第19話 歩み寄る距離
十二月に入り、世間はクリスマスムード一色だ。年末年始は病院が閉まるので、薬を求めて内科外来は渋滞を作り、外科は年末年始の手術調整に忙しい。
当直で身体を壊す寸前に、真弥からおにぎりと煮物の差し入れがあって、いい雰囲気になって。
普通であれば「恋人同士になりました!」とか、「あれから毎日求められて大変なんです!」とか、「ついに同棲しました!」とか淡い展開になると堅祐は猛烈に勘違いしていた。
『堅祐……』
『マヤさん、もうお友達じゃなくていいですよね?』
その質問に対する返事はない。進むのを恐れているのか、普段はクールに仕事を進める彼がこうまで不安に揺れる瞳を見ていると嗜虐心がそそられる。
『マヤさん……好き』
『あ……』
白い首筋に軽く歯を立てた瞬間、真弥は突然色気も何もない大声を上げて堅祐の顔を全力で引き剥がしてきた。
『いだっ!?』
『大変だ!
『えっ……あ、えええええ!?』
あの日、甘いキスを繰り返してかなりいい雰囲気になったのに、忘れ物をした真弥は最中に我に返り、さっさと乱れた衣類を整えて自宅に帰ってしまった。
救急の患者や、緊急オペがある時の為に当番制になっており、真弥はリーダーという立ち位置からリーダー専用のPHSを常に手放せない。
結局、お友達より先に進んでいいのか返事は聞けないままだった。
「はぁ〜……」
「ほらほら先生、ため息ついている暇ないよ!
インフルエンザ予防接種希望の五百人分問診お願いします」
「ふぇーい……」
外科外来もパンク寸前、患者の待ち時間は連日四時間超えが続いた。
そして当たり前だが、オペは年末年始行わない分パンパンに入っている。
この地獄のような外来が終わらないと先生達がオペに行けないので、必然的に研修医が外来担当になる。
「花巻、オペ室の忘年会は勿論参加するよな?」
「ええ。片倉部長が珍しく張り切って出席取ってましたよ。当日、救急で呼ばれない限りは絶対に参加します」
珍しく救外の手伝いに来た出村に話しかけられる。参加の意思を伝えると短くそうか、と言いニヤニヤしていた。
「今年は噂によると、オペ室男子メンバーも出し物があるらしいぞ」
「えっ!?」
例年、新人が出し物をやるらしいが、今年の新人は少ないので合同で何かを行うらしい。
きっと後輩思いの真弥も出し物に参加するだろう。
普段のあの立ち振る舞いから面白い出し物というものが全く想像出来ない。手品? 歌?
忘年会までのカウントダウンが楽しみになり自然と口元が緩んだ。
「鼻の下伸びてるぞ、花巻。どうせ可愛い新人のこと妄想してんだろ?」
「そりゃあ、やっぱり目の保養っしょ」
妄想しているのは真弥のことだけ。そんなことを先輩に悟られるわけにはいかないので、さらりとポーカーフェイスで返答した。
◇
慌ただしい日々が続き、堅祐は救急外来でついに悲鳴を上げた。
「ダメだ、全然頭が回らない。急患来るまでちょっと休憩していいですか?」
「仮眠室三つとも空いてますから、どうぞごゆっくり」
今日の当直も優しい外来師長で助かった。忙しいと本当に休憩が取れない。
エナジードリンクとブラックコーヒーで誤魔化していたものの、脈は早いし頭も痛い。倒れる前に仮眠室に雪崩れ込んだ。
籾殻の枕を手繰り寄せて、せめてあと一時間だけ寝かせてくれ……とPHSに鳴らないように願いを込める。
疲れた身体は外的刺激を気にせずにぐっすり眠っていたらしい。髪の毛をさらりと撫でる優しい手が、頬を掠めた。
うつぶせのまま寝ていたので、誰が来たのか分からない。以前、迂闊に大好きな人の名前を呟いてしまったが、もうそんな醜態は曝さない。
「ん──誰?」
「ごめん、堅祐……起こしちゃったな」
「マ、マヤさん!?」
また悪い癖が出てしまった。思わず大声で名前を呼んでしまった。
こっそり侵入してきた真弥は慌てて「しーっ」と唇に手のひらを当ててきた。ほんのり冷たいその指先にドキドキする。
「お前、忙しいからまたろくに食べてないんだろ。差し入れ」
「うわああ、めっちゃ嬉しい……けど、こんな時間にマヤさんは何を……」
時計は二十三時を回っていた。この時間に病院に居るとしたら、ベル当番で病院にでも呼ばれない限りありえない。
堅祐の当直のPHSが鳴らないところを見ると緊急での呼び出しは無いはずだ。
素朴な疑問に少しだけ言いにくそうに真弥が視線を逸らした。
「オペ室の出し物の練習……恥ずかしいから、出来れば見られたくないんだけど」
どこの病棟も忘年会出し物の練習に忙しい。
オペ室で新人と一緒に出し物の練習をしていたのだという。
「マヤさんは何するんですか? 出し物」
「お前は忘年会に来るだろ。だから、今言う必要はない」
「ええ〜!? 教えてくださいよ、マヤさん……」
不服そうに唇を尖らせても真弥は不敵な笑みを浮かべただけで教えてはくれなかった。
「年末まで忙しいから、そんなに当直頑張るなよ。自分の身を守れるのは、自分だけなのだから」
「はい、ありがとうございます。マヤさん」
離れようとした真弥の細い手首を掴み、堅祐は自分の頬をつんつんと突きアピールする。
「いてっ」
「……盛るな」
額を指先でピンと軽く小突かれ、キスもくれないのかとしょんぼりしていると、真弥が一瞬だけ周囲に目配せして頬にそっと触れるだけのキスを落とした。
「──花巻先生、真面目にお仕事してくださいね」
甘い声と妖艶な瞳でそう言い残し、真弥は片手をあげて何食わぬ顔で出て行った。
「やっぱ俺、マヤさんのこと、大好きだ……」
触れた唇は冷たいけれども、頬は熱を帯びている。自然と顔がくだけた。
EDENで初めて彼に会って、それから四年間ずっと忘れられなかった。
一途なバカだと笑われたし、いくら好きだと言っても、まだ好意的返答はない。
真弥はおぼっちゃまで世間知らずの堅祐のことが大嫌いだったのに、今はそれも含めて受け入れようとしてくれている。
他の人には普通の態度なのに、堅祐に対してだけとんでもなく不器用。
こんな時間なのに、わざわざおにぎりを持ってきてくれた優しさは多少なりとも好意の表れだろう。
「あー、やっぱりマヤさんの塩梅おにぎり最高にうまい」
食を通じて与えられるさりげない愛情が心と身体に沁みる。頬が勝手に綻んだ。
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