ステージ7:三つ巴の不協和音

【ステージ6の結末より】

「……なっ!?」

カラスが、初めて本気の驚愕の声を上げる。

「お前の『音』は、聴き飽きたぞ、烏(カラス)野郎!!」

その影――

全身に、まだ生々しい傷跡を残した、**黒龍(ヘイロン)**が、そこに立っていた。

彼は、カラスのアジトを突き止め、この瞬間を待っていたのだ。

【バトル10 vs. 烏(カラス) vs. 龍(黒龍)】

一瞬の静寂。

それは、嵐の前の、空気が張り詰めるような静寂だった。

三つの視線が、室内で交錯する。

苦痛に喘ぎながらも、好機(あるいは更なる混沌)の到来を悟る、玲。

予測不能な乱入者の登場に、支配者の仮面を剥がし、冷たい怒りを湛える、カラス。

そして、全ての計算を執念で覆し、獲物(玲)を奪還しに来た、満身創痍の黒龍。

「……愚かな。わざわざ死に場所を選びに来るとは」

カラスが、最初に沈黙を破った。

「兵士(やえい)! その汚れた『ノイズ』を排除しろ!」

カラスの兵士たちが、銃口を黒龍へと一斉に向ける。

だが、黒龍は、窓枠に立ったまま、動かなかった。

「――お前たちの『音』は、遅すぎる」

ダダダダダッ!

銃声が、書斎の調度品を破壊する。

だが、そこに、既に黒龍の姿はなかった。

彼は、銃弾が放たれるよりも早く、銃口が火を噴くよりも早く、その場から「消えて」いた。

「なっ……!?」

兵士の一人が驚愕の声を上げた、その背後。

「――ここだ」

黒龍の冷たい声が響く。彼は、窓から飛び込んだ勢いと、壁を蹴った反動を利用し、一瞬で兵士たちの死角(背後)へと回り込んでいた。

ゴッ! ボカッ!

人間の急所を知り尽くした、無慈悲な打撃音。

黒龍の「意拳」が、二人の兵士の頸椎と鳩尾を同時に粉砕する。

黒龍は、その兵士たちからアサルトライフルを奪い取ると、それを武器(鈍器)として、残りの兵士たちへと振り下ろした。

「化物が……!」

カラスが、忌々しげに呟く。

「ジャマーを使え! そいつの『気(クオリア)』を止めろ!」

兵士たちが、慌てて「対クオリア・ジャマー」を、床に膝をつく玲から、黒龍へと向け直した。

ブゥゥゥン――

重く、低い「不協和音」が、黒龍へと殺到する。

黒龍の、流れるような動きが、一瞬、明らかに鈍った。

「……チッ……!」

黒龍が、初めて苦痛の表情を浮かべる。

「……この、不快な『音』は……!」

エコーの精神攻撃とも違う。玲の「調律」とも違う。

自らの生命エネルギーそのものである「気」の流れが、外部からの干渉によって、無理やり「乱される」感覚。

それは、完璧な演奏家の耳元で、わざと調子外れな音を大音量で鳴らされるような、耐え難い苦痛だった。

「……どうだね? 『龍』」

カラスは、黒龍の動きが鈍ったのを見て、余裕の笑みを取り戻した。

「お前のその時代遅れの『力(パワー)』も、我々の『技術(テクノロジー)』の前では、無意味だということが分かったか?」

カラスは、暖炉のそばに立てかけてあった仕込み杖を、音もなく抜き放った。

その切っ先が、動きを封じられた黒龍の喉元へと、正確に向けられる。

「物理の頂点も、ここまでだ」

一方、玲は、床に手をついたまま、この千載一遇の好機を待っていた。

(……ジャマーの『音』が……黒龍に向かった……!)

玲の脳を焼いていた、あの万力のような圧力が、今、消えている。

(……動ける!)

だが、身体はまだ、癒えていない。

カラスも、黒龍も、満身創痍とはいえ、今の玲が正面から戦って勝てる相手ではない。

(……この、ジャマーさえ、止めれば……!)

玲は、床を這うように、最も近くにいた、黒龍にジャマーを向けている兵士の足元へと忍び寄った。

兵士は、目の前の「黒龍」という規格外の暴力に意識を集中するあまり、足元の、傷ついた「獲物」に気づいていなかった。

(――今!)

玲は、最後の力を振り絞り、その兵士の足首を掴み、強く引いた。

「なっ……うわぁ!?」

兵士が、予期せぬ攻撃にバランスを崩し、盛大に転倒する。

彼が手にしていたジャマーが、床を転がった。

カラスの部隊が作り出していた、「不協和音」の完璧な包囲網。

その一角が、崩れた。

「――!!」

一瞬。

ほんの一瞬だけ、玲の「調律者」としてのクオリアが、拘束から解放された。

「……カラス……!」

玲の瞳が、青白い光を放つ。

「……お前のその『完璧な旋律』とやら……」

玲は、カラスでも、黒龍でもない。

この部屋で鳴り響いている、全ての「対クオリア・ジャマー」そのものに向かって、自らの「調律」の力を、憎悪と共に解き放った。

「――うるさいッ!!」

玲が放ったクオリアの奔流が、ジャマーの「計算された不協和音」と、正面から激突した。

キィィィィィィィィィィィィィィン!!!!

凄まじいハウリング。

それは、もはや音ではなかった。

空間そのものが、二つの相反する「音」の激突に耐えきれず、悲鳴を上げている。

書斎のガラスというガラスが、高周波によって粉々に砕け散った。

「ぐっ……あぁあああ!」

「ぬぅっ……!」

「耳が……耳があああっ!」

カラスも、黒龍も、カラスの兵士たちも、その場にいた全員が、耳を塞ぎ、激痛に膝をついた。

それは、彼らの「精神(クオリア)」に直接ダメージを与える、最悪の攻撃だった。

唯一、その音を発した本人である玲だけが、その激痛の中心で、ふらつきながらも立っていた。

(……いくしか、ない……!)

玲は、床に転がっていた黒龍のアサルトライフル(弾切れだったはずだが、今はどうでもいい)を拾い上げ、黒龍が突き破った窓の「穴」へと、最後の力を振り絞って駆けた。

「……待て……!」

カラスが、血を流す耳を押さえながら、憎悪の声で叫ぶ。

「……逃がすか……!」

黒龍もまた、玲を追おうと、よろめきながら立ち上がる。

だが、玲は振り返らなかった。

彼女は、割れた窓枠から、アジトの外――月明かりが照らす、混沌の旧市街(スロウタラム)へと、その身を投じた。

地獄のような連続バトルを、生き延びて。

だが、その背中には、二つの最強の「敵」の、決して消えることのない執念が、突き刺さっていた。

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