第三話「ボクは弱い」

 ヴェローチェ――『迅速』の名を持つこの組織には三つの顔がある。


 一つは孤児院。いまボクが身を置いているところで、大体三十人程度が共同生活している古い石造りの建物だ。屋内には個室や食堂や彫金の訓練室など、屋外には運動場や小さな裏庭もある。ただの親切心でできた施設ではなく、実際は身寄りのない優秀な子供を育てる組織だ。


 もう一つは宝石店。普段は街中にある古い小さな店で庶民向けの貴金属を売り、月に一度は富裕層向けに大規模な展示即売会が行われる。ボクたち孤児院で育てられた子供たちは即売会では給仕をし、学んだ彫金術で装飾品を作り、店や即売会で販売して金銭を得ることになる。良いものを作れば褒められ、一目置かれ、見合った金銭も貰える。まさに一石三鳥だ。


 最後は暗殺業。宝石店が表の顔だとしたら暗殺業は裏の顔。即売会の裏で依頼を受け、期間までの間に実行する。優秀な職人であると同時に優秀な暗殺者であることが『ヴェローチェ』の名を得るための最低条件だ。


 何人もいる孤児のなかから、展示即売会で適切に動き礼節を持った優秀な『給仕』であり、誰よりも素晴らしい技術を持った優秀な『彫金師』であり、そして対象を確実に仕留められる優秀な『暗殺者』である者に『ヴェローチェ』の名が与えられる。


 つまり、ヴェローチェとは表と裏の支配者なのだ。


 現在、ヴェローチェの名を与えられているのはオロ様を含めて三人だ。この三人は血は繋がっていないが兄弟として扱われ、最終的にその中からヴェローチェの長である『父様とうさま』となる。


 つまり、ボクが目指すのはこの『父様』だ。


 表と裏の顔、この二つともそれぞれ異なる金策であり、それぞれの人脈を広げる事ができる。しかし、どの世界でも上に立つには男であることが有利だ。


 だから歴代の父様とうさまは『父様とうさま』なのだろう。


 そうして、もう分からないくらい古くからヴェローチェは表と裏の世界を牛耳ってきた。全く末恐ろしい一族に拾われてしまったものだ……実に運が良い。


◇ ◇ ◇


 右も左も分からないボクだったが、孤児院『ヴェローチェ』に来て半年が過ぎた。


 幸い人には好かれやすかったらしく、初めから仲の良い友人と呼べる者たちが何人かできた。


 まずは十四歳の金髪の女の子の『エラ』さんだ。十二歳のボクからしたら少し年上で、慈愛に満ちていて、丁寧で頼りがいのあるお姉さんらしい振る舞いをする。


 次に赤髪の短髪で十六歳の『ペンナ』という馬鹿で粗暴な男だ。身体訓練として組み手をすると、いつも全力でボクをボコボコに殴ってくる。


 身のこなしを覚えるための訓練なのに、必要以上に殴る必要はないはずだ。これだから頭が筋肉でできた力だけの馬鹿は……。


◇ ◇ ◇


「バロネッサさん!? どうしたんですかアザだらけじゃないですか!」


 孤児院の廊下ですれ違ったエラさんがボクに気づいて慌てて振り返って声をかけてきた。


 肩ほどまでのサラリとした金髪が彼女の清廉せいれんさを際立たせている。


「あぁ、いや……。ちょっと午前の訓練で……」


「またペンナですね! 私ちょっと文句を言ってきます!!」


「大丈夫ですよ、これくらい。むしろ避けられないボクが悪いんです」


「だからといって、やり過ぎはよくありません!」


 本当にエラさんは正義感が強い。そう、本当にこの人は――裏の顔には向いてなさそうだな……。


 エラさんはぷんすかと腹を立てながら小走りで廊下を一人歩を進めていった。


◇ ◇ ◇


 夕食は食堂に孤児が一堂に介して食事を摂る。


 三十人のうち十人程度で食事を作り、週替わりで交代していく。


 孤児の全体的な世話はヴェローチェ三兄弟の方々も週替わりで担っている。今日はオロ様が舵を取って皆に指示を出している。


 少なくとも三兄弟の中でボクはオロ様を一番慕っている。漠然とあんな人になりたいという憧れがある。


「また見惚れているな。まぁ俺はやっぱりカルロ様派だがな」


 ボクの座る長机の向かいの席に、ペンナがガチャリと食事の乗ったトレイを置いた。


 筋肉質な身体つきだからボクよりも一回り以上大きく、十六歳という年齢以上に大人びて見える。


「バロネッサ、お前俺をエラに売っただろ。さっきめちゃくちゃ耳を引っ張られたぞ」


「別に売ってないよ。必要以上に殴ったペンナが悪いし、それを避けられなかったボクも悪ければ、勝手に買い取って暴走したエラさんも悪い。全員悪いだけだよ」


「誰も得してねぇじゃねぇか……」


「ヴェローチェに拾われる前より最悪なんてことはないよ、オロ様には感謝しかありません」


「そりゃそうだけどよ……。俺やエラはカルロ様に、お前やアルマとアルテはオロ様に。やっぱ拾ってくれた人を慕う気持ちはわかるぜ」


「オロ様がいなければボクは死んでいましたからね」


「俺もだよ。カルロ様には恩もあるし尊敬もしてる。だけど、目標でもあり超えたい壁でもあるんだ。わかるだろ?」


「そう思いたい気持ちは山々だけど……。今のボクの力ではオロ様の足元にも及ばない、少なくともエラさんやペンナの攻撃を食らわないようになってからだね」


 ボクは弱い。


 特技といえば小柄な身体を活かして素早く動き回る――くらいなのに、それすらペンナの攻撃を食らっている始末だ。


 皿に乗せられた味のないパンを千切って口に運び、肉も野菜も入っている温かいスープを飲む。少し前までは考えられないくらい贅沢な生活だ。


「でも、まぁ。お前は良いよな、身体が小さくて手も小さい。俺は身体がお前より一回りはデカくて重いし指も太い。力こそあるが暗殺する時に隠れるには不向きだし、彫金もやりづらい、ホント羨ましいよ」


 スープをスプーンで口に運びつつ、ペンナはやれやれといった態度を取っている。


「そっか……『私』が羨ましいと思われることもあるのか……」


「ん? なんか言ったか?」


「いや、何でもない。それより、明日の指輪造りでは負けないからな、徹底的にボコボコにしてやる」


「叩くのは指輪だけにしてくれよ……」

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