第5話 1000円札と5kmの疲労
翌朝、午前7時50分。
俺はクロノス・ロジスティクスの物流管理課のドアを、完璧な社畜スマイルで押し開けた。
ダンジョン素材特有の、鉄臭さと埃の混じった匂いが、肺にじわっと入り込んでくる。
「おはようございます!」
その瞬間。
奥のデスクでふんぞり返っていた男が、ゲラゲラ笑いながら立ち上がった。
小杉だ。
「お、来たか三千万!
ハハハ! 今日からお前は俺様の奴隷だ!
光栄に思えよ、このゴミが!」
その声が鼓膜を叩いた瞬間――
ズンッ。
頭が重く沈む。
反論する言葉が濁る。
(……これが、こいつのスキルか。こいつにピッタリの陰湿さだな……)
「おい三千万! コーヒー淹れてこい!
その後、俺の机に来い! 奴隷初日の教育してやる!」
「はい! 承知いたしました!」
俺はコンマ1秒で90度の礼を決め、給湯室へ向かうフリをした。
(……都合がいい。今やる)
小杉のデスクへ戻る。
小杉は、わざと俺の目の前で大声の人格否定を始め、教育と称したサンドバッグタイムに入った。
あいつが指を突きつけ、罵倒に夢中になった、その瞬間。
(―――今だ)
俺は、小杉のスーツのポケット(座標)に意識を集中。
スキルを発動する。
【ワールド・デリバリー】【受取】
ズクンッ。
脳の髄を抜かれるような重い疲労が走る。
燃費の悪さゆえの紙幣1枚でこのダメージだ。
しかし顔には一切出さない。
小杉には、俺が今スキルを使ったことなど分かりようがない。
俺のポケットの中で、確かに紙の感触――1000円札が生まれた。
(……計画通り。1枚だけ)
「――わかったか、ゴミが!」
「はい! 肝に銘じます!」
完璧な笑顔。
そして俺は最初の軍資金を手に入れた。
***
午後の業務は地獄だった。
小杉は、俺にだけ3人分の作業量を割り振ってきた。
30キロはある「オークの牙」が詰まったコンテナを、延々と台車で往復。
「おい三千万、遅ぇぞ!」
「リスト違ってんだよ! その目は節穴か?!」
罵声のたびに頭痛がひどくなる。
だが俺は完璧な社畜として、
「はい!」
「申し訳ありません!」
この二語だけで耐え続けた。
その裏で――
(監視カメラは12台)
(小杉の動線の9割は事務所。1割は……第3廃棄区画)
(あそこ、棚の陰でカメラ死角……な)
トイレへ向かうフリをしながら、ポケットの中に潜ませた「斥候蜘蛛」を取り出し、【配送】で天井の隅へ設置。
(ここが小杉の秘密置き場の可能性が高い)
もう1体は小杉デスクのモニター裏へ。
(お前の行動は――全部見させてもらう)
***
そして夕方。
待っていた業務が来た。
「おい三千万。Cランクダンジョンの前線キャンプに物資を搬入だ。
護衛はつける。荷物持ちとして行ってこい」
(―――来た!)
これこそ、俺が待ち望んでいた合法的な座標登録の機会。
ダンジョン内は、淀んでいた。
腐った土の匂いと魔力のざらつきが皮膚を刺す。
護衛のCランク探索者が前を歩き、俺は台車を押す。
「……止まれ。ゴブリン・スカウトだ」
(……あれが、モンスター。生の……)
物陰から、小さな、だが殺意のこもった緑の目がこちらを睨む。
胃の奥がひやりと沈む。
(これが日常とか、狂ってるだろ……)
護衛が武器を構える。
その一瞬。
(――今)
俺はポケットの斥候蜘蛛3体に意識を集中。
1体目――通路の入口。
2体目――曲がり角。
3体目――キャンプ手前の広場。
【ワールド・デリバリー】【配送】
三連続使用。
視界が揺れて、膝が笑いそうになる。
(……クソッ、燃費……本気で悪すぎる……)
だが目は確保した。
***
会社に戻るころには、終業時間をとっくに過ぎていた。
小杉が、わざわざ待っていた。
「遅ぇぞ、ゴミが!」
「申し訳ありません! 物資の搬入、完了しました!」
舌打ちした小杉が、一本のポーションを突きつけてくる。
「おい、三千万!
お前、搬入でコレ1本入れ忘れただろ! キャンプからクレームだ!」
(……来たか)
もちろん数を指定間違いした小杉のせいなのだが、俺は笑顔でポーションを受け取り、キャンプ地の座標に意識を合わせる。
(……5km以内。Fランク【配送】の最大射程内)
(【W・D】はダメ。国家探知リスク0.01%でも、ROIが悪すぎる)
(ここは……ゴミスキルの出番だ)
「【配送】!」
ズクウゥゥゥン!!!
今日一番の重さが脳を圧した。
液体という重量物のせいで、負担が段違い。
膝をつく。
汗が噴き出す。
(……マジで……燃費、クソ……!)
「……お、おい、届いた! キャンプから連絡だ!」
小杉が驚きの声を上げ――すぐに俺を見て爆笑した。
「ブッ! ハハハハハ!!
無様だな三千万! たかが1本でヘロヘロだぞ!」
「燃費最悪! 戦闘力ゼロ!
やっぱFランクのゴミじゃねえか!」
(……よし)
(最高の誤認だ)
小杉にも、
その評価こそ、俺にとって最強の盾だ。
***
寮に戻った頃には深夜だった。
朝に稼いだ1000円札を握り、神マケを起動。
(さて……この紙をクレジットに変えるか)
UIの「クレジットチャージ」を開き、机の上の1000円札へ向けてスキルを発動する。
【ワールド・デリバリー】【配送】
1000円札が消え、疲労が走る。
直後、神マケの残高が更新された。
《残高:1000クレジット》
(……よし)
迷わず、異世界の鉄杭を購入。
【受取】で、長さ約30㎝の十本の無骨な鉄杭が工具箱に転送された。
(準備は整った)
……さあ。あのクソ野郎を骨の髄までしゃぶりつくしてやる。
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