第5話 意地悪

それから仕事が忙しくてなかなか引っ越しの準備が進まなかった。


もうあれから2週間…


橘さんからも連絡が来なかったから、後回しにしていた。


エレベーターに乗った時、ふとあの香りがした。


まさか…


私が恐る恐る振り返ったら、橘さんが少し不機嫌な顔で立っていた。


私をじっと見つめてる。


これは…怒ってるのかな。


だんだんとエレベーターに乗ってる人が降りていって、とうとう二人きりに。


「引っ越し準備、まだかかりそう?」


「すみません…ここ最近忙しくて」


「ずっと連絡待ってたんだけど…」


「ごめんなさい」


橘さんはエレベーターの別の階のボタンを押した。


「どこへ?」


開いたフロアは、テナントがまだいないフロアだった。


「ちょっとこっちに来てくれる?」


そのまま暗闇のフロアの奥の部屋に付いて行った。


その時ドアを閉められた。


「え?」


橘さんがゆっくり近づいてきた。


「神谷さん…」


部屋の机に押さえつけられた。


神谷さんの目が私を見て揺らめく。


そっと唇が重なった。


「もう待てない」


「すみません!すぐに準備するんで…」


仕事では落ち着いている橘さんは、まるで別人のように余裕がない。


「このまま連れて行きたい」


そこまで私を待ってたの?


橘さんにきつく抱きしめられた。


苦しくなるくらいに。


その時、足音が聞こえた。


複数人の話し声。


「静かに」


私達は部屋の片隅に隠れた。


やばい…見られたら色々まずい!


人がもうドアの真横にいる。


ドアノブが動いた。


「あれ、開かない。鍵かかってますね…。取りに行きますかね」


そのまま人は去っていった。


鍵がかかってたのか…


助かった…


「ごめん、驚かして」


橘さんは少し申し訳なさそうにしていた。


「早く来てほしくて意地悪しちゃった」


意地悪?


「そんな…私凄い怖かったですよ」


「ごめん。やりすぎた」


橘さんは私の頭を撫でた。


その後、私の顔をじっと見た。


「神谷さん、可愛い」


胸がドキッとした。


「戻ろうか」


その後二人でエレベーターに戻って、オフィスに着いた。


橘さんはそのまま会議室に行った。


「ちゃんと引っ越しの準備してね」


また仕事の時の落ち着いた表情になっていた。


引っ越したら…どんな生活になるんだろう…。


橘さんの予期せぬ行動に一喜一憂しつつも、この人の事をもっと知りたいと思ってしまった。

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