200歳の大魔法使い、魔法学校に入学する

長月透子

第1話

 俺――ランディス・グレーは、寝ぼけ眼で、戸口の向こうからずいと差し出された手紙を見下ろした。春の初め、まだ空は白み始めたばかり。冷たい空気が、ひんやり頬を撫でて、名残の眠気を奪っていく。

 首を竦めて、手紙と、それを差し出した隣人の顔を二回ほど見比べる。


「……これは?」


 目の前には、パン屋――隣とはいっても、間は五百メートルほども離れている――の女将アルマが、にこにこと微笑んで立っている。


「ずっと村長さんにお願いしていたんだけど、やっと書いてもらえたのよ」


 いつものごとく、彼女は今一つ脈絡が分からないところから話を始めた。多少おせっかいなところが玉に疵ではあるが、アルマは善良な隣人だ。数年前に引っ越してきた俺にも常に親切で、何より、おいしいパンを焼く。


「はあ」


 相槌に熱がこもらないのは当然である。陽が昇りきるまでは惰眠を貪ろう。そう決めていたところを、ドアを叩く音で叩き起こされたのだ。むしろ追い返さなかったことを褒めてほしい。


「でもね、どうやら入学日が一週間後みたいで急なんだけど――」

「入学」


 さっぱり何の話か分からない。眉を寄せて唸っていると、女将さんがもどかしそうな顔になる。まるで、俺の理解力が低いとでも言わんばかりだ。解せぬ。


「だから!魔法学校の入学日よ」

「はあ?」


 俺は目を瞬かせた。

 アルマは目をきらきらとさせている。どう?すごいでしょう?喜んでいいのよ――そんな心の声が聞こえてきそうだ。

 途端に脳裏で、ちかちかと危険信号が点滅する。何か、すごく嫌な予感がする!


「待って。ちょっと待って。魔法学校?」

「イルフェンの街にある魔法学校よ!この辺りでは一番大きいんだから」


 誰も、そんなことは聞いていない。俺は、ツッコミをぐっとこらえる。


「ええと、入学って、何のこと?」

「もちろんあなたの入学よ」


 断言されて、俺は視線を宙に彷徨わせた。もしかして、これにつながるやり取りが以前にあったのだっけ?……いや、絶対にない。


「ええと、ごめん。何のことか分からないんだけど」


 すると、彼女は一転して、眉尻を下げた、心配そうな顔になった。きょろきょろと辺りを見回して――ここは、森の小道を入ってぽつんとある一軒家だ。もちろん周囲に人間なんて歩いていない――声を潜めて言う。


「いえね、私も最近知ったのだけれど、この国では資格を持たずに魔法を使うのは違法で、捕まっちゃうんですって」

「え、そうなの?」


 俺は眉を寄せた。いつの間にそんなことになったのだろう。全く知らなかった。


「ひどいわよね。でも魔法学校を卒業すれば資格がもらえるっていうから、村長さんに紹介状をお願いしていたのよ」


 考え込んでいるうちに、女将さんはぐいぐいと俺の手に手紙を押し付けてくる。


「ほら、あなた、私のことを以前魔法で助けてくれたでしょう?」


 確かに、アルマの家で小火が出ていたのを、魔法で消火したことがある。一カ月ほど前のことだ。その日はたまたま村の集会があるとかで、周囲の人間が出払っていた。魔法使いだと村人に知られることで、面倒なことになる可能性も頭もよぎったけれど、香ばしくてパリパリのパンを食べるのが俺の毎日の楽しみだったのだ。


「ああ。内緒にしてくれてありがとう」


 アルマはお喋りが好きな女性だ。秘密にしてくれるよう、一応頼んではみたものの、期待はしていなかった。けれど、その後村の中で、ランディスが魔法使いだという話題は一切出ていない。


「やだわ、当然でしょう!」


 俺の感謝に、アルマは嬉しそうに笑う。


「で、恩返ししなくちゃってずっと思ってたの。だから村長さんに紹介状を書いてくれるようお願いしたの。ただ、入学金と紹介金しか用意できなかったのだけど……」


 続いた言葉に、俺は飛び上がった。


「とんでもない!そんなもの、いらないよ!」

「そう?正式な魔法使いになれば、いっぱい稼げるらしいわよ。奨学金もあるっていうし、村長さんも貸してくれるって」


 善意100%の提案に、俺は頬をひきつらせる。借金だと? 冗談じゃない!


「だ、大丈夫だよ、たぶん」


 そもそも入学の必要なんてないはずだ。けれど、そんなことは今さら言えない。

 俺は小さく呻いた。――逃げ道がない。


「ありがとう、俺のためにわざわざ」


 手紙を受け取って頭を下げると、アルマはいっそう輝くような笑顔になった。


「いいのよ!立派な魔法使いになって帰ってきてね!」

「ハイ、ガンバリマス……」


 返事は明らかな棒読み。しかしアルマは、違う意味で受け取ったようだ。


「いつも寝てばかりいてぐうたらしてるんだもの。若者なんだからしっかり学ばないと」

「いや、俺は二百歳……」

「またいつもの冗談?全然面白くないんだから、学校では言わない方がいいわよ」


 俺はぐっと唇を引き結んだ。本当のことなのに。


「いい、一週間後だから。急な話だから、急がないと間に合わないわよ!」


 アルマがダメ押しとばかりに念を押す。

 ここからイルフェンの街までは、いくつかの村と街を越えた先だ。馬鹿正直にゆったり歩いて、夜は宿に泊まれば四日ほどはかかるだろうが、転移魔法を使えば一瞬だ。

 とりあえず、そこまでは行こう。昔押し付けられた資格証は更新期限があったような気がするから、更新して……、アルマには特例で許可証を発行してもらえたとかなんとか言えばいい。


「分かったよ」


 俺が仕方なく頷くと、アルマはようやく納得してくれたようで、軽い足取りで去っていった。その後ろ姿を見送ってから、深いため息を一つ。

 眠気はすっかり飛んでいた。無言のまま、家の中の一室、荷物置き場になっている部屋のドアを開ける。埃が一斉に舞い上がった。


「ここから探すのか……」


 既にうんざりである。資格証が、この部屋のどこかにはあるはずなのだが。

 俺は、積みあがった荷物の山――半分以上、いやさ八割以上ガラクタばかりのゴミの山を見上げた。一日で、見つかるかなあ?

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