第31話 閑話 執着4ー真弥視点ー


 叔父夫婦もいなくなってしまい、本当に天涯孤独となった真弥は何も告げずにEDENを去った。

 しかし一般人がどこに身を隠しても東龍会を欺くことはできない。


 逃げた真弥を血眼になって探していたのは神楽だった。見つかった瞬間、黒塗りのベンツに無理矢理押し込まれ、機嫌の悪い悪魔にいきなり着ている服を切り裂かれた。


「私から逃げるつもりだったのか?」


 両手首に手錠をかけられ、抵抗出来ないよう後ろ手に縛られた。

 神楽はいつもマヤに優しく微笑みかけ、VIPルームでの戯れも全身を労わるような甘い時間だったので、こんな無理矢理ということは一度も無かった。

 これが若頭の本性なのか。あまりの豹変ぶりに背筋が凍りついた。


「逃げられると思わないことだ」


 抵抗出来ないまま車内で身体を蹂躙され、喉元に突然ナイフを突きつけられた。


「指か足か、どちらを選ぶ?」

「えっ……」


 ナイフはつうっと首の薄皮を切り裂く。無表情のままこちらを見下ろす神楽さんの瞳は本気だ。

 この顔は、関東を牛耳る東龍会若頭としての顔。


「お前をみすみす逃した榎下は指を切り落として、格下の佐久間組に捨てた」


 長年神楽さんのボディガードをしていた男を一瞬で切り捨てる冷酷さと、そうさせてしまった俺の浅はかな行動。

 ごめんなさいと詫びたところで榎下さんの指は帰ってこないし、この人達の世界はそういう場所だと今更思い出す。


「どっちも、御免です……」


 死んだ妹の笑顔が脳裏を過ぎる。俺はどうしても看護師になりたかった。

 カスタードプリンしか食べられないまま、治療方法を探してアメリカにいく途中で、事故で無念のまま逝った妹の分も生きたい。

 生きて、生きて──彼女らのように治療出来ない誰かを救う力になりたい。

 夢は捨てたくない真弥に指も足も切り落とすという選択肢は無かった。

 それでも、東龍会に一度借りを作ると生きている限りこうやって永遠に追われ続ける。


「では臓器を売るか?」

「そ、そんな……」


 神楽の瞳は真剣そのものだった。喫茶店に来ていたあの穏やかで優しい紳士はもういない。

 たった一度でもこの人の籠から抜け出した真弥は彼にとって敵なのだ。

 微塵も愛情を見せない神楽はナイフを今度は左の腰にあてた。破かれた服の隙間からつうっと血が滴る。


「お前が私のことを二度と忘れないようにしてやる。この身体に、永遠に消えない痕と快楽を残して……な」


 冷酷な笑みを浮かべた神楽にもう一度身体を蹂躙されたところで、ようやく真弥は解放された。


 翌日、あまりの激痛に目覚めると、左の腹部に歪な傷が残されていた。

 どうやら薬で眠らされている間に、腎臓を抉り取られたらしい。合法ではない臓器売買に介入させられた真弥は声が枯れるまで泣いた。


 さらにその翌日、ふらふらで歩くのがやっとの状態ではあったが、闇医者に薬を処方してもらい真弥は神楽の籠から完全に脱出した。


 別れの言葉なんて必要ない。あの人は必ず俺を捕まえにくるだろう。ただし、俺があの人に頼らなければ別問題だ。


 久しぶりに出た昼間の世界は眩しすぎて、真弥は太陽を睨みつけた。


「──神楽龍也……もう、あなたには二度と関わりません。さようなら」



「漸く来たか」


 神楽からの呼び出しを受けていた真弥は気乗りしないまま彼の部屋に入った。

 手術が終わり、まだ酸素マスクをつけている神楽の姿など、下の人間が見たら笑うだろう。だから彼は明日ここを去ることになっている。

 挿入されているドレーンやガーゼの交換は、専属の闇医者が居るので、彼ら闇に生きる人間達が不必要に長い入院を選択する必要はないのだ。


「お久しぶりです、神楽さん……」


 ベッドに近づくとすぐさま腕を引き寄せられた。鼻を僅かに動かした神楽が怪訝そうに眉を寄せる。


「カルバンクラインか。──それはお前の匂いではないな」


 絶対的支配者に会うことに勇気が無かった真弥は、堅祐が目覚める前にこっそり彼の香水を拝借した。

 この香りに包まれていると、側で堅祐が守ってくれているような気がした。案の定、神楽の覇気を浴びても少しだけ強気になれる。


「神楽さんには感謝してます。ですが、俺は腎臓を失ったあの日からあなたと決別したんです」

「私は認めていない」

「いいえ、榎下さんが指を詰めて、俺は腎臓を売った。あなた方に対する贖罪は十分果たしたはずです。もう金輪際あなたに関わるつもりも、介入するつもりもありません」


 射抜くような神楽の瞳は背筋を凍り付かせるような迫力があった。とても先ほどまで手術を受けていた人間とは思えない。


「……それが通じるとでも?」

「はい。それに俺は、好きな人が出来ました。いつまでもあなたの愛人の一人に収まりたくはありません」

「お前を手放すつもりはない」


 これでは一向に話が進まない。真弥は堅祐に貰った指輪に力を借りた。


「神楽さん、俺は確かにあなたに長年救われてきました。それでも、今はやっと自分の足で立てるようになったんです」

「分かっている。お前が長年濱田の借金を背負って何一つ文句も言わずに働いてきたことも。だが私は……!」


 神楽が少し身じろいだ瞬間、ドレーンが突っ張ったのか顔を顰めて布団に沈み込んだ。


「神楽さん、ごめんなさい……こんな時に」

「いや。お前は頭がいい。こんな時でなければ私から逃げられないだろう」

「そうですね。神楽さんには武器も体術も勝てませんから」


 右手の薬指に視線を感じた。


「……お前は、いつの間にか他人のものになってしまったのか」


 真弥も指輪に視線を落とす。この場所に堅祐がいてくれるような気がして、自然と笑みが溢れた。


「はい。俺は幸せになれる場所を見つけたんです」

「あの番犬に取られる前にもう一度お前に俺だけを見つめるよう植えつけるべきだった」


 もうこれ以上は御免です、と苦笑する。


「神楽さん、今まで本当にありがとうございました」

「マヤ」


 立ち去ろうとした瞬間、縋るように手首を掴まれる。


「また、私に珈琲を淹れてくれないか?」

「それは勿論。今度は、俺の大切な番犬と行かせてください」


 さようならの代わりにするりと神楽の指先をかわし、退室前にもう一度頭を下げて部屋を出た。

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