青空が遠い

日暮マルタ

前編



 私は頬杖をついて、窓の外をぼーっと見ている。今日の天気はくもりに近い晴れ。白っぽい空に、うっすらと遠くの肌色が見える。超巨大な脛が、動きもせずに遠景の一部になっている。

 近くで見ると、毛が生えているのが見えるらしい。そこまで近付いたことはまだ無い。

 その内近付く時が来るのだろうか。その機会はありそうな気がする。物理的に近付かなくても、画面越しに日本の誰よりも近くに行くだろう。ここはそういう学校だから。

 五年前、日本海に突然巨大な足のUMAが現れた。それは現在世界に二対、四本存在し、今日もその一本に富士山が踏み潰されたらしい。

 世論は「日本への侮辱だ」と怒り顕わに、足を駆除しろと騒ぎ立てている。

 同じクラスの上田ゆかりが私に話しかけてきた。相変わらず甘ったるい喋り方だ。

「参っちゃうよね。毎日あのニュースばかりで」

 どこか甘えたような口調にも慣れた。一年も一緒にいれば当然だろう。ゆかりは甘い香水の匂いを振りまいて、私の腕に絡みついてくる。巻いた髪が私の鼻をくすぐってくしゃみが出そうになった。

 あ、窓の外で肌色が少し動いた。足が歩くのか。今度はどこが踏み潰されるのだろう。

 あの足を駆除するのが私達の未来の課題である。ここ、空上高校では、駆除のための研究訓練を行っている。

 私達は飛行科だ。足は爆撃で後退させることができる。

 飛行機操作といっても、無人機を画面で操作するだけなんだけどね。ゲームみたい。そう思ってここに進学したんだけど、退屈だ。


 いつもやる気のない担任の間延びした号令で、目元を覆うヘッドセットを装着した。日頃の座学の成果を出す、模擬演習の時間だ。

「日本のために頑張ろう」

 語尾に(笑)がつきそうなイントネーションで水野が言った。「ああ、頑張ろう!」と爽やかなクラス委員の橋本。返事をしないゆかりと「おー」とだけ言う私。先生は「もう私語の時間は過ぎたぞー」ととても怠そうだ。画面にはポップなイラストに変えられた敵の姿。手元の端末で敵に弾を撃ち込んでいく。弱点を正確に狙い、着弾すると、弱点だけの特別な音がする。

 FPSのゲームは結構好きだけど、完全にそれ。ちょっと操作が複雑になって堅苦しいけどそんな感じ。ゲーム会社とコラボして開発すれば、飛行科の生徒も増えて戦績も上がるんじゃないか?

 基本どのクラスメイトも本気で使命に燃えたりはしてない。橋本だけ真面目だからちょっと本気かもしれない。日本なんて滅べばいい、と私は思っている。兄のいない世界なんて。


「真美の好きなあの男アイドル、潰されて死んだな! あはは」

 水野が愉快そうにケラケラと話しかけてくる。何が面白いのか。鬱陶しい。

「水虫になれ」

「あの足か。それとも私か」

 水野は一瞬真顔になった。

 彼は黙っていれば柔和な雰囲気の優男だが、喋ると全てが台無しになる。やたら丁寧な口調で一人称も私だが、やることなすことクレイジーなのだ。どう育ったらこうなるんだ。水野家は大丈夫なのか。教育方針はどうなんだ。兄弟はいるのか。……なぜ、人が死んだ話をその人が好きだった人に、こうも面白そうに話せるのか。

「はは、人の死なんてどうでもいい」

「そう……。ゆかりもあのアイドル好きだよ」

 水野は眉をひそめた。

「私はあいつ嫌いだから話しかけない」


 ゆかりが服を見たいと言うので、一緒に町に出かけた。入学してから一年、ゆかりと知り合って一年。少人数クラスなので女子がお互いしかいなく、つるむしかない。本当はタイプが違う。しかしゆかりは懐いてくれているようだ。私が中学まで付き合ってきた友人達とは違う感じの女の子。

 駅で待ち合わせたゆかりは、上品なダークブラウンのワンピースに少し甘めの小物を合わせた、ふわふわしてるけど大人っぽくも見える女性らしい服装だった。よく似合っている。学校で見るよりしっかりメイクしているのがわかる。

 ゆかりは私の姿を認めると目尻を下げて微笑み、甘く絡みついてくる。

「真美。相変わらず色気の無い格好。真美らしい」

 対して私はカジュアルもカジュアル。もう少し身なりに気を遣おうかとも、いつも思うが、億劫で仕方ない。生前の兄と同じような格好ばかりしている。私はいつか兄になるのかな。

「真美の服も選んであげるよ。背が高いから何でも似合うよ」

「そんなにお金持ってないんだよね」

「それなら古着屋行く? 掘り出し物探そう。ね、そうしよう!」

 今日はあんたの服見に来たんじゃなかったっけ? 私の服も見るよ! そんなやりとりをしながらショッピングモールへ歩き出したら、道の端に見覚えのある背格好があった。あの色素薄い猫っ毛と、皺一つない制服の後ろ姿は、同じクラスの水野積と橋本尚じゃないだろうか。楽しそうな二人の声がする。

「うわなめくじいた! なめくじってどんな味するんだ、橋本」

「絶対美味しくないよ! 馬鹿な子だね!」

「私挑戦してみようかな」

 ゲラゲラ笑い声がする。近付きたくない。

「苦い!」

 声もかけずに他人のふりをして目の前の登りエスカレーターに乗った。姿が見えなくなってからゆかりと、「キモいね男子って」「水野がキモいだけじゃない?」「止めない橋本もキモいわ」と言い合った。

 エスカレーターを登った先には、キラキラした洋服ショップ達。目移りしてしまう。でもなんとなく、自分には似合わない気がして、ゆかりに似合いそうだなという物ばかり見てしまう。ゆかりもなぜか洋服を私に当てたがるし、相手の服ばかり見て私達馬鹿みたいだ。

 雑貨や小物も見て、休憩にはいい時間になった。フードコートに辿り着く。食事時よりかは随分空席も多い。ゆかりがクレープが食べたいと言うので、じゃあ私アイス買ってくるわと宣言したら「協調性!」と叱られた。

「そういえば、ゆかりって制服着崩さないの意外だね」

 ふと、思った。

「学校では、真面目なんだー」

 ゆかりは目を合わさない。

 校則緩いのに、律儀なことだ。多少崩しても全く問題ないというのに。私なんて指定のネクタイをつけてないことも多いけど、何も言われないぞ。

 うちの高校の制服は、女子はネクタイかリボンのどちらかを選べる。ゆかりはいつもリボンで、第一ボタンまできっちり留めている。スカートを折ってもいない。私の通っていた中学にいた誰よりもオシャレが好きなはずなのに、中学にいた誰よりも至極真面目だ。

 ゆかりの香水の良い匂いがする。フラワー系だな。

「自由になるのが夢なんだ。高校を出たら、クソみたいな親から離れて、楽しく暮らすんだ」

「へぇ、きっとなれるよ」

 家が厳しいのかな。

 チョコミントアイスの乗ったクレープは、ミントの爽快感を甘ったるいチョコソースと大きなチョコチップがぶち壊して最高にジャンクで美味しかった。ミントを殺しておいて「自分、上品ですよ」みたいな量の生クリームしか入ってないところが小狡い。ゆかりはわけのわからないフラミンゴみたいな名前のピンクの物体をありがたがって食べていた。

 ……楽しく過ごしていても、どこか一歩引いてみてしまう。きっと兄もこんな世界を生きていたはずだ。今、過去の兄と私は同じ世界を生きている。こうしていると、兄が私の中に生きているかのようだ。

 自分の人生ではないのかもしれないが、それでもいい。それがいい、とすら思う。

「君ら可愛いね。友達?」

 顔を見る前から話しかけてきたと思われる、大学生くらいの男複数人が私達の顔を見比べた。あれ、タイプ違うけど本当に友達? って顔に書いてある。品定めするかのような視線が気持ち悪い。

 険しい顔のゆかりが私の手を引っ張るので、私は気持ち急いでクレープを頬張った。ハムスターみたいになりながら立ち上がって、ゆかりと頷き合って走って逃げる。男達の中の一人、後ろの方で申し訳なさそうに佇んでいた男が少し、兄に似ていた。


 初夏の文化祭がやってきた。私のクラスに部活に入ってる奴はいないので、クラス発表だけに全員全力投球できる。

 去年は私達クラスも、全員高校で初の文化祭だったということで、気合いを入れて手抜きの休憩所を作ったが、今年は違う。学校側からあまりにもやる気がなさ過ぎると怒られたので、強制的にステージ発表に決められた。他クラスがダンスとか劇とかをやっている中、我がクラスは英知を結集させ、足の撃退のための研究発表を橋本に全部ぶん投げた。

 授業を聞いてニュースを見ていればわかる内容をまとめた発表なので、聴衆も感涙すること間違いなしだ。まあ別にしなくてもいい。どうでもいい。責任も手間も全部橋本に押しつけよう。橋本は「君達って本当にどうしようもないんだから」と呆れていたが、大人しく引き受けてくれた。さすが学級委員。

 私達は皆でステージ発表の資料を作ったり、飾り付けを作ったりした。主に飾り付け。資料のほとんどは橋本。

「サイケデリックにしよう」

 水野が相変わらず馬鹿なことを言う。電飾とか光らせたいらしい。クリスマスじゃないんだから。

「資料室で文献借りてくるね」

「待て、待て橋本! お前文字が上手いから看板書け」

 水野が橋本を引き留めるために声をかけると、すかさずゆかりが「水野橋本のこと好きすぎ!」とからかった。

 水野は表情を少しも動かさずにゆかりを無視する。よほどゆかりを嫌いらしい。嫌われている方は、そのことに気付いていないのか、ただ楽しそうだ。ゆかり空気読まないからな。

 水野とゆかりの二人に挟まれるのがしんどくなったので、資料室の橋本を呼びに行く。残された二人の雰囲気は地獄かもしれない。

 狭い資料室に入ると、橋本が何冊か本を小脇に抱えて、さらに他の本も探しているところだった。真面目な奴だ。だから損をする。

「橋本」

「やあ、鳥井さん。まさか手伝ってくれるの?」

「まあね」

 でもやってもらいたいことはほとんど無いんだよね、と橋本はぼやいていた。埃が窓から差し込む光に照らされている。

「ところで多分研究発表ではこういう質問が来るから、答えられるようにしないと。絶対に来る。これは俺でも突っ込む内容だし、この質問が来ないわけがない。でもどう答えればいい?」

 そんな突っ込んだ質問はされないと思う。と答えた。しかし橋本は考え込むのをやめない。思い込みが強いところがあるんだよなぁ。

 この前も雨の中「すぐに止むから! 通り雨だから!」と濡れて帰って翌日風邪を引いていた。馬鹿だ。

「死にたくないんだ、僕。他の方法があればいいんだけど」 

 橋本は資料室で民間伝承の本を読み漁っている。研究熱心なことだ。


 意味もなく風船を膨らませて研究発表の資料に貼り付けたりしたのも昨日までのこと。早くも今日は文化祭当日。ステージ発表の一番手が私達のクラスだった。順番の決め方なんて聞いてないから知らないけど、どうせあのクラスは手抜きしてるからっていう推測が透けて見える。ダンスや劇や漫才の前座にするつもりなのだ。

 ハゲ散らかした校長が脳天気な挨拶を終えると、「始めのステージ発表は、空上高校の誇る飛行科特進クラスの発表です」とにこやかな案内がある。それを聞いた生徒達はステージ発表に残ったり、他の模擬店に出かけたり、図書室に一人一日こもったりと、三者三様に文化祭を楽しみに行った。保護者や来賓のスーツの大人もぞろぞろと移動していく。移動が落ち着いた頃、橋本の凜とした声がマイクを通して響く。水野が八重歯を覗かせる。

「サクラやろう。馬鹿でかい拍手しよう」

 けたたましい拍手が始まり、シンバルを持った猿の置物を思い出した。

「ご存知のことも多いとは思いますが。あの足は約五年前に日本海で発生しました。従来の爆撃では後退させるのみの結果が続いていますが、後退するというということは多少なりとも効果があるということです。さらに、現在自衛隊と空上高校が共同開発している技術を使えば、もしかしたら足に少しの穴を空けることも可能と考えられています」

 私達はほとんど知っている内容だったが、都市伝説じみた黒幕説や、足の発生原因といわれている眉唾な噂話も混ざっていて、なかなか面白い研究発表だった。

 橋本は終盤、何か言おうとして何度も言葉に詰まり、諦めたように「質問をどうぞ」と言った。予想されていた質問は来なかった。

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