幼馴染と恋の駆け引き

如月小雪

◎前編◎

◆1◆人気者の幼馴染

 彼女は昔から周りの子とはかなり違っていた。

 初めて会ったのは幼稚園のとき。とてもじゃないけれど、幼稚園児には見えなかった。

 長い艶やかな髪をツインテールにしていて、髪を結ぶゴムは赤かった。

 他の子は飾りがついているゴムを使っているのに、「子どもっぽいのはきらいよ」と言って、そういう類の飾りは髪につけなかったのだ。

 花のついたピンがはやったときも、彼女はカラフルな色のついたピンをつけてはいたが、装飾は全く施されてなかった。

 シンプルなものが好きで、頑なにそれを貫き通していた。


「なす! なすってば! きこえないの?」

 俺がパズルに専念していたときだった。

 ひたすら無視を決め込んだが、彼女は諦めず、俺の名前をとにかくしつこく呼び続けた。

「なすってやさいみたいななまえして……!」

 終いにはこんなことを言うものだから、さすがに振り向いた。

「なまえなんだからしかたないだろ」

 そう答えれば、「きこえてるなら早くこっちむきなさいよ」と女王様気取りの言葉が返ってきた。

 彼女は、自分が思ったこと通りにいかなければ納得がいかない、わがままな子どもだったのだ。


 彼女はよく俺を呼びつけて、色んなことを命令した。

「そこのツミキをとって」だの、「かたたたいて」だの、俺を従者のようにこきつかった。

 でも、俺はそれが嫌ではなかった。

 むしろ、頼られていると思えて、好きだったのかもしれない。今振り返ればそう思う。


 他の子は、下の名前を「くん」や「ちゃん」づけで呼び合うのに、彼女は俺だけを名字で呼び捨てにしていた。

 だから俺も、「にとう」と呼び捨てたら、「そんなよびかたしないでよ」と怒られた。

 当時は理不尽なんて言葉は知らなかったが、確実に理不尽だった。

 周りの雰囲気に合わせて呼ばずに、わざと呼び捨てする自分もかなりませていたとは思う。


 小学生になると、幼稚園から近い小学校だったため、引き続いて彼女と同じ場所に通うことになった。しかも、同じクラスだった。

 名前の五十音順で席が決められるため、席が前後になり、よく後ろからつつかれた。

 彼女は「消しゴムわすれたからかして」と言って、俺は消しゴムを1つしか持っていないのに、容赦なく掴み取っていく。

 彼女がのりを忘れて貸してあげたら、先生に俺が忘れたと勘違いされて怒られることもあった。

 だから、「にとうは自分がよかったら、おれのことはどうでもいいの?」と日頃の行いを正そうと思ったら、「もちろん」と即答されて、それ以上何も言えなくなった。


 小学生になってから、俺は彼女を「しおん」と呼び始めた。

 何故なら、彼女が俺のことを下の名前で呼び捨てし始めたからだ。

 というのも、「なす」と呼ぶとどうしても野菜の方が浮かんできて、話にならないという理由からであった。

 俺が「しおん」と呼び始めた頃は、周りにも呼んでいる人がいた。

 それなのに、俺が呼ぶと、「何でよぶの」と怪訝な顔をされた。

 人気のある子が言うのは許すくせにと思ったら腹が立って、文句を言われても無視を決め込んだ。

 そうしているうちに、何度も拒否するのが面倒になったのか、いつの間にか「しおん」と呼ぶのを受け入れてくれた。

 そもそも、俺を下の名前で呼び捨てる彼女が、自分を下の名前で呼び捨てることを拒否するのもおかしな話である。対等じゃないではないか。


 俺と彼女は、家が近かったため、帰りもよく一緒に帰った。

 荷物を持たされることは常であったが、それを苦には思わなかった。俺の方が力持ちなら、持ってあげるのは当然という心理が、少なからずあったからだ。

 頼るのは俺だけという優越感に浸っていたのかもしれない。


 それに加えて、帰り道での楽しみがあった。

 それは、2人で駄菓子屋に行くことだった。

 寄り道をしてはいけないと、学校では口を酸っぱくして言われているので、駄菓子屋への寄り道は2人だけの秘密だった。

 そこで駄菓子を売ってくれるおばあさんは、孫がおらず、俺たちを孫のように可愛がってくれた。

 だから、お金がないときでも、「仕方ないねぇ」と言って、何か1つずつ駄菓子をただでくれた。

 彼女がそれをとてもおいしそうに、そして、見せつけるようにして食べるものだから、おばあさんからもらえる駄菓子は1つで留まることは滅多になかった。何個ももらって、お腹いっぱいになり、夕食がなかなか進まなくて家で怒られることもあったくらいだ。

 当時は背徳感なんて言葉は知らなかったけれど、それを楽しんでいたのだと今なら分かる。

 しかも、1人ではなく、2人で、2人だけで共有していたというのが何より楽しかったのだ。


 紫苑はいつでもどこでも人気者だった。

 それなのに、俺はいつでも紫苑の傍にいられた。

 紫苑は、何でも言うことを聞く俺が都合よく、重宝がっていたのだろう。

 そして、周りが紫苑と2人きりでいることを許したのは、俺が太っていたからだと思う。

 紫苑が太っている人に興味がないと、周りの誰もが知っていたのだ。


 興味がないと知るきっかけは、小学1年生のときだ。

 担任の女の先生の代わりに教頭先生が教壇に立ったことがあった。

 その教頭先生は、腹がぷくっと出ていて、いかにも中年太りというような人であった。

 小学1年生だったため、皆は面白がってその腹を触った。

 ただし、紫苑は違った。紫苑はその様子を遠目に眺め、何故それが面白いのか理解ができない様子だった。

 実際、隣にいた俺に、「さわったらいいことでもあるの?」と真面目な顔をして聞いてきた。

 俺も紫苑寄りの意見ではあったが、冷めた発言に驚いたものだ。

 もっと驚いたのはその後だった。

 俺の隣で冷めた目で見ていたのに、教頭先生の前に立てば、世の中を知らない可愛い小学生に戻る。

「紫苑ちゃんはさわらなくていいの?」なんて周りに言われて、教頭先生に駆け寄って、笑顔で会話するのだ。

 媚びの売り方は完璧で、幼いながらに大人まで欺いていた。少なくとも当時の俺にはそう見えていた。

 細身の担任の先生が戻ってきたとき、紫苑はわざわざ「先生って細いね。あこがれる」なんて言うものだから、クラスメイトは皆、あれがいいのだと思い込んだ。

 つまり、クラスメイトは、太っていた俺が紫苑にはよく見えないと知っていたのだった。

「独り占めできていいな」

 羨ましそうに言われることは多々あったけれど、その人たちが太る気など全くないことは明らかだった。


 紫苑はいつでも皆の中心にいた。

 人の注目を集める術を熟知して、世渡り上手だった。

 そもそも、どんなに技巧をこらさなくても、自分を貫き通す紫苑はかっこよくて、輝いて見えて、人を引きつけ、憧れの対象であった。


 そんな紫苑の傍にいられたのは、小学3年生の夏までだった。

 その夏、俺は転校したのだ。

 紫苑とは小学2年生、3年生でも同じクラスで、ずっと一緒にいたから、傍に紫苑のいない生活は、どこか物足りなかった。

 しかし、次第にその生活にも慣れ、平穏が訪れた。

 紫苑といると、どれだけ色んな感情をもたらしてくれたかも、よく分かった。


 それから、7年近くが経ち、高校生になった。

 自室の姿見鏡に映る自分の体を見る。

 制服のシャツがズボンから出ていて、改めて入れ直す。

 ズボンには隙間があるほど、余裕がある。

 鏡に映った姿は、太っているとは言えない。標準体型だ。

 ここまで痩せたのは、小学3年生の引っ越し以後だ。

 小学3年生の夏までは、祖父母の家で過ごす機会が多く、色んな食べ物を与えてくれ、片っ端から口に入れていたので、太るのが当然の生活だった。

 しかし、引っ越して、祖父母の家で過ごす機会がなくなると、慣れない環境で食欲も減ったことにより、体重は少しずつ減っていった。

 極め付きは、中学生のときだ。

 中学生になって始めたバスケットボールが功を奏し、俺は劇的に痩せた。

 運動をする気はなかったが、元々身長はあったため、周囲に勧められるがままにバスケットボール部に入ったのだった。

 当初は「そんな体で動けるの」と家族も心配していたが、みるみるうちに痩せて、逆に心配されたくらいだった。


 痩せると、今まで見向きもしなかった人が俺に話しかけてくれるようになった。それは男女問わなかった。

 今までとは打って変わった反応に、戸惑いはしたものの、今まで紫苑の隣にいたことが役に立った。周囲から興味を持たれたときの振る舞い方を心得ていて、上手くかわせたように思う。

 紫苑とは7年近くも会っていないのに、こうして俺の思考の断片的に表れる。

 その根強さに思わず笑ってしまう。


 まだ着慣れない紺のブレザーの袖に腕を通し、襟を正す。

「よし。行くか」

 声を上げて自分を奮い立たせ、学校へと向かった。



 学校に着くと、廊下を歩く女子生徒が目に入った。

 茶色のゴムでまとめ上げられた長く豊かな髪がなびいている。歩く度にサラサラと揺れて、視線を釘付けにする。

 彼女は同じ高校1年生で、入学から数日だというのに、クラス外でも知らない人はいないと言えるほど、噂になっていた。


 彼女がすぐに有名になったのは、くっきりとした顔立ちや振る舞いのためだ。

 切れ長の目のためか、目を引きつけてやまない派手な印象を受けるのに、上品さや清楚さも感じるのは、黒々とした髪や白い肌のためかもしれない。

 手足が長く、背筋がぴんと伸びている。同じ制服を着ているはずなのに、周りと違う服を着こなしているかのようにも見えるくらいだ。

 スタイルも姿勢も、周りと比べて格段によいのである。

 高校生のはずなのに、大人と言われても勘違いしてしまいそうなほどの雰囲気をまとっていた。


 教室の前まで来ていたのに、足を止めてまで、別の教室に入っていくところまで見届けてしまった。

「隆輝も惚れちゃったか?」

 完全に視線を奪われていたところ、同じクラスメイトの友達、沼田玲二が後ろから肩を組んできて、小声で囁いてきた。

「いや……」

 ――もう惚れてるんだよ。とっくの昔からな。

「なんだよ、照れるなよ」

「別に照れてねぇよ」

 まさかまた会うことになるとは……。

 笑みがこぼれそうになるのを必死で我慢しているのにも限界があり、隠し通せず、口角は上がる。

 しかし、玲二は適当に勘違いしてくれて、特に笑いの理由を言及されることはなかった。

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