第2話「画面の向こうの、もう一人の私」


 最初の接続は、三十分の予定が二時間に及んだ。


 画面の向こうの女性――世界B-1のユイは、陶芸家だった。


「なんで大学を卒業した後、プログラマーにならなかったの?」


 ユイが尋ねると、世界B-1のユイは少し照れたように笑った。


「就職活動の時期に、たまたま陶芸展を見に行ってね。一目惚れしちゃったの。土に触れて、形を作って、火で焼く。その一連の流れが、なんだか自分の手で世界を作ってる感じがして」


「そっか……私は、デジタルの世界で形を作ってる」


「うん。きっと根っこは同じなんだよ。何かを創造したいっていう気持ち」


 その言葉に、ユイは胸が温かくなるのを感じた。自分の選ばなかった道。

 でも、その道を選んだ自分も、同じ心を持っている。


「ねえ、あなたは……幸せ?」


 世界B-1のユイが尋ねた。ユイは少し考えてから答えた。


「わからない。仕事は好きだけど、いつも一人で……あなたは?」


「私も、よくわからない。創作は楽しいけど、やっぱり一人で……ああ、そっか」


 世界B-1のユイが微笑んだ。


「私たち、


 その言葉が、妙に可笑しくて、二人は同時に笑った。


 同じタイミング、同じ笑い方。

 鏡を見ているようで、でも鏡とは違う。

 鏡の中の自分は反応するだけだが、画面の向こうの彼女は、自分で考え、自分で話す。


「でも今、少しだけ寂しくなくなった」


 ユイが言うと、世界B-1のユイも頷いた。


「私も。また話せるかな?」


「うん。絶対また」


 接続を切った後、ユイは久しぶりに安らかな気持ちで眠りについた。



 翌日から、ユイの生活に変化が訪れた。


 仕事から帰ると、すぐに量子デバイスを起動する。世界B-1のユイとの接続は、すでに二回目、三回目と重ねられていた。


 そして四回目の接続で、ユイは新しい発見をした。


「あれ、今日は別の部屋?」


 画面に映る背景が変わっていた。今度は白い壁に本棚がいくつも並んでいる。


「ああ、これはね……」


 画面の向こうから、知らない声がした。いや、知らないわけではない。自分の声だ。でも、世界B-1のユイとは少し違う。


 カメラの前に座ったのは、三人目のユイだった。ショートカットで、スポーティな服装。


「初めまして! 私は世界C-5のユイ。運動生理学の研究者をやってるよ」


「え、え? どうして……」


「QSPは複数の並行世界と同時接続できるんだ。回数を重ねると、どんどん接続先が増えていくらしい。システムが学習して、接続しやすい世界を自動で探してくれるんだって」


 世界C-5のユイは明るく説明した。

 その朗らかな様子に、ユイは少し圧倒される。


「あ、そうだ。見せたいものがあるんだ」


 世界C-5のユイがカメラを持ち上げると、画面に三匹の猫が映った。

 白、茶トラ、黒。

 それぞれがソファの上で思い思いにくつろいでいる。


「可愛いでしょ? 名前はミルク、マロン、クロ。ベタだけど(笑)」


「すごい……私、猫飼いたかったんだけど、アパートがペット禁止で……」


「そっか。じゃあ、私が代わりに飼ってあげてるってことにしよっか! 画面越しだけど、いつでも見せてあげるよ」


 その優しい言葉に、ユイの目が潤んだ。


 世界が広がっていく。一人じゃない。こんなにたくさんの自分が、それぞれの世界で生きている。



 一週間後、ユイの接続先は七つの並行世界に広がっていた。


 世界D-12のユイは、結婚して二人の子供がいた。

 夫との出会いから結婚までの話を、嬉しそうに語ってくれた。


 世界E-7のユイは、難病を患い、ベッドの上で過ごしていた。

 それでも彼女は明るく、「病気じゃなかったら経験できなかったこともあるんだよ」と笑った。


 世界F-3のユイは、バックパッカーとして世界中を旅していた。

「次はパタゴニアに行くんだ」と目を輝かせて話してくれる。


 世界G-9のユイは、音楽教師になっていた。ピアノの演奏を聴かせてくれて、ユイは初めて自分が弾くピアノの音色を聴いた。


 それぞれが違う選択をし、違う人生を生きている。

 でも、みんな同じ心を持っていた。優しさ、不安、希望、孤独――全てを共有していた。


 ユイは毎晩、並行世界の自分たちと話し、笑い、時には一緒に泣いた。人生で初めて、心から安心できる居場所を見つけた気がした。


 だが、ある朝、異変が起きた。



 目覚めた時、ユイは


 ここは……自分のアパート? それとも世界B-1の陶芸工房? いや、世界C-5の研究室?


 視界がぼやけている。

 記憶が混濁している。

 手を見る。

 土がついているような気がした。

 いや、何もついていない。

 清潔な手のひら。


「……私は、結城ユイ。世界Aの、プログラマーで……」


 自分に言い聞かせるように呟く。

 徐々に意識がクリアになっていく。

 そうだ、ここは自分の部屋だ。


 ベッドから起き上がり、洗面所に向かう。

 鏡に映る自分の顔を見て、ようやく現実感が戻ってきた。


 リビングに戻ると、量子デバイスが点滅していた。

 システムメッセージが表示されている。


「警告:量子自己同期率(QSS)が30%に到達しました。これは推奨上限値です。さらなる接続は、。接続頻度の調整をご検討ください」


 ユイは画面を凝視した。


 ――それが何を意味するのか、この時の彼女はまだ知らなかった。

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