第2話 誰が救うのか
「お前を救おう、ラヴィーニャ」
ゆっくりと立ち上がった少女の手には、
「金塊……? いつの間に増やした? 隠し持ってたのか、寄越せガキ!」
先ほどまでの異様な様子に気圧されていた男たちだったが、その輝きに目をくらませ、粗暴な男が声を張り上げる。
「そんなに持ってるってのにまだ欲しいのか? 業突く張りだな、ほらどうぞ」
まるで金塊が汚らわしいとでもいうかのように乱雑に、ごろりと粗暴な男の足元へ放り投げた彼女は、小ばかにした笑みを浮かべた。
「テメェクソガキッ! 立場ってのが分かんねえみたいだなッ!」
「まだ足らないのか?」
足音も荒く近寄る男に、彼女は怯えどころかニタニタと、今まで見せたことのない不気味な笑みを張り付けている。
そしてその手に残していたもう一つの金塊を、男の顔へと緩やかに放り投げ――
ゴゥン。
地下室へ響く鈍い重低音。
突如として生まれた巨大な黄金が、大柄な体躯の男、その全身の全てを覆い潰した。
「流石にこれで満足だろう」
「は?」
残った男の頬へ深紅が、べったりと張り付く。
ぬるりと滑り落ちる脳漿を拭くことすら意識できず、彼はただ茫然と目の前の光景を何度も眺めることしかできなかった。
良くある話だ。
便利な『色彩』持ちの奴隷をこき使うだなんてありふれていて、この少女もいくつも飼っているうちの一匹に過ぎなかった。
そういう奴らは薬や暴力によって牙をへし折られていて、たとえ扉が開いていたって逃げることすら考えない。
だから男の目の前にいるこれは、一体
「『増加肥大』、面白い色彩だ。出力不足もオレなら補える」
浴びた返り血も顧みず、少女は整った顔の口角を引きつらせ大きな独り言を上げる。
細い指先で自身の顔を撫でつけ、まるで自分の能力を今確かめているかのように。
「――! チッ、どうなってやがる!」
先に動いたのは男だった。
粗暴であまり好かない相方の死を漸く理解した彼は、異常なほどの冷や汗を垂らして扉へと駆け寄る。
「ボス! 非常事態だ! ガキが暴走を始めた! 明らかに異常だ、戦闘向きの色彩持ち全員連れてきてくれッ!」
「んんー、やっぱりお前は冷静だなァ」
少女は男の行動を見送り、一つの小さな金塊を床から拾い上げ歩き出した。
よろめきながらも素早く部屋を飛び出していく男の後を追うように、血塗れの地面をひたひたと裸足で。
「ボスが近くに、ってなるとそう大きい組織じゃないな。まあこんなせせこましい商売してる時点で言うまでもないか」
鼻歌が狭い地下道に響く。
この国では誰もが知る歌、希望に満ちた勇者の凱旋歌。
いたいけな少女が奏でる姿は無邪気で平和そのものだったろう、彼女が血に塗れた襤褸切れ一枚でなければ。
ひたり、ひたりと冷たい足音に、いつしか遠くから慌ただしい無数の足音が入り混じる。
そしてまもなく、白い少女の目前へ十数名の大きな影がたどり着いた。
「いたぞっ! 気をつけろっ!」
「早いな」
少し面倒くさそうに、目の前へ立ちはだかる男たちを眺めた少女は長い溜息をつく。
「さっさと外に出たい、道案内してくれねえか?」
「お前が行くべきは地下室だ。結構高かったもんでな、傷は付けたくねえ」
一層大柄な男が集団を掻き分け真正面へと表れた。
男がなにか小さな合図を送った途端、周囲の輩は各々に刃物や短杖を少女へと突き出し、嘲るような笑い声が木霊す。
相手は所詮奴隷の少女だ。
何か妙な力で看守役を殺したようだったが、ここにいるメンツも程度の差はあれど闇稼業で生きてきた者達。多少の生き死にで動揺するほど青くはない。
「お前が首魁か」
少女がさらに一歩前へ進んだ。
「撃て」
瞬間、少女の足元へ放たれる火矢。
魔術だ。
杖先の火を吹き消した背後の男へ小さく頷くと、大男は少女へ氷の様に冷たい声で最後通牒を告げる。
「次はない、部屋に戻れ」
人にもよるが、少女が持つ色彩の発動に手足はいらない。
最悪ミノムシにしてしまったところで、男たちの商売には何ら影響を及ぼさない。
今まで少女の手足が残っていたのは、単に少女が何か出来るような存在ではないと、彼らが侮っていたからに過ぎなかった。
生か死か。
小さな動きで彼女の体は魔術に貫かれ、無数の刃が切り刻まんとする一瞬。
「こんないたいけな女の子を閉じ込めてさ、ヤクも捌いてるんだっけ? 許せねえ、本当に酷い奴だよお前は」
まるで他人事の様に笑っていた。
そしてくるりと後ろを向き、ふらふらと歩きながら……彼女は壁際へとよろめくように倒れ掛かった。
「ああ、汚い壁だ。オレは大っ嫌いなんだ、
触れる片手。
元々薄汚れた体ではあったが、さらに壁へへばりついた塵がざらりとその指先へ張り付いた。
「妙だ! 脚を狙え!」
「ああ、お前もまだいたのか。本当に冷静な奴だよ」
真っ先に声を上げたのは、逃げ出した看守の男だった。
だが周囲は動かない。たとえ話を聞いていたとして、その少女の普段を知ってしまっていたが故に、彼らには何かを理解することすら叶わなかった。
彼女が、掌の塵を優しく吹いた。
「逃げ……!」
突如として通路へ、すさまじい勢いで飛ぶ巨石たち。
一体どこからこれだけの量が現れた? 一体どうやって運んだ? いったいどうやって音もなくここまで!
あっという間だった。
一抱えほどある巨石、その重量は優に人間数人分はある。
そんなものが十や二十、いやそれ以上の数、豪速で飛んできたのなら!
声すら上げられずに誰もが叩き潰された。
つい一瞬前まで下卑た笑みを浮かべていた連中が、人の形をわずかに留めた物質へと変わった。
「……ぁぁあぁッ‼」
たった一人、脇目もふらず逃げ出したことで足だけが潰された男を残して。
「お、一人残ってるじゃねえか」
少女は相も変わらぬ様子で笑みを浮かべ、苦痛へもだえる男の元へと歩み寄る。
まるで何もなかったかのように、ただ日常で見知らぬ人へ無邪気に近寄るように。
ひたり、ひたり。
水気を帯び少し粘着質な足音は、激痛に苛まれながらもなお、いやに男の脳内へと響いた。
「出口はどこだ?」
「――してやる」
むせかえるほどの鉄さびの匂いの中、男は喉奥から絞り出すように叫ぶ。
「殺してやるッ! どこに逃げようと、確実に追い詰めて殺してやるッ! そのツラも、言葉も、二度と吐き出せないほど切り刻んで、皮を引き千切って晒上げてやるッ! 覚悟しろよ、組織がお前を確実に追い詰めて……っ」
「あ、そーなんだ。そりゃ大変だ」
うるさそうに耳を塞いだ彼女は、男の顔を挟むように二つの黄金をそっと置く。
「――! やめっ」
「命乞いは
今際の際。
男が垣間見た彼女の眼は――燃えるほどの激情を湛えていた。
.
.
.
ドン。
ドンッ!
ドゴォォォォンッ!
明かりが全て消えすっかり真っ暗となった地下室へ、一筋の光が差し込んだ。
金の髪を太陽にたなびかせたその青年は、まるで自分が光そのものであるとでも言いたげなほど明るい笑顔を浮かべ、地下室の奥へと手を伸ばす。
「もう大丈夫、君を助けに来た!」
そこに立っていたのは少女一人だけだった。
男と比べ対照的な長い銀の髪を揺らし、全身を赤黒く染めた彼女は薄く笑う。
「どなたですか?」
「ボクは……」
少女の手を掴み、ぐい、と男は力強く引っ張り上げた。
暖かく、大きな手だった。
無数の剣だこに切り傷、さながら勲章とでもいうようにあちこちへ刻まれたそれは、長年の努力が言われずとも伝わってくるほどに深い。
しかし男はその苦労を感じさせないほどに曇りない笑みを少女へと向ける。
「ボクは勇者、このカンヴリア王国の勇者だ! 君みたいな子を今は助けてまわって……」
「なんですかあなた……キモ……触らないでください!」
乾いた音が響く。
少女は嫌悪に満ちた顔でその手を払いのけた。
そして冷たく整った顔へ、蕩けるほどの甘い笑みを思い切り浮かべた。
「もう、わたくしは救われています。サイアさまの手によって」
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