第二十二話 夜明け
私と綾人くんは祠に着く。
蓮くんが居る座敷は固く扉が閉められており、中から薄らと祈祷を行う蓮くんの声が聞こえてくる。
(蓮くん、待ってて。絶対助けるから)
私は、蓮くんから預かったお守りを、ぎゅっと手で握りしめる。
そのすぐ隣で綾人くんは、洞窟の中で鼻をひくつかせ顔を顰める。
「こっちから、禍々しい匂いがする。ーー異形の気配もかなり多い」
綾人くんは洞窟の奥を指差し、私の方を振り返る。
「準備はいいか?ひなこ」
「うん、大丈夫」
私は綾人くんと奥に向かって歩き出す。
「異形の相手は俺がする。隙を見てひなこは堕神に自分の血を触れさせるんだ」
わかった、と頷く。
「俺もフォローするからな」
「うん、ありがとう」
すぐに血を出せるように、針を落ちないように手首に括り付ける。
緊張で顔の強張る私を、綾人くんが強く抱きしめる。
「大丈夫。絶対俺が守るから。……俺を信じて」
そう言って、そっと唇にキスをされる。
私はそれを微笑んで受けいれる。
「ちゃんと気持ちを伝えるのは、蓮を助けてから言うから」
「うん、私も」
これが、最期になるのかもしれない、なんて考えが過って、頭を振る。
そんな事絶対ない。皆んなで笑って明日を迎えるんだ。
「……行こう」
私達は手を繋いで、進んでいった。
洞窟の奥には、池のような水溜りがあった。
その空間は、高い湿度による気持ち悪さと、禍々しい瘴気が満ちており、立っているだけでくらくらしそうなほど穢れていた。
そして、その周りには、鈴が至る所に張り巡らされている。
池からは、異形がずるりと這い出し、その体はどれも滑り湿っていた。
ーーリンっ
彼らが地上に這い上がる時、聞き覚えのある音がした。
池の周りに、幾つも連なって張り巡らされた鈴が、鳴っていた。
(いつも聞こえていた音は、この音だったのね)
彼らは私達の来た道とは、別の入り口に向かってノロノロと歩いていく。
またしばらくすると、同じように異形がずるりと這い出した。
「池の中から異形がうまれているのか?」
綾人くんは顔を顰め、呟く。
「そうみたいだね。堕神は池の中にいるのかも」
……禍々しい、あの水の底に。
「異形の数はかなり多い。厳しいけど、やるしかないな」
綾人くんが真剣な顔つきで、私を見る。
私は力強く頷く。
池に近づくため、鈴のついた紐を跨ぐ。
一気に空気が重くなり、同時に低い唸り声が聞こえてくる。
声は池の底から聞こえてくるのに、不思議とハッキリと聞こえてくる。
妻と子供を失った悲しみ、守れなかった事への後悔、愛する人を奪われた怒り……色んな感情が声となって体に纏わりつき、うまく動けなくなる。
私は負けじと体に力を入れて、動く。
ふと、綾人くんの方に目を向けると、脂汗をかきながから、ぶるぶると震えている。
「綾人くん……?」
私が声を掛けると、綾人くんが、ゆっくりと、こちらに目を向ける。
ーーその目は、光がなく、漆黒に染まっていた
『俺たち吸血鬼は、堕神の絶望の感情からうまれたんだ』
綾人くんの言葉が、頭に響く。
(堕神に近づいたせい……?)
綾人くんは意識を失っているようだが、そのまま異形の方に走り出す。
「綾人くん?!待って!」
そのまま、異形に向かい回し蹴りをする。
異形は壁に叩きつけられ、洞窟が振動する。
そのまま、異形に飛びつくと、首に齧り付き、そのまま噛み切る。
血が噴き上がり、綾人くんの顔が真紅に染まる。
その血を、舌で舐め取り、綾人くんは笑った。
その声は、殺戮を楽しんでいるような、異様な声だった。
『異形とはいえ、生き物を殺すのは抵抗がある』
(違う、だめ、こんなの、綾人くんのやり方じゃない)
綾人くんは、また別の異形に飛び掛かる。
その戦い方は、いつもとは違って、自分の体の事を考えていないような、ひたすらに壊す事を楽しんでいるようだった。
「綾人くん……」
私は声を絞り出す。
綾人くんは、私の声に反応しない。
「綾人くん!!!」
私は、綾人くんの背後から抱きつく。
綾人くんは暴れ、私は地面に叩きつけられる。
「痛っ……!」
叩きつけられた拍子に、足を捻ってしまった。
綾人くんはそんな私に気がついていないのか、すぐに異形を狩り出す。
「一体、どうしたら……」
何か、方法はないのかと、唇を噛み締める。
そんな私の前に、大きな影がうつる。
顔を上げると、目の前には異形が立っていた。
そして、鋭く尖った爪を、私に向かって振りかぶってきた。
(駄目……!!)
ぎゅっと目を瞑る。
受けるはずの衝撃が来ず、私の顔にはぽたぽたと何かが垂れる。
私はうっすらと目を開く。
目の前には、綾人くんが私の前に立ち、その肩には異形の爪が食い込み、血が滴っていた。
異形は即座に引き裂かれる。
しかし、綾人くんの瞳は、変わらずに光を失ったままだった。
ーー私を、無意識のまま庇ってくれたのだとわかり、私は胸が熱くなる
「綾人くん……まだ、そこに居るんだね」
『ひなこの血に触れた時、許された感じがしたんだ』
綾人くんの言葉を思い出す。
(だったら、稀血の力で……!)
私は、唇を噛み血を出し、綾人くんにキスをする。
(お願い、お願い。戻ってきて……!)
必死に願いながら、血をねじ込む。
稀血の浄化の力が働いたのか、
綾人くんの瞳には、徐々に光を取り戻し、いつものように赤く染まっていった。
「……!ひなこ!」
綾人くんは、意識を取り戻し、私をぎゅっと抱きしめる。
「綾人くん、よかった」
私はほっとして、抱きしめる返す。
「ずっと、やめないとって思ってたんだ。でも、頭にずっと声が響いていて……すまない」
「ううん。きっと、堕神の影響だね」
私は、池を見つめる。
根源に近づく事で、ここまでの影響があるなんて……改めて、堕神の力の大きさに身震いする。
「ひなこのおかげで、頭がクリアになった。もう大丈夫だ」
綾人くんは、拳を合わせる。
「ここは、俺が食い止める。ひなこは堕神のところに行ってくれ」
「わかった!」
言うと同時に、綾人くんは異形を片っ端から潰していく。
(待ってて、蓮くん……!)
私は針を指先に指し、血を池に垂らす。
稀血の匂いに連れられたのか、異形が私に押し寄せるが、全て綾人くんに頭を潰されていく。
私は背後を綾人くんに任せ、強く祈る。
(神様、私はあなたの子孫です。貴方の子供は生きていたんです)
私の血は、ゆらゆらと水面を漂い、その真っ黒な液体に吸収されるようち消えていった。
刹那、水面からぬるりと黒い腕のようなものが何本も現れ、私の体を池の中に引き摺り込む。
ひなこ!と私を呼ぶ綾人くんの声が、遠く小さく聞こえた。
気がつくと、真っ暗な空間にいた。
音が一切しない不自然な場所なのに、私はなぜか此処に来たかったと思った。
あてもなく、少し歩くと声が聞こえてくる。
声を頼りに歩いていくと、ぼんやりと淡い光がみえてくる。
今にも闇に飲まれて消えてしまいそうな、小さな光。
そこには、嗚咽を鳴らしながら、泣きじゃくる泥々とした塊があった。
それは、口から恨み言を吐き続け、その体からは、ずるりと異形が産まれ、とぷんと地面に消えていく。
私はこれが堕神なのだと、直感した。
神だった頃の威厳もなく、ただ絶望と恨みに支配され、人の形すら保てなくなった存在。
私は手首につけていた針がなくなっていることにきがつき、唇を噛み切り、その血を指で拭う。
そして、その手で堕神を抱きしめる。
どろどろとした体に触れると、彼の絶望や怒りの感情が私の中に乱暴に侵食しようとしてくるのを感じる。私はその感情に飲み込まれないように、必死に想いを伝える。
「貴方は全てが奪われたと思って絶望した。
でも、貴方の子供は、死んでなかったの。
幸せになって、結婚して、そして今の私が産まれたの」
堕神の体が、ぴくりと動く。
私は続ける。
「私の、大切な人達が今、この街の人を、私を守るために必死に闘っています。
私は、みんなで生きる事を諦めない」
私の血が触れた部分が、少しずつ光を帯びていく。
堕ちる前の、貴方の血ーー稀血に触れて、思い出してください。
私は、思いの丈をぶつける。
後悔しない、そのために。
「だから、お願いします……思い出して。
人を慈しんでいた事を。
貴方も人を愛してた事を。
人間を……赦してください」
私は、堕神の体を強く抱きしめる。
少しの静寂が訪れる。
(届いて……お願い!)
ふわり、と白いもやが、私の体から浮かびあがる。
それは堕神の周りを舞い、女性と赤子の形に変わった。
堕神は2人をみて、震える腕を伸ばす。
その腕に、2人はそっと触れ、抱きしめる。
《罪人は既に罰を負いました。
その子孫にも、私たちの子供達にも業を背負わせてはいけません》
女性は優しく堕神に語りかける。
堕神の黒く濁った瞳は、いつかの夢で見たような澄んだ瞳に戻り、そうだな、と呟いた。
途端に、堕神の体は光り輝き、私は意識を失った。
「ーーひなこ!」
私を呼ぶ声で、薄らと目を開ける。
そこには、心配そうな顔をした綾人くんがいた。
「綾人くん……」
私が声を上げると、綾人くんは力一杯私を抱きしめて、よかった……と呟く。
「綾人くん、堕神は……?」
そう尋ねると、綾人くんは薄ら浮かべていた涙をぬぐい、答えてくれた。
「ひなこが池に落ちた後、急に池の中が激しく光ったんだ。
その後、池の水が透明に変わったて、水の中から、男女と赤子の幽霊が浮き上がってきたんだ」
「それ、堕神と、私の祖先の……」
「ああ、それで、ひなこが続いて池から浮かんできたんだ。
それで俺に言ったんだ。もう大丈夫だって」
「それって、浄化できたって事……?」
そう問いかける私に、綾人くんはいつものように笑った。
「ああ!ひなこ、やり遂げたんだよ」
その言葉に、私はぼろぼろと大粒の涙が溢れ出てくる。
緊張の糸が切れたように、いろんな感情が渦巻いて、震えながら泣きじゃくる。
そんな私を、綾人くんはぎゅっと抱きしめる。
少しの間、私は泣き続け、綾人くんは優しく背中を撫でてくれた。
その温かい手のひらに、徐々に私の気持ちは落ち着いてくる。
私が落ち着いたのをみて、綾人くんは瞼にキスを落とし、手を伸ばす。
「さぁ、蓮を迎えに行こう」
私は、満面の笑みで頷き、その手をとった。
蓮くんの居る部屋の扉を、綾人くんが力任せに壊し、私達は蓮くんの元に駆けつける。
綾人くんが鎖を壊し、蓮くんを横たわらせる。
蓮くんは既に朦朧とした意識の中、祈祷の祝詞を呟いていたが、私はそんな蓮くんの頬を軽く叩いた。
「蓮くん!蓮くん!」
私の呼びかけに、薄らと視点があい、蓮くんはぼんやりした声で呟く。
「ひなこ……?」
そう呼ばれて、私の瞳から涙がこぼれ落ちる。
私は蓮くんを力一杯抱きしめる。
「もう大丈夫なの。堕神は浄化されたの。だから、蓮くんが犠牲になる必要はもうないの!」
そう伝えると、蓮くんは困惑した顔で、綾人くんの顔をみる。
綾人くんも、薄らと涙を浮かべながら笑う。
「蓮が祈祷してくれてたおかげで、堕神に近づけたよ。ありがとな」
そう綾人くんが言うと、蓮くんは少しの沈黙のあと、そうか……そうなのか、よかったと涙ぐんで微笑んだ。
蓮くんを支えながら私達は洞窟の外にでた。
夜は更け、海の向こうに太陽が昇り出してきていた。
私は大きく深呼吸をして、自分の心臓がドクドクと音を立てているのを感じる。
(……生きてる)
自分の胸に手を当てて、この夜を乗り越えられた事を少しずつ実感していった。
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