ラノベを書けないラノベ作家志望のための掌編集

緋名坂ミヤビ

#1 時を戻そう! 〜高学歴フリーター、サンタに人生やり直しを懇願する〜



「十四年前に戻してほしいんだね?」


 "サンタ"の一言に、俺は「ああ」、と頷いた。


「簡単に過去を整理させてもらうと、勉強一筋でエリート街道を歩んできながら、経済危機で就活に失敗……と」


 ちらりとこちらの顔を見ると、その先は続けなかった。『やむなくブラック企業に就職し、心身を壊してフリーターに転落した』などと、確認を求めるのも酷だと思われたのだろう。俺は苦笑して目を逸らした。

 窓の向こうに、すっかり街に馴染んだ東京スカイタワーが聳えていた。


「しかしキミは運がいい。街行くサンタに巡り会うなんてそうそうないことだからね」

 そう口にすると、エルとライトを足して二で割ったような風貌の男は幾分かぬるくなったコーヒーを傾ける。

 サンタらしい要素といえば赤い服を着ているくらいで、あとは普通の日本人男性にしか見えない。サンタとは白髭をたくわえた老年の男性ではないのか……と考えてしかし、それもまた偶像にすぎないことに気がつく。なにせホンモノを見たことのある人間などいないのだ。これがサンタと言われて、嘘と断言する材料はなかった。


「十四年前に戻って何をする?」

 無垢な目で彼は言う。

 歳のころ二十二か、あるいは三か。

 俺が無為に失った若さをその内に湛えていた。

「――やり直すんだ」迷わず俺は告げる。

「資格を取って、語学を学んで、あの就職難に勝てるように」


 十二年前、何の前触れもなく――いや、俺が経済に疎いだけで実はあったのだろうが――アメリカの大手金融機関が破綻し、世界は大恐慌に見舞われた。

 それまで活況だった日本経済はみるみるうちに不況に染まり、それまで売り手市場だった就活事情は、瞬く間に氷河期へと突入し。

 そこからの転落はあっという間だった。しがみついた就職先でも、「K大卒だからって調子に乗るな」と当て付けたかのようなしごきを受け――職場で倒れたが最後、ぷっつりと気概の切れた俺は、退職勧奨を受け入れた。

 それから八年、俺はコンビニ勤務のアルバイトとして――人生設計も恋人もないまま、残されたわずかな若さだけを一日また一日と磨り減らし続けていたのだった。


「名前はなんて言ったっけ?」「加々見かがみだ」「加々見。願いは叶えられるよ」「っ、」俺は前のめりになる。

「――ただし」

 刹那、サンタはぴんと指を立てる。

「――二度と今の人生には戻れない。それでもいい?」

 黒目の深い瞳がこちらを覗く。

「それは……」

 思わず言葉が濁る。気勢を削がれる。

「物語は十九歳のクリスマスまで戻る。それでもいい?」

 サンタは重ねて問う。

「……も、もちろん、いいに決まっている。社会に出てから先、ロクな人生じゃなかった。やり直せるなら本望だ」

 俺はまっすぐ彼を見る。

 吸い込むような瞳の黒が俺の顔を映している。

「――そうか。じゃぁお望みどおりといこう。そのコーヒーをぐいと飲みたまえ。飲み終わったとき、時計の針を戻してあげる」


 騙されたつもりで、カップをあおる。


「――お客様?」

「は、はいっ?」

 時代に遅れたメイクをした女性店員がこちらを見ていた。

「本日はまもなく閉店でございます」

「そ、そうですか。ところで今日の新聞はありますか?」

 尋ねると、店員は渋面を作り一つをこちらへと持ってくる。

『東京スカイタワー 来年二月着工』

 先ほど見ていた窓の外には、遮るものない――抜けた星空が広がっていた。



 俺は早速、行動を開始した。ブックセンターで資格試験や語学の書を買い、アルバイトにも精を出した。付き合いをする友人にも注意を払った。なにせ誰がどの企業に進むのかは分かっているのだ。甲斐のない輩とつるんでいても仕方がない。俺はひたすらに、打算と実利で行動した。成功の高みは、確実に近づいているように思えた。


「加々見、競馬場に行こう」

 友人の誘いに乗った時、俺は「あぁ、」と思い立った。企業へのアピールとしての労働はともかく、日銭まで真面目に捻出することはない。競馬で一発当てればいいのだ。帯封(百万円以上の配当金)の一つも手に入れれば、バイトの金を全て卒業旅行につぎ込んでも釣りがあるだろう。


 誘われたレースに、俺は覚えがあった。確か穴馬が先着し波乱となったレース。馬名が特徴的だったので、出馬表からすぐに察しがついた。俺は府中の馬券売り場で友人に大見得を切った。「こいつに二万円張るぜ」。

 あまりに確信めいても八百長を怪しまれる。俺はおそるおそるの振りをして馬券を買い、十五時四十分を待った。ファンファーレ、そしてゲートが開く。

 ドドド……とターフを蹴って馬たちが周回していく。大ケヤキを越え、四コーナーを回り、最後の直線へ。――しかし、くだんの馬はエンジンがかかるどころか、騎手のムチにすら応えない。

 惨敗。

「やりすぎたな、加々見」

「欲をかくのは失敗のもとだぞ」

 あぁ、と苦笑いを浮かべつつ、俺は混乱していた。勘違いじゃない。確かにこのレースの勝ち馬は……。

 もやもやとする思いを抱えながら、武蔵野線に乗る。

 翌日、大学に向かう電車の中、俺はサラリーマンが手に持つ新聞の見出しに言葉を失った。

『スカイタワー予定地で陥没事故』

『工事再開めど立たず』――……



「――そりゃぁそうでしょ。歴史は無限の枝分かれの中にあるんだから」

 十四年が経ち、迎えたクリスマス。

 再びサンタと出会った(というか探し出した)俺は、そう言われてため息をついた。

 時間を戻してやり直そうとしても――ひとつとして歴史が付合する世界線はない。結局この世界で経済危機は起こらなかった。

 まぁ、それよりヤバい事態が起こったわけだが……。


「で、キミは今は何してる?」

 サンタは問う。

 ちゅー、とアイスコーヒーを啜る顔は、感情の起伏もない。

「これだよ」俺はリュックから薄型のパソコンを取り出す。配信機材とともに。

「へー……じゃぁキミもやってるんだ」

「予想だにしない能力が花開いたもんでね」

「大変なんじゃない? ダンジョンなんてさ」

「昨日は二人死んだよ」

「うへぇ。僕には絶対ムリ」

 表情を歪めてサンタはストローから口を離した。


 事故以来、ぱっくりと口を開けたままの深淵。人々はその深みに挑み続け――今日もまた、冒険者たちがこの店に集っている。


 店を出たあと、サンタは俺に尋ねた。

「死ぬのは怖くない?」と。

「――死んだように生きる方が怖ぇよ」


 答えると、サンタは苦笑いして息をつく。

「――キミに必要だったのは、やり直せる若さじゃない。熱くなれる夢――いや、誰しもそうなんだ。それに出会えたのは、幸運かもね」


 潜行に向かう去り際、俺は振り向いて、サンタの背中に言い残す。

「本当はさぁ。――……小説家になりてぇんだ」

「――掴むといい」

 そう答えたきり、サンタはもう立ち止まることはなかった。


「よし、」と俺は機材を背負い直す。

 あとは全て――掴むだけだ。(おわり)




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