブルの上に広げられた、羊皮紙の物件資料に釘付けになっていた。


 古い羊皮紙に染みついた、カビと埃の匂い。

 インクで描かれた建物の絵から滲み出す、長年蓄積された怨念と憎悪の、禍々しいオーラ。


 それは、俺が今まで出会ったどんな汚れよりも、深く、濃く、そして――醜かった。


 ゴクリ、と俺は無意識に喉を鳴らした。

 恐怖ではない。武者震いだ。

 最高の獲物を前にした、職人の歓喜だった。


「すごい……」


 俺の口から、かすれた声が漏れる。


「すごい……『汚れ』だ……」

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