狂騒具の帝王 ~惨めな最期を遂げるはずだった中ボス貴族、原作知識を得て呪われた装備で成り上がる~

レルクス

一学期編

第1話 原作知識

 工房の奥、オーブの祭壇は破壊され、周囲には暴走した錬金術の残骸が散らばっている。


 その中央に、とある存在が、呻きながら立っている。


 漆黒の鱗が帝国の軍服を突き破り、背からは歪な翼が生え、その口はまさしく「龍」のそれへと変貌している。


 彼が求めた禁薬──「龍化の禁薬」による、おぞましい魔物化の姿だった。


「グゥ……アアアアアア!」


 人語にもなっていない咆哮が、玉座の間だった空間に響き渡る。


 しかし、その声が威嚇よりも苦痛の叫びのように聞こえるのは、彼を囲む若者たちの気のせいではなかった。


「ラギウスさん……! もう、やめましょう!」


 パーティの先頭に立つ少年──ユウキが、痛まし気に顔を歪めながら剣を構える。


 その瞳に宿るのは敵意ではなく、明確な「哀れみ」だった。


「あなたは……領地を守る重圧に耐えきれず、呪われたアイテムの力に頼ってしまった……! 道具に魂を喰われた、ただの犠牲者なんだ!」


 その「同情」こそが、魔物となったラギウスの逆鱗に触れた。


「……だま、れ……!」


 半龍半人の喉から、絞り出すような声が漏れる。


「軟弱者……どもが……! 俺は完璧だ。この程度の呪いっ!」


 瞳孔が開いた、狂気に爛(ただ)れたように見える瞳で、ラギウスはユウキを睨みつける。


 その姿は、あまりにも痛々しかった。 失いゆく理性とプライドの中で、最後の強がりを叫んでいるようにしか、彼らには映らない。


「……そうですね。あなたは強かった」


 ユウキは剣を握りしめる。


「だから、もう苦しまないでください。俺たちが……あなたを、その呪いから解放します!」


 聖なる光が彼の剣に収束する。


 ラギウスは最後の力を振り絞り、ブレスとも叫びともつかない灼熱の「何か」を放とうとするが、それよりも早く、光の刃が彼の胸──暴走する魔力の核を貫いた。


「…………ぁ」


 魔物化していたラギウスの身体から、急速に力が抜けていく。


 恐ろしかった龍の形相が、ほんの一瞬、何かに耐えるような、あるいは何かから解放されたような「安堵」の表情に変わる。


 そして、彼の身体は耐えきれなかった錬金術の素材のように崩壊し、まばゆい光の粒子となって、風と共に消滅していった。


 後に残ったのは、静寂と、ユウキの呟きだけだった。


「……誰も、あなたを責めたりしない。どうか、安らかに……」


 ★


「……ッ、ハァ、ハァ……ッ!」


 夢の中で疲れた場所……肺を突き破られる幻痛と共に、ラギウスは寝台の上で跳ね起きた。

 全身が嫌な汗で濡れている。

 激しい動悸が肋骨を叩き、頭蓋の内側では、割れるような頭痛が警鐘を鳴らしていた。


「……クッ、ゥ……」


 ラギウスは片手で顔を覆い、荒い呼吸を整える。

 視界が明滅する。

 赤熱した視界、崩れ落ちる身体、そして自身を見下ろす若者の「哀れみ」に満ちた瞳が、網膜に焼き付いて離れない。


 だが、それ以上に異常だったのは、脳内に雪崩込んできた膨大な「情報」だった。


(RPG? シナリオ? ラギウス・フォン・カルゼラードは……呪われた装備で精神が壊れた、哀れな中ボス……?)


 聞き慣れない単語の羅列。

 この世界が作り物であり、自分はその中盤で倒される悪役に過ぎないという、存在の根幹を否定するような概念の奔流。


「……チッ。なんだ、この不快な雑音は」


 しかし、たった一回の深呼吸で、その全てを遮断した。


 混乱は一瞬で霧散する。

 恐怖も、焦燥も、自己喪失感もない。

 あるのはただ、頭の中に沸いた羽虫を追い払った時のような、僅かな不快感だけ。


 彼は汗を拭うと、冷たい月光が差し込む窓辺へと歩き、鏡に映る己の姿を見据えた。

 そこに映るのは、漆黒の鱗に覆われた化け物ではない。

 仕立てのいい寝間着に身を包んだ、18歳の、人間の自分だ。


「……何か、この情報を裏付けるもの……そういえば」


 ラギウスは机に近づいて、引き出しを開ける。

 一つのアンティーク品を手に取って、蓋を開く。

 三時五分を示すアナログの時計だ。


「……昔、親父がどこかから持ち帰ってきた懐中時計だが、これが、『呪われたアイテム』だと?」


 ラギウスはこの懐中時計について、詳しい情報を頭の中から探し出す。


 名前は、『焦燥の懐中時計』であり、時計に『処刑を待つ囚人の魂』が入った、『呪われたアイテム』だ。


 いつでも『正確な時刻』を示す。

 しかしデメリットとして、常に心臓を鷲掴みにされるような強烈な焦燥感と何かに追われている恐怖に襲われるというもの。


「煩わしいだけだ。こんなものが本当に……」


 懐中時計を見る。


 いつでも、ただ、正確な時を刻むだけの時計。

 確かに、そんなマジックアイテムならば、『何らかの効果』が別にあっても不思議ではない。


 だが、『死刑囚ような焦燥感』とは、彼は無縁だ。


「……っ!」


 窓の外を見ると、フクロウがバルコニーで羽を休めている。


(……試してみるか)


 ゆっくり近づく。


 時計をフクロウに向かって投げた。


 外すような距離ではない。

 ただ、懐中時計の鎖が、上手く足の爪に引っかかって、取れずらくなった。


「――――ッ!?」


 フクロウが、弾かれたように翼を広げた。


 だが、飛び立つことはない。いや、できなかったのだ。

 その身体は痙攣したように震え、鋭い爪がガリガリと床を引っ掻く。


 金色の瞳孔は限界まで見開かれ、何か見えない捕食者に喉笛を食いちぎられたかのように、パクパクとくちばしを開閉させている。


 それは、生物としての生存本能を根底から塗りつぶすような、原初の恐怖。


 明らかに、『足に何かが引っかかったから』の反応ではない。


「……」


 ラギウスはフクロウに近づくと、暴れる体を抑えて、足から懐中時計の鎖をほどいて回収した。


 拘束から解き放たれたフクロウだったが、その反応は異常だった。


 すぐさま飛び去ったのではない。


 空へ逃げることすら忘れ、バルコニーの床を転がるように羽ばたき、手すりに激突しながら、悲鳴のような声を上げて闇夜へと消えていく。


 空を飛ぶという本能すら忘却させるほどの、絶対的な恐怖が、そこにあった。


「……なるほど」


 ラギウスは手の中の懐中時計に視線を戻す。

 相変わらず、彼には「チクタク」という機械音と、僅かな「ノイズ」しか感じられない。


 だが、目の前の事実は雄弁だった。

 この時計は、触れたものに「死の恐怖」を与える。

 あのままずっと引っかかっていたら、生物を殺し得るほどの、濃密で強烈な呪詛を。


(俺が感じていた『羽虫のような不快感』は、常人にとっては『心臓を握り潰される処刑の恐怖』だったというわけか)


 認識のズレが修正される。

 それと同時に、脳内に溢れていた「ゲーム知識」という情報の信憑性が、確固たる「事実」へと変わった。


 ここはゲームの世界だ。

 そして自分は、この程度の呪いで即死する軟弱な生物たちとは違う、特異な精神を持っている。


「あとは……そうだ。俺のついての情報で、コイツも知らないが……俺ならできることが一つある」


 ラギウスはバルコニーから部屋に戻り、自分の部屋の扉を開ける。

 廊下には誰もいない、寝静まった夜だ。


(このカルゼラード家の別邸の、親父の部屋。金庫があって、中には呪われた書物がある)


 まっすぐに、父親の執務室に行く。


(親父はカルゼラード領にいて、ここにはいない。というかこの屋敷も、俺が『帝国学校』に通うにあたって、寮を使わずに通学するためだからな。次期当主である俺はやらなきゃならない勉強が多すぎて、学生寮は機密を扱えない)


 思い返しつつ、執務室に入る。


 まっすぐに、『金庫』に向かう。

 ラギウスは、自分の右手の指輪を鍵に近づけた。


 小さくカチャッと音がする。

 金庫を開けると、中には、一冊の書物だけが入っている。


 おどろおどろしい表紙で、『断絶の書』と記されている。


「俺の精神なら、呪われた書物も読めるはずだ」


 普通なら死ぬほどのものであろうと、自分なら、問題ない。


 そう思いつつ、本に触れる。


「……なるほど、確かに煩わしさは時計の比ではない。懐中時計の十倍ほどか? だがそれでも、俺には関係ない」


 黒革の装丁のそれを手に取ると、本を開く。


「……俺に関する情報……だが、この本はカルゼラード家が貴族ではなかった時代から受け継がれた本だ。『ラギウス』ではなく、何か精神に関することが……っ!」


 見つけた。


『我が一族の血に宿る、忌むべき、あるいは誇るべき特異点について。魂の侵食を拒絶する絶対の防壁。我はこれを『絶対自我』と名付ける』


 この一文だ。


「精神の侵食を拒む。『絶対自我ぜったいじが』。血に宿ると書かれているが、親父は呪われた装備を使っていないし、唾棄すべきと言っていた。となると、俺はその血が覚醒した存在と言うことか」


 呪われた懐中時計に触れて、呪いを無効化するのではなく、『ほぼ影響がない』ことも。


 呪われた書物を開き、読み進めることができるのも。


 さらに言えば。


 この世界が『ゲームの世界』であるという、創作物の一つでしかないという、自分の存在意義を揺らがすことを自覚し、理解しながらも、『自分』を保っていられるのは。


 この異能、『絶対自我』が発動しているからだ。


「今まで、俺は他人を『軟弱者』だと思ってきた。直ぐに諦める。直ぐに甘い誘いに乗る。直ぐに……なるほど、いままでそれが全く理解できなかったが、俺が『絶対自我』を持っていたからか」


 本を閉じて、金庫に仕舞うと、指輪で鍵を閉める。


「そして……ゲーム本編で、俺が『哀れまれて、惨めな最期を遂げた』のは……周囲が俺の『正気』を理解できず、呪われたアイテムに傾倒しているように見えた姿が、狂っていると思ったからか。なるほど」


 執務室を出て、自分の部屋に戻る。

 そのまま、ベッドに横たわる。


「……哀れまれて殺されるなど、屈辱だ」


 貴族とは、とうとい生まれなのだ。

 誇りある道でなければならない。


 哀れまれるなど、あってはならない。


「絶対自我は俺の力。俺の『成果』を示すうえで、呪われるというデメリットがある代わりに、強力な性能を持つアイテムは必要だ。それらを使いつつも、『狂っていないのだ』と示さなければならない」


 ゲーム本編において、呪われたアイテムを集めていく中で、自分が哀れまれていることは理解できていなかった。


 認識に大きな『差』があるのだと、分かっていなかった。


 だが、これからは違う。


「もう二度と、『哀れな中ボス』と呼ばせるか。俺は、俺の力で、俺のすべてを、世界に理解させてやる」


 懐中時計を握りしめて、ラギウスは、ニヤッと笑った。

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