第3話 入れ替わり

「だいたい状況はわかった。つまり、私は冬香さんという人と中身が入れ替わったってことか・・・。」


服を着て近所のカフェに移り、席に着いて注文を済ませる頃までに、夏奈を名乗る彼女はすっかり落ち着いていた。


「・・・・僕には冬香に見えてるけど、中身は夏奈ってこと?」


彼女は腕組みをしながら、ゆっくりとうなずいた。


「色々試したらこの体の記憶にアクセスできて・・・。この体の持ち主が鬼怒川冬香さんであることがわかった。」


「そうなんだよ。僕の目の前にいるのは間違いなく冬香だって。それで、なんで冬香の中身が夏奈に入れ替わってるの?」


「それはわからない。私もわかんないし、冬香さんの記憶の中にも答えはないみたい。」


彼女は腕組みしたまま、今度はゆっくりと首を横に振った。


正直言って、信じがたい話だ。

でも、冬香は冗談でもこんなこと言い出すタイプじゃないし・・・。


「ところで、夏奈の大学の方は大丈夫なの?どこ通ってたっけ?」


「宮崎の延岡体育大学だよ。だけどしばらく休むから大丈夫。」


「へ~っ。そういえば競技の方はどうなの?5000mの自己ベスト更新できた?自己ベスト何秒だっけ?」


「高2の時から更新できてない。今も15分38秒。」


「そうなんだ。高校といえば陸上部の顧問の先生、元気かな~?名前何だっけ?」


「森下の小夜ちゃんでしょ。あの陸上に身も心もすべて奉げた永世処女・・・。」


「ハハッ!!」


思わず高校の頃を思い出して吹き出すと、彼女はジトっとした目で見つめてきた。


「私が夏奈だって疑ってるでしょ・・・だからそんな質問で試してきて・・・。言っとくけど私は間違いなく夏奈だからね。下げパンくん。」


そのニヤリとした顔を見て確信した。この悪い顔はいつも僕をからかったり、イジったりする時に夏奈が見せていた悪魔のような表情そっくり。

目の前にいる彼女の中身は間違いなく夏奈だ。


「疑ってごめん・・・でもなんで冬香の中身が夏奈に・・・。」


「だから私もわかんないんだって!!」


彼女が少し憮然としたところで、ちょうどモーニングパンケーキセットが運ばれてきた。シンプルな分厚いパンケーキにサワークリームが添えられている。


「えっ、えぇっ!?これなに?おいしそう!えっ?」


彼女は急に目を輝かせた。口元もほころんでいる。


「パンケーキって食べ物だけど・・・知らない?」


「知っとるわ!!うちの大学は山の中だし、街に出てもこんなオシャレなカフェなんかないからまったく食べる機会がなかったってこと。やっぱり東京は違うな~。」


「ここは神奈川県川崎市だけどね。」


彼女は、僕の指摘にフンッと鼻で笑っただけで無視し、そのまま口角をあげ、目じりを下げにんまりしながらメープルシロップをパンケーキにかける。一周、二周、三周・・・。


「大丈夫?かけ過ぎじゃない?」


「あっ、しまった!!いや・・・もう減量は考えなくていいか・・・。じゃあもう一周・・・。」


彼女は一瞬ハッとしたけど、すぐにニンマリした顔に戻ると、一周と言いながらもう二周半メープルシロップをかけた後、べちゃべちゃになったパンケーキにナイフを入れ、一気に4分の1ほどを切り取ると、口に放りこんだ。


「ん~っ!!おいし~っ!!」


冬香の顔でほっぺたを押さえながら至福の表情をしている。その魅力的な表情に、一瞬、中身が夏奈であることを忘れて見惚れてしまう。


「あっ、ちょっと待って!それ冬香の身体なんだから・・・。そんな健康に悪そうな食べ方しないでよ!!」


「いいじゃん!栄斗は巨乳の方が好きでしょ。もっと巨乳になるかもよ~。まあ、もう十分に巨乳だけどね。おおっ、なんとFカップか~。」


「ちょっとちょっと!それ冬香のプライバシーだから!!」


思わず注意しちゃったけど貴重な情報が得られた。なるほど冬香はFカップだったのか・・・。

見た目より大きいな・・・。


「うわ~っ、ニヤついてキモ~い!!」


「ニヤついてないって!風評被害につながるからやめてよ!」


その後、夏奈は自分のパンケーキをあっという間に平らげ、しかも僕の分のパンケーキの4分の3を奪ってやっと満足してくれた。


「ふい~っ、思いっきり食べられるっていいな~。」


「ところで、これからどうするつもりなの?」


「しばらくは冬香さんとして生きるしかないかな。競技から離れて普通の女子大生するってのも悪くないしね。」


こいつ、まんざらでもない表情をしながらとんでもないこと言い出したぞ!


それはつまり、僕にとっては恋人の中身が夏奈になってしまうことを意味する。

しかもいつ戻るかわからない。


あの優しくて控えめな冬香じゃなくて、いつも強気で親分肌の夏奈に子分みたいに使われる日々が戻って来るのか・・・。


その厳しい現実に暗澹たる気持ちになった。


「そんな暗い顔しないでよ。心配してくれるのは嬉しいけど、私は平気だからさ。なんとかなるって!あっ、冬香さんの家知ってる?」


「ああ、うん。武蔵小杉に住んでるらしいよ。」


「じゃあ送ってってよ。東京は電車が複雑でわからんからさ。」


「ここは神奈川だし、武蔵小杉まで南武線で一本だって・・・。」


「ごちゃごちゃ言ってないで案内してよ!!」


僕の返事を待たず、席を立ちあがって行こうとしたので、僕も慌てて荷物をまとめる。確かに一人で行かせるのは心配だから、送って行った方がいいだろう。


彼女は、伝票を手に取った僕をチラッと見て「任せた」と言うと、勝手に店を出て早足でずんずんと歩いて行ってしまった。僕は急いでお会計を済ませ、走って追いかける。


そういえばかつての夏奈も、僕のことなんか構わずどんどん先に歩いて行っちゃうから、ずっと背中ばっかり追いかけてたよな~と、ちょっと懐かしくなった。


しかし、今回の夏奈は、なぜか少し歩いたところで立ち止まった。待っててくれてるわけじゃない。少し太もものあたりを気にしているようだ。


「どうしたの?」


「いや、なんか足の付け根のあたりが疼くように痛くてさ。この体で何かあったのかな・・・?」


「なんだろ・・・?」


「怪我かもしれないな。ちょっと記憶を探ってみるか。結構、新しそうな痛みだから、昨晩あたりの記憶を・・・。」


昨晩に怪我?何か激しい運動とかしたっけ?

その瞬間、僕はその痛みの原因に思い当たって、ハッとした。


「ダメ!絶対ダメ!!そこ見ちゃダメ!冬香と僕のプライバシーだから!!」


「え~っ、痛みとか体のサインを甘く見ちゃだめだよ。特に鼠径部の痛みは重大な故障が原因の可能性もあるし。ちょっと、記憶を確認してみるだけだから。」


「絶対ダメ~!!やめて~!!」


◇◇


「へ~っ、結構いいマンションじゃん。」


「社会人のお姉さんと一緒に暮らしてるらしいからね。」


二人で南武線に乗り、武蔵小杉で降りて、冬香が住んでいるマンションのエントランス前まで送り届けると、僕は「じゃっ、頑張って」と言って立ち去ろうとした。


「ま、待ってよ・・・、中まで付いて来てよ。」


彼女は不安そうな表情で僕の服の裾を掴んで立ち去るのを許してくれない。


「実はまだお姉さんと会ったことないし・・・それに朝帰りになるわけだから僕がいるのはマズいかなって・・・。」


「じゃあ、私一人でもマズいじゃん!!どうしたらいいのよ!」


「大学の友達の家に泊まったとか、カラオケでオールしたとか、そんな感じで説明してもらえると・・・。」


「そんなのしたことないからわかんないし!この後、お姉さんとどんな顔して会えばいいのよ!」


必死な表情で、今度は僕の腕を強く掴んできた。冬香とは思えないくらいの握力で腕がねじ切れそう・・・。


「落ち着いて。冬香の記憶にアクセスできるんでしょ。だったら、そこにある大学のクラスの友達とかの情報を適当に伝えれば大丈夫だって。お姉さんも、まさか中身が夏奈なんて絶対に疑わないし。」


「そうかな・・・。」


僕の腕を握る力が少し弱くなった。


「それに、困ったら僕のスマホにいつでも連絡くれればいいから。ねっ、これ以上、帰宅が遅れたり、外泊を重ねたりするとその方が不審がられるし・・・。」


彼女はしぶしぶといった感じで手を離し、ゆっくりとマンションのエレベーターの方へ歩きかけたが、その途中でピタリと足を止めて振り返った。


「・・・あっ、そういえば明日からどうしたらいいの?」


「明日から大学の授業があるけど。じゃあ、明日の朝、ここに迎えに来るから一緒に行こう。明日は履修している授業がほとんど同じだし問題ないと思うよ。」


「うん・・・。」


沈んだ表情のままだけど、ようやく覚悟を決めてくれたようだ。僕は背中を押すために、あえて立ち去ることにしよう。


「じゃあ、また明日ね!」


「また明日・・・。」


彼女を置いて少し歩くと、僕は「ふうっ」と一息ついた。

何か変なことになっちゃったな・・・。


よりによって夏奈か・・・。

あいつと入れ替わっちゃうなんて・・・。


あれっ?そういえば夏奈って、高校の時に僕のことを絶交してなかったっけ?


それでずっと疎遠になってたはずだけど・・・。


僕は駅に向かって歩きながら、夏奈との思い出を少しずつ頭の中で整理した。

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