ドリームアイドルステージと、遠くから届くハーモニー

 ステージの上は、別の重力がかかっている。


 幕が上がった瞬間、足元の床が、さっきまでとは違う方向に引っ張られる気がした。


「きゃー!」「マコちゃーん!」「真ー!!」


 体育館いっぱいの歓声。


 午前中、“真・マスラオコンテスト”で見た観客席とは、まるで別の世界だった。


 ライトの熱。

 スピーカーから流れるオープニングSE。


 視界の先には、ペンライト代わりに配られた紙製スティックが揺れている。


(――ここが、俺の“午後の戦場”か)


 センター位置で、マイクを握る。


 横には、星羅とミカド。

 後ろには、女装科の仲間たち。


 空いているのは、俺のすぐ左――玲央が立つはずだったポジションだけ。


「行くよ、マコちゃん」


 星羅が、目だけで合図を送ってくる。


「うん」


 イントロが流れ出した。


 曲名は、『マスラオ・クロスオーバー』。


 武道科と女装科の合同制作による、“真・マスラオコンテスト”と“ドリームアイドルステージ”を繋ぐテーマソングだ。


「――♪」


 最初の歌い出しは、センターの俺。


 > 竹刀を握った右手で

 > マイクを掴みに走り出す

 > 泣かないように生きるより

 > 泣ける場所を探してた


 歌詞を噛みしめながら、一歩前に出る。


 さっきまで畳の上で踏んでいた足が、今はステージの板の上を踏む。


 客席から、「うおおお」と何かよくわからない歓声が上がった。


 続いて、星羅のパート。


 > 鏡の前で迷うたび

 > 答えをくれたのは仲間

 > 可愛いだけじゃ物足りない

 > 強さだけでもつまんない


 フォーメーションチェンジ。


 センターを軸に、左右に広がる。


 剣道で身につけた足さばきが、ダンスのターンにそのまま使える。


「いいよいいよ、午前の“メン!”が午後の“ターン!”になってる〜!」


 ステージ袖で、百合ヶ咲先生の謎テンションの声が飛んでくる。


(集中、集中)


 間奏で、客席に向かってコール&レスポンス。


「“マスラオ”って言ったら、“らしさ!”って返して!」


「マスラオ!」「らしさー!!」


 体育館の天井が震える。


 その一体感が、たまらなかった。


 ◇ ◇ ◇


 二曲目までは、予定どおりに進んだ。


 俺のソロパートと、全員でのチア風ダンス。


 問題は、三曲目だった。


 本来なら、ここで「真&玲央デュエット」が入るはずだったのだ。


 スクリーンに、曲名が表示される。


『二人で全部――未完成のまま』


 タイトルからして、ベタベタに狙っている。


(……一人で歌うのか、これ)


 イントロが流れ出す。


 本来、最初の一節は玲央のパートだった。


 > ずっと誰かの“顔”でいた

 > 名前より先にブランドが来る


 。その歌詞が、モニターに流れる。


(大丈夫)


 歌うのは、怖い。


 でも、玲央と何度も練習したメロディーは、体に染み込んでいる。


 マイクを握り直す。


「……♪」


 > ずっと誰かの“顔”でいた

 > 名前より先にブランドが来る


 玲央の歌い出しを、俺が歌う。


 客席が、少しざわめいた気がした。


 続くはずだった、俺のパート。


 > 泣かないことが正解で

 > 強さだけを演じてた僕


 歌いながら、胸がぎゅっとなる。


(これ、本来は“僕”と“俺”で歌い分けるはずだったんだよな)


 サビ前のブリッジで、アレンジを少し変える。


 本当は、玲央がハモる予定だったライン。


「ごめん」


 心の中で呟く。


「でも、ちゃんと歌う」


 サビ。


 > 二人で全部 持ち寄って

 > 強さも弱さも 混ぜ合わせて

 > 未完成のまま ステージに立つ

 > それを“男らしい”と言ってみたい


 “二人で全部”のところで、客席に向かって手を差し出す。


 その手の先に、本当は隣の玲央がいるはずだった。


 いない。


 でも、いないからこそ。


(歌詞の“二人”に、もう一人分の意味を足してやる)


 歌いながら、頭の中でイメージする。


 俺と玲央だけじゃない。


 星羅も、隼人も、クラスのみんなも、父さんも。


 みんなの「強さ」と「弱さ」を混ぜ合わせた“二人分以上”の気持ちを、サビに乗せる。


 アウトロ。


 最後のフレーズは、少しだけアカペラ気味にした。


 > 未完成のまま 笑っていたい


 歌い終わった瞬間、一瞬の静寂。


 そして――


 拍手。


 口笛。


 さっきよりも大きな歓声が、ステージを包んだ。


「真――!」


 客席のどこかから、聞き慣れた声がした。


 玲央、ではない。


 隼人だった。


「いいぞー! 未完成上等!!」


 隼人の叫びに、周りの武道科生徒たちも声を上げる。


「未完成上等!」


 そのコールに、女装科ゾーンも便乗した。


「未完成上等ー!!」


 体育館が、「未完成上等」で一つになっていく。


 笑いそうになった。


 泣きそうにもなった。


(……これなら)


 胸の奥で、小さな確信が生まれる。


(これなら、玲央がどっちを選んでも、きっと後悔しない)


 ◇ ◇ ◇


 ステージは、その後も盛り上がり続けた。


 全員曲、科ごとのシャッフルユニット、ゲスト枠のOGステージ。


 気付けば、ラスト一曲を残すのみになっていた。


『ラストは、もちろんこの曲!』


 司会の声が響く。


『マスラオ祭テーマソング、“スカートで男道”!!』


「タイトル恥ずかしいな!?」


「でも、ハッシュタグはすでにトレンド入りしてるからね〜」


 星羅が、スマホをチラ見せしてくる。


 ステージ上には、女装科メンバー全員が並んだ。


 センターに、俺。


 左右に、星羅とミカド。


 玲央のポジションは、まだ空いている。


 イントロが流れ出す。


 会場のテンションが、一段と上がった。


「マスラオ!」


「らしさー!!」


 コールが自然に沸き起こる。


 歌いながら、ふと客席の後ろのほうを見る。


 体育館の二階観覧席。


 そこに――


 一瞬、見覚えのあるシルエットが見えた気がした。


(……気のせいか)


 集中を切らさないように、視線を前に戻す。


 サビでジャンプ。


 スカートの裾がふわりと舞う。


 > スカートで男道 走り出す

 > 誰のものでもない この道を

 > 泣いて笑って 転んでもいい

 > それでも前に 進んでいく


 汗が額を伝う。


 ライトが眩しい。


 でも、その眩しさが、今は好きだった。


 ◇ ◇ ◇


 アンコールの拍手が鳴り止まない中、ステージの幕がいったん降りる。


 楽屋に戻ると、全員が「やり切った!」という顔をしていた。


「マコちゃん、センターおつかれー!」


「午前も午後も主役とか、どこの二部構成主人公よ」「国のソフト&ハードパワー担当だもんね」「そんな役職いらない」


 笑い合っていると、スタッフさんが顔を出した。


「桐島さん。ちょっと、お客様が」


「お客様?」


 廊下に出る。


 そこにいたのは――


「……父さん」


 スーツ姿の父さんだった。


 その隣には、見慣れた顔もいる。


「やあ。いいステージだったよ」


「朱雀院会長……」


 よりによって、この二人セットで来るとは思わなかった。


「内務戦略大臣と朱雀院グループ会長が文化祭の楽屋前にいる図、情報量多すぎません?」


「お前がその一因だ」


 父さんが、じろりと俺を見る。


「午前の“真・マスラオコンテスト”と、午後のステージ、両方拝見させてもらった」


「え。午前も?」


「ああ。途中からだがな」


 父さんは、腕を組んだまま続ける。


「スピーチ、“怖いって言えるのも男らしさ”というのは、やはり良い表現だ」


「そこ気に入ってるんだ……」


「午後の歌も、悪くなかった」


 それは、父さんなりの最大限の賛辞だった。


「“スカートで男道”などというフレーズは、私の世代には刺激が強すぎるが」


「俺も若干そう思ってる」


 朱雀院会長が、楽しそうに笑った。


「素晴らしいステージでしたよ。特に“未完成上等”のコール、あれは世界にも通用するコンセプトだ」


「世界規模で“未完成上等”叫ばせないでください」


「しかし――」


 会長が、少し表情を引き締める。


「正直に言えば、私としては、あのセンターに玲央が立つ姿も見たかった」


 胸が、ちくりと痛む。


「が」


 会長は、わずかに頷いた。


「今日の君を見て、考えを改めた」


「え?」


「“朱雀院ブランドの顔”としての玲央ではなく、“玲央自身が選んだステージ”に立ってほしい。……そう思ってしまったよ」


 その言葉には、親としての感情が滲んでいた。


「正直、悔しい。親より先に、他人のステージで息子の“居場所”を見つけられた気がしてね」


「それは、なんというか……すみません」


「謝ることではない」


 会長は、苦笑しながら続けた。


「グローバル配信の件は、少し考え直す必要がありそうだ。……あの子も、こちらも」


「え、それって――」


「詳しいことは、後日改めて。今はただ、君のステージを讃えに来ただけだよ」


 会長は、軽く頭を下げた。


「ありがとう。桐島君」


 父さんが、小さく咳払いをした。


「私からも、一つだけ」


「なに」


「午前と午後、全く違う姿で“マスラオ”を演じていたが」


 父さんは、じっと俺を見る。


「どちらも、“桐島剛政の息子”であることに変わりはないと、今日初めて素直に思えた」


 心臓が、一瞬止まった気がした。


「……それって」


「勘違いするな。“賛成した”わけではない」


「ですよね」


「ただ、“誇りに思うかどうか”と聞かれたら」


 父さんは、わずかに目線をそらす。


「今日のステージに立っていた息子のことは――誇りに思う」


 言い終えると同時に、耳まで赤くなっていた。


「父さん、今、すごくいいセリフ言ったよ」


「言わせるな、恥ずかしい」


 思わず笑ってしまう。


「三年後にそれ言ってくれる予定だったのに、先出ししちゃっていいの?」


「三年後は三年後で、また何か言う」


 そのやり取りを、朱雀院会長が微笑ましそうに見ていた。


「いい親子だ。……さて」


 会長は、時計をちらりと見た。


「そろそろ行かねば。グローバル配信のほうの会議が、向こうでも待っているのでね」


「ぜひ、“未完成上等”の精神でどうぞ」


「うむ。完璧を目指して失敗するくらいなら、未完成の自由を尊びたいものだ」


 そんなことを言い残して、会長は去っていった。


「父さんも、仕事?」


「ああ。官邸に戻る」


 父さんも踵を返しかけて、ふと立ち止まった。


「真」


「ん」


「……今度、家でゆっくり話そう」


「うん」


「国の未来の話も含めてな」


「じゃ、俺の未来の話も混ぜていい?」


「それはセットだ」


 父さんは、それだけ言って去っていった。


 背中は、少しだけ軽くなったように見えた。


 ◇ ◇ ◇


 父さんと会長が去ったあと、廊下に一人残される。


 と思ったら。


「真」


 背後から、声がした。


 振り向く。


 そこに、息を切らせた玲央が立っていた。


「玲央先輩……!」


 制服のまま、少し乱れた髪。


 肩で息をしながら、それでも笑っていた。


「間に合わなかった。ごめん」


「……来てくれただけで、十分ですよ」


 喉の奥が、勝手に熱くなる。


「グローバル配信のほうは?」


「……延期になった」


「え?」


「会長が、“今日はマスラオ祭を優先しろ”ってさ」


 玲央は、呆れたように笑った。


「急にどうしたんだろうね」


「さっき、会長さんも見てましたから」


「ふーん」


 玲央は、軽く目を細める。


「真のせいか」


「責任転嫁はやめてください」


「責任押し付ける代わりに、これだけは言っとく」


 玲央は、一歩近づいた。


「センター、似合ってたよ」


「……ありがとうございます」


「午前も午後も。……どっちも、かっこよかった」


 その言葉が、一番欲しかった。


「でもね」


 玲央は、続ける。


「正直、悔しい」


「え」


「君一人で、“二人で歌うはずだった歌”をあんなふうに歌い切られたらさ」


 玲央の目が、少しだけ潤んでいるように見えた。


「次は絶対、一緒に歌いたいって思うじゃん」


 胸が、ぎゅっとなる。


「……次」


「うん。来年のマスラオ祭でもいいし、その前の何かでもいい」


 玲央は、まっすぐに言った。


「“逃げた”って思われたくないからじゃなくて。自分で選んで、君の隣に立ちたい」


 その言葉は、俺が屋上で投げた条件への、玲央なりの答えだった。


「だったら俺も、もっとちゃんと隣に立てるようにします」


 自然と、そう返していた。


「午前のトロフィーに頼らないで済むくらいには」


「それはそれで頼っていいよ。かっこよかったし」


「じゃあ、ほどほどに頼ります」


「めんどくさいバランス感覚だね」


 そんなふうに笑い合ったあと。


 玲央は、少しだけ真面目な顔になった。


「ねえ、真」


「はい」


「“学校一の女装美男子になったら付き合う”って条件」


 来た。


 心臓が、条件反射で跳ねる。


「……あれさ」


 玲央は、言葉を選ぶように続けた。


「今日一日見てて、ちょっと変えたくなった」


「変える?」


「“学校一”って、なんか違うなって思って」


 その言い方に、少し不安になる。


「じゃあ、どうするんですか?」


「“俺の中で一番”でいいや」


 空気が、一瞬止まった。


「……は?」


「学校とか、国とか、ブランドとか、そういう枠関係なく」


 玲央は、照れ隠しの笑みを浮かべながら言った。


「僕の中で、“一番好きだな”って思えたら、そのときは付き合おう」


 頭が、ぐらぐらした。


「それ、条件になってないようでいて、ハードルめちゃくちゃ高くないですか?」


「そう?」


「だって、それって――」


 言いかけて、口をつぐむ。


 “今でもけっこうそうなんじゃないか”という言葉が、喉まで出かかった。


 でも、それを言ってしまったら、何かが壊れそうで。


「……わかりました」


 代わりに、こう言った。


「じゃあ俺、これからもずっと、玲央先輩の中の“一番”狙い続けます」


 玲央が、ぽかんとする。


「……今ので、だいぶ近づいたの、わかってる?」


「だったら、もっと近づけるようにします」


「ほんとずるいなあ」


 玲央は、笑いながら目元を指で拭った。


「ねえ真」


「はい」


「今度こそ、ちゃんと言わせて」


 深呼吸。


 心臓が、ドラムロールみたいにうるさい。


「――好き」


 その一言が、静かな廊下に落ちた。


「条件付きだけど。好き」


 条件付きの「好き」。


 でも、今はそれで十分だった。


「俺も」


 体のどこから声が出ているのかわからないまま、言葉が出た。


「未完成のままだけど。ずっと好きです」


 玲央の顔が、ほんの少しだけ赤くなる。


「……じゃあ、がんばってね。“僕の中の一番”」


「うん。“玲央先輩の中の一番”狙いの現チャンピオンとして頑張る」


「チャンピオンって自分で言う?」


「午前優勝者なので」


「そういうとこも含めて、好きなんだよなあ」


 玲央は、呆れたように笑った。


 ◇ ◇ ◇


 マスラオ祭の夕焼けの中で、校庭にはまだ余韻が残っていた。


 出店の片付け。

 写真を撮り合う生徒たち。


 その中を、スカート姿で歩く。


 ポケットの中には、午前にもらったメダルと、午後のステージで観客から投げ込まれた紙のハートが入っている。


「なあ真」


 隼人が、屋台の焼きそばを片手に近づいてきた。


「お前、すげー顔してたな、ステージで」


「どんな顔だよ」


「“怖いけど楽しい”って顔」


 隼人は、当然のように焼きそばを一口俺に差し出す。


「食う?」


「……自分で食べるから」


「ノリ悪いな」


 焼きそばを一口食べながら、空を見上げる。


 夕焼けと、ステージのライトの残光が混ざって、不思議な色になっていた。


「なあ隼人」


「ん」


「俺さ、たぶんこれからも迷うと思う」


 武道科の道。

 女装科の道。

 父さんの期待。

 玲央の気持ち。


「男らしさって、なんなのか。俺にとっての“マスラオ”はなにか」


「ふーん」


 隼人は、あっさり言った。


「迷っとけ」


「ざっくりしたアドバイスだな」


「迷えるってことは、まだ進んでるってことだろ」


 隼人は、焼きそばのパックを閉じながら続ける。


「止まってるやつは迷わねえよ。お前は午前も午後も、前に進んでた。だったらそれで十分だ」


 その言葉が、じんわりと胸に染みた。


「……ありがと」


「ま、“玲央先輩の中の一番”取るのに忙しそうだけどな」


「なんでそれ知ってんの?」


「顔、顔」


 隼人は、呆れたように笑った。


「わかりやすく“恋してる顔”してる」


「実況すな」


 ◇ ◇ ◇


 こうして、マスラオ祭は幕を閉じた。


 午前、“真・マスラオコンテスト”優勝。


 午後、“ドリームアイドルステージ”センター。


 玲央との、条件付きの“好き”。


 父さんと、少しだけ縮まった距離。


 全部が一日で起きたなんて、後から振り返っても信じがたい。


 でも、確かにあの日、俺はステージの真ん中に立っていた。


 スカートで。

 男道で。


 未完成のまま、前に進むために。


 ――俺の男道は、まだまだ続く。


 次のカーブの先には、たぶん全国大会と、もっと面倒くさい大人たちと、もう少し踏み込んだ恋の話が待っている。


 それでも、怖いけど。


 怖いからこそ。


 俺はきっと、またスカートで走り出すのだろう。

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