第2話「画面の向こうの、もう一人の私」
最初の接続は、三十分の予定が二時間に及んだ。
画面の向こうの女性――世界B-1のユイは、陶芸家だった。
「なんで大学を卒業した後、プログラマーにならなかったの?」
ユイが尋ねると、世界B-1のユイは少し照れたように笑った。
「就職活動の時期に、たまたま陶芸展を見に行ってね。一目惚れしちゃったの。土に触れて、形を作って、火で焼く。その一連の流れが、なんだか自分の手で世界を作ってる感じがして」
「そっか……私は、デジタルの世界で形を作ってる」
「うん。きっと根っこは同じなんだよ。何かを創造したいっていう気持ち」
その言葉に、ユイは胸が温かくなるのを感じた。自分の選ばなかった道。
でも、その道を選んだ自分も、同じ心を持っている。
「ねえ、あなたは……幸せ?」
世界B-1のユイが尋ねた。ユイは少し考えてから答えた。
「わからない。仕事は好きだけど、いつも一人で……あなたは?」
「私も、よくわからない。創作は楽しいけど、やっぱり一人で……ああ、そっか」
世界B-1のユイが微笑んだ。
「私たち、どっちの世界でも孤独なんだね」
その言葉が、妙に可笑しくて、二人は同時に笑った。
同じタイミング、同じ笑い方。
鏡を見ているようで、でも鏡とは違う。
鏡の中の自分は反応するだけだが、画面の向こうの彼女は、自分で考え、自分で話す。
「でも今、少しだけ寂しくなくなった」
ユイが言うと、世界B-1のユイも頷いた。
「私も。また話せるかな?」
「うん。絶対また」
接続を切った後、ユイは久しぶりに安らかな気持ちで眠りについた。
◆
翌日から、ユイの生活に変化が訪れた。
仕事から帰ると、すぐに量子デバイスを起動する。世界B-1のユイとの接続は、すでに二回目、三回目と重ねられていた。
そして四回目の接続で、ユイは新しい発見をした。
「あれ、今日は別の部屋?」
画面に映る背景が変わっていた。今度は白い壁に本棚がいくつも並んでいる。
「ああ、これはね……」
画面の向こうから、知らない声がした。いや、知らないわけではない。自分の声だ。でも、世界B-1のユイとは少し違う。
カメラの前に座ったのは、三人目のユイだった。ショートカットで、スポーティな服装。
「初めまして! 私は世界C-5のユイ。運動生理学の研究者をやってるよ」
「え、え? どうして……」
「QSPは複数の並行世界と同時接続できるんだ。回数を重ねると、どんどん接続先が増えていくらしい。システムが学習して、接続しやすい世界を自動で探してくれるんだって」
世界C-5のユイは明るく説明した。
その朗らかな様子に、ユイは少し圧倒される。
「あ、そうだ。見せたいものがあるんだ」
世界C-5のユイがカメラを持ち上げると、画面に三匹の猫が映った。
白、茶トラ、黒。
それぞれがソファの上で思い思いにくつろいでいる。
「可愛いでしょ? 名前はミルク、マロン、クロ。ベタだけど(笑)」
「すごい……私、猫飼いたかったんだけど、アパートがペット禁止で……」
「そっか。じゃあ、私が代わりに飼ってあげてるってことにしよっか! 画面越しだけど、いつでも見せてあげるよ」
その優しい言葉に、ユイの目が潤んだ。
世界が広がっていく。一人じゃない。こんなにたくさんの自分が、それぞれの世界で生きている。
◆
一週間後、ユイの接続先は七つの並行世界に広がっていた。
世界D-12のユイは、結婚して二人の子供がいた。
夫との出会いから結婚までの話を、嬉しそうに語ってくれた。
世界E-7のユイは、難病を患い、ベッドの上で過ごしていた。
それでも彼女は明るく、「病気じゃなかったら経験できなかったこともあるんだよ」と笑った。
世界F-3のユイは、バックパッカーとして世界中を旅していた。
「次はパタゴニアに行くんだ」と目を輝かせて話してくれる。
世界G-9のユイは、音楽教師になっていた。ピアノの演奏を聴かせてくれて、ユイは初めて自分が弾くピアノの音色を聴いた。
それぞれが違う選択をし、違う人生を生きている。
でも、みんな同じ心を持っていた。優しさ、不安、希望、孤独――全てを共有していた。
ユイは毎晩、並行世界の自分たちと話し、笑い、時には一緒に泣いた。人生で初めて、心から安心できる居場所を見つけた気がした。
だが、ある朝、異変が起きた。
◆
目覚めた時、ユイは自分がどこにいるのか一瞬わからなくなった。
ここは……自分のアパート? それとも世界B-1の陶芸工房? いや、世界C-5の研究室?
視界がぼやけている。
記憶が混濁している。
手を見る。
土がついているような気がした。
いや、何もついていない。
清潔な手のひら。
「……私は、結城ユイ。世界Aの、プログラマーで……」
自分に言い聞かせるように呟く。
徐々に意識がクリアになっていく。
そうだ、ここは自分の部屋だ。
ベッドから起き上がり、洗面所に向かう。
鏡に映る自分の顔を見て、ようやく現実感が戻ってきた。
リビングに戻ると、量子デバイスが点滅していた。
システムメッセージが表示されている。
「警告:量子自己同期率(QSS)が30%に到達しました。これは推奨上限値です。さらなる接続は、自己認識機能に影響を及ぼす可能性があります。接続頻度の調整をご検討ください」
ユイは画面を凝視した。
量子自己同期率――それが何を意味するのか、この時の彼女はまだ知らなかった。
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