閑話 弟(凌視点)


俺の弟は、愚かにも、吸血鬼の本能に抗いたいらしい。



綾人が人間の血を拒否しだしたのは、俺が12歳の時だった。

その報告を聞いた時、俺は母親の響子の隣で読書をしていた。


「あら、綾人ったらまた飲まなかったの?」

使用人の首筋に牙をたてながら、母親がため息をつく。

ジュルジュルと血を吸う音と、高揚した表情の使用人を前に、執事は続ける。

「はい、綾人様は変わらず人間の血を飲まないと拒否しております」

母親は首からゆっくり顔をはなし、牙から垂れる血をハンカチで拭う。

「そんな事しても、本能からは逃れられないのだから苦しいだけなのにねぇ。愚かな子」

そうは思わない?凌、と声をかけられ、本から視線を逸らし、母親の方をみる。

「そうだね。理解は出来ない」

いつものように部屋で暴れているのだろうか。

俺は椅子から降りて、ドアへ向かう。

「綾人の様子を見てくるよ」



綾人の部屋は暴れた後のようで、物が散乱していた。

やれやれとため息をつきながら綾人の近くに寄る。

天蓋の薄いレースの中で、膝を抱えるようにして綾人は蹲っている。

ぐすぐすと鳴き声も聞こえてくる。


「ほら。これやるよ」

俺はレースの境目から、綾人に輸血パックを投げる。

「これなら、人に牙を立てなくても済むよ」

そう言う俺に、綾人はいらない、と呟く。

床に落ちた輸血パックに目も向けない。

「いらないって、じゃあ、お前吸血発作どうするわけ?避けようがないよ。そこら辺の人間襲っちゃうかもよ?」

鼻で笑うと、綾人は顔を真っ赤にして否定する。

「人は襲わない!人間の血も絶対飲まない!」

頬を伝う涙と、叫び声に眉を顰める。

「もしかして、まだこの間のメイドのこと忘れられないわけ?」

数日前、綾人に血を提供していたメイドの少女が死んだ。

別の吸血鬼に襲われて、血を余す事なく吸われたらしい。

うちみたいに教育の行き届いた家なら、そんな事はしないが、野良の吸血鬼なんてそんな

物だろう。

人間なんていくらでもいる。

下位種族が上位種族にひれ伏すのは当然だ。

「あの子は、病気の兄の為に必死でここで働いてたんだ!そんな、簡単に奪われて良い命じゃなかった!」

俺は目を細める。この弟の愚かさには本当にかんにさわる。

「怖いんだ。みんな理由があってこんな場所で働いてるのに、もしかしたら俺も、タガが外れたらって……」

人間の血に慣れてしまうのが怖い、とポツリと呟く綾人に俺は囁く。

「じゃあ他の方法を教えてやろう」

「他の方法……?」

「異形の血を啜るんだ。アイツらは理性を失った化け物だし、殺さないと人間を喰うからな」

人間ほど美味くはないが、吸血発作は抑えられる。

「異形を……」

綾人の目が大きく見開かれ、喉がゴクリと鳴る。

「異形から血を啜るのは簡単ではないが、刈り方は俺が教えてやろう」

「……ありがとう、兄さん。俺、やってみるよ」

綾人がぎゅっとシーツを握りしめ、真っ直ぐに俺をみつめる姿を見る。

その姿に、俺は口元を緩ませる。

馬鹿みたいに運命から抗うその姿が、本当に滑稽で、同時に愛らしい。


ーー本当に愚かで愛しい我が弟よ。


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