第20話 好きになってくれてありがとう
10月
次の日。
“石田の気持ち”に気付いてしまったせいで、胸の奥がざわつく。
顔を合わせるのも、どこか気まずい。だが、教師として逃げてはダメだ。
バレー部の朝練に顔を出した俺は、練習中の石田を体育館の裏手に呼び出した。
石田の唇の左端が赤く腫れていた。白浜にやられたとすぐに分かる。
「……ホッシー。どうしたの…?」
怪訝に眉を寄せる声が震えている。
正直、俺だって心の奥がバクバクとうるさい。
「そこ、あのじゃじゃ馬が悪かったな」
石田の唇を指してそう言うと、石田は俯いて静かに首を振った。
「別に……。ホッシーが、謝る必要なんてないよ」
ああ。なんで俺は気付かなかったのだろう。こんなにも悲しそうな顔で白浜の話を聞く石田に――。
俺は昔の片思いを思い出し、胸がギュッと鷲掴みにされた。
「あー……えっと。そーだよな……。ごめん」
「ホッシー、なんか変……。白浜さんになんか聞いたの?」
いつもと違う俺の反応に、勘のいい石田はすぐに察する。俺は自分自身の演技のなさにため息を吐く。
「……ケガのことは戸部先生から聞いた。肩のこと」
石田は特段、驚いた様子は見せない。戸部先生から聞いたんだなと察した。
「いつからだ?」
俺の真剣な問いに、石田は観念したのかゆっくりと話はじめた。
「……最初はただの違和感だったんだ。でも段々と――」
「それで、病院にも行かないで、放置したのか?」
石田は黙っている。
ドクターストップ。この言葉の重みをスポーツ選手なら誰もが知っている。
だから、自己流で治そうとする。治ると信じている。
「……春高の予選。準備万端なんだ。今年は行けそうなんだ。俺だってホッシーにっ!」
そう言った石田はハッとした顔で言葉をつぐんだ。
俺は真っ直ぐに石田を見やる。
その仕草、視線。それらが全て、”俺のことが好きだ”と言っていた。
本当に。どうしてこんなあからさまなのに気付いて上げれなかったんだよ……俺。
「戸部先生!石田、ちょっと借ります。俺の1限の授業、お願いします!」
体育館の袖から心配で覗き込んでいた戸部先生に声を張る。驚いた戸部先生は「分かりました!」と、慌てながら応えた。
俺は石田に上着持ってこいと指示し、戻ってきた石田を連れ立って校門を出た。
*
着いた先は河川敷。真剣な話をするときはここだと、白浜が指定した場所。
川面を撫でていく風がひやりと頬を撫で、頭上の橋桁が朝の光を鈍く反射している。
通学途中の喧騒からわずかに外れただけなのに、ここだけ時間が緩やかだった。川のせせらぎの音が心地よく響く。
通学の生徒の死角になる橋の下に移動した俺は、ずっと無言で着いてきた石田を振り返った。
「ほれ、ここ座れ」
俺は職員室から持ってきたシートクッションを二つ並べてそこに腰を下ろす。
そして、買っておいたペットボトルの”あったか〜い”紅茶を渡した。
「ほかの生徒には内緒な!」
戯けた口調でそう笑うと、石田は俺に倣って座りながらそれを受け取った。
「……ありがとう」
小さく溢されたお礼の言葉は、心から嬉しそうで、俺はなんだか胸が苦しくなる。
「お前は…ほんと!俺と似てるわ」
「…え?」
石田が、一重瞼の優しげな目元を大きくすると、俺は顔の前に指を立ててそれを遮った。
「存在意義。俺も昔、好きなヤツのために泳いで、んで、そいつのためにと信じて水泳を辞めた」
「……マジで…?」
俺は誰にも言ったことのない話を石田にした。一番はじめに話すのは白浜だと思っていた。
だが、ここできちんと真剣に向き合わなければと思った。
「俺がゲイだってことは知ってるか?」
石田の息を飲む音。
あの春の日。白浜の一喝から、俺の性的嗜好を嘲笑う生徒は少なくなった。
だが、既に流れた噂は一人歩きをする。知らない人の方が少ないかもしれない。
「……うん。でも俺、それ聞いたからホッシーのこと好きになったんじゃない」
驚いた。まさかここで想いを伝えてくるとは思わなかった。俺は用意していた言葉を逸した。
「聞いたんでしょ?蓮から。じゃないとホッシーが気付くわけないから」
蓮とは木瀬の下の名前。二人は互いを下の名前で呼ぶほど仲がいいんだと思った。
俺は居心地悪そうに頬を掻く。
「……ごめん。本当に気付かなかった。お前、隠すの上手!」
俺が気まずそうに笑うと、石田は首を横に振る。
「俺、隠してない。ただ、ホッシーが俺を見てなっただけ。ずっとそうだった。1年のときから、ホッシーは誰も見てなかった。近くにいるのに、いつも心は蚊帳の外って感じで」
その言葉は胸に刺さる。
確かに、人との繋がりに一線を引いていたのは事実。表面だけの付き合いに留め、誰にも心を開いていない。
石田には見抜かれていたのだろう。
「だから、あのとき。あの補習の部屋で、白浜さんに対する態度がまったく違うのに驚いた。冗談で言った最後の言葉。本気だと分かった……」
きっと石田は、笑ってなかったんだろう。もしかしたら今にも泣きそうな顔をしていたのかもしれない――。
「……いつから?えっと、俺を――好きになってくれたのって……」
「入試の日。俺、受験票忘れて。青ざめてたら声かけてくれて。「受験票忘れても大丈夫!受付に一緒に行こう」って、案内してくれて。手続き終わるまで一緒にいてくれた」
石田の語る記憶のひとつひとつが、この河川敷の静けさに溶けていく。
石田には悪いが、記憶になかった。毎年、何人かはそんな生徒はいる。
俺が申し訳なさげな顔をしていたからだろう。石田はフッと笑った。
「覚えてないのはしょうがないよ。あの後、ほかの生徒の対応で忙しそうだったし。だけど、俺が好きになったのはその後。試験終わって出てきた俺に、声かけてくれたんだ」
石田は胡座をかきながら、何やら幸せそうに微笑んだ。
「「合格したら、バレー部に入ってよ!俺、そこの顧問。星野先生だ。約束な!」って、握手されて。その笑顔に全部を奪われた……」
「あっ!それ覚えてる!中3なのに俺と同じくらいの身長で声かけた。……石田だったんだ。なんで言わなかったんだよ」
「その後すぐ、バレー部の先輩からホッシーの話聞いて……。なんか言い出すきっかけがなくて。で、やっと先輩がいなくなって話せるってなったとき、水泳部の顧問になって……」
顧問を変わると伝えたときの、石田の落胆した表情が思い出された。
「そうか。気付かなくて」
「もう、”ごめん”はいいよ――」
「あぁ。――うん。好きになってくれてありがとう」
俺はそう言って所在なさげに笑った。
「石田も、……男が好きなん?」
石田はゆっくりと頭を横に振る。
「分かんない。中学のときは女子とも付き合ってた。でも、手つないだり、キスしたいとか思わなかった。だけど、ホッシー以外の男とそうしたいとも思わない――」
「そっか……」
まだ自分の性的嗜好が分からない。そういう人もいる。石田もそうなんだろう。
「あーあ!言っちゃったな!言うつもりなかったのに。秘密にしてた気持ちと、ケガもバレちゃうし、なんかもう俺、カッコわりぃ」
そう言って石田は顔を埋めて肩を震わせた。俺は躊躇いながらもその大きくて小さな肩をそっと叩いた。
「ありがとな。石田。でも俺……」
「白浜さんが好きなんでしょ?なんだよ!ゲイって言っときなら、女好きになってんじゃねーよ!」
顔を下げたまま、鼻水を啜ってそう悪態を吐く石田。俺は石田の肩に置いた手を、そのまま自分の後頭部に持っていきポリポリと掻く。
「性別とかじゃないんだ。あいつの全部に持ってかれてる。きっと、白浜の性別は二の次なんだ」
「……うん。分かるよ。白浜さん、真っ直ぐでカッコよくて、でも抜けてて可愛くて。スポーツ万能なのに球技はポンコツ。なんかもう、色々とずるい」
「え?あいつ、球技、ポンコツなん?」
石田は「そこかよ!」と、突っ込んで涙声で笑った。
俺と石田の距離がいつもの距離に戻る。そんな感覚。
「確かに白浜の言葉は聞く側に余裕がないと凶器にもなる。あいつの言葉って、裏表ないから真っ直ぐに刺さるんだよな。駆け引きない分、余計にな。けどそれってさ、裏を返せば本気で心配してるってことだろ?そういうヤツは大切にしないとな」
俺はそう言って、図体ばかりデカい、まだまだガキのそいつの肩を叩いた。
「だからお前はそんな声を無視しちゃダメだ!お前には白浜や木瀬、心から心配してくれる仲間がいんだから」
「ホッシー…。俺…白浜さんと蓮に酷いこと言った」
「うん。で、白浜に殴られたんだよな?」
腫れている口元を指差して、俺は口角を上げた。
「謝らなきゃ。ちゃんと。で、お礼言わなきゃ……」
「そーだな!ってか、俺も謝らなきゃな……」
「え?」
思い出しただけでズシンッと気持ちが重くなる。暗くなる。俺はそれを頭を振ってとりあえずは押しやった。
「石田。白浜は確かに天才スイマーだ。だが相当な努力の上にその称号がある。才能があるからって簡単に掴めるほど、スポーツの世界は甘くない。お前はお前のペースで努力すれば良い。白浜を真似る必要はないんだ」
俺は石田の両肩にガッチリと手を置く。
「とりあえず今は、その肩を治すのが先決だ」
「うん…。でもやっぱり試合には出たかったな……。ホッシーに見てもらいって気持ちもそうだけど、今の仲間と春高に出たかった」
「何言ってんだ!春高予選は再来週だろ?それまでに間に合わせるには十分な時間がある!焦るな。俺が信頼できる整体師を紹介してやる。一緒に治していこう」
そう言って、その大きな背中を盛大に叩いた。石田は涙ぐみながら力強く頷いた。
*
俺が石田の手を取り立たせたとき、「ピッ!」と鼻息の荒い耳に聞き慣れた声に振り返る。
足元には毎日見ているウサギのケイが仁王立ちで鼻息を鳴らしていた。
その後方。土手から降りてくる二つの人影。
ドクンっ!!!
すぐにそれが白浜と木瀬だと分かる。
「……白浜さん、蓮――」
白浜と木瀬に気付いた石田が小さく溢した。
白浜はいつもの指定のジャージを着てズカズカと石田に歩み寄る。その後ろにはにかんだ木瀬が佇む。
「白浜っ!」
俺が驚いて白浜に声を張ると、白浜は少し驚いた様子を見せてギュッと唇を噛んだ。
「――石田。ウチは天才なんかじゃない。死に物狂いで努力しただけだ。ウチには水泳しか縋れるものがなかったから……。それだけなんだ」
その嘘のない切ない言葉は、昨夜の俺の浅はかな態度をどこまでも後悔させる。
「お前も、バレーやりてーんだろ?だったらやれなくなるリスクを背負うなよ!」
白浜は真剣に訴えている。その目は真っ赤だ。真っ直ぐに石田を見据えている。
その真っ赤な瞳の原因が昨夜の自分にあると思ったら、痛いほど胸が軋んだ。
「……白浜。大丈夫だ。石田はこれから治療しに行くから」
俺の言葉に白浜は目を丸くして、そうして心から安堵したような表情を見せた。俺の横で固まっていた石田が勢いよく頭を下げた。
「白浜さん!蓮!ごめんなさい!俺、焦ってて、白浜さんに酷いこと言った。俺のこと心配してくれてたのに。本当にごめんなさいっ!」
深く頭を下げ腰を折るその相手に、白浜は小さく息を吐いた。
「石田。こういう時は”ありがとう”でいいんだ」
そうやって男前のセリフを吐いた白浜は、”トン”と石田の肩を叩いてくるりと方向を変えた。
「白浜!待てっ」
俺がその後ろ姿に叫ぶと、一瞬固まった白浜が、脱兎の如く走り去って行った。それにケイが続いた。
「へ?は?」
俺が驚いていると、石田が俺の肩を叩き、大声で叫んだ。
「ホッシー、俺は蓮と戻るから追い掛けて!今は白浜さんを一人にしちゃダメだっ!!」
そう言って、何か吹っ切れた様子で笑った。
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