第一章 4:王都パール・シティにて

 夜明けと同時に、ウィルは身支度を始める。

 一日分の携行食料と、わずかの路銀。しっかりと靴紐を締めて、父親から預かった剣を腰に吊るす。手紙を届けるだけだ。この時間に出れば、日が暮れる頃までには帰ってこられるだろう。

 既にオルヴァンも起きているようだ。出発の準備を終えたウィルが外に出ると、上半身裸で木刀を素振りする父親の姿があった。

 ウィル自身、彼の父親の詳しい経歴を知らない。息子であるウィルに対してでさえ、オルヴァンは自身のことについてあまり多くを語ることはなかった。若い頃は王都に住んでいたらしい事はわかっているが、ウィルが生まれる以前に街を出て、ここからも遠い山間の村で長い時間を過ごしていた。妻の死、ウィルの母親の死をきっかけに、再び王都の近くのこの場所に越してきたのだった。

 母親のことは、その穏やかな笑顔と、頭を撫でられたときの温かな手の思い出ぐらいしか記憶に残っていない。彼女はいつもベッドに横になっていた。病弱だったと後から聞かされた。

 木刀が風を切る音が止む。オルヴァンは汗ひとつかいていない。

「もう行くのか」

「はい。日が落ちるまでには帰ってきます」

 オルヴァンは小さく頷くと、木刀の素振りを再開する。

 森を抜ける小道に足を向けようとしたウィルの背中に、オルヴァンが声をかける。

「気をつけなさい。…人の理解が及ばないことがあるということを、忘れないように」

 ウィルは足を止めて振り返る。しかしオルヴァンは、それ以上を語るつもりはないようだった。素振りを続ける父親に怪訝な視線を向けるが、思い直して、ウィルは小道へと歩き出した。

 森の中、しばらく小道を進むと、徐々に視界が開けてくる。抜けると街道が見えた。

 街道に沿って二刻弱――およそ四時間ほど――歩けば、王都パール・シティに着く。王都に行くのは一カ月ぶりだ。

 マリオール王国は小国ではあるが、海上交通の要所として大いに繁栄している。王都もまた、多くの異国の人々が行き交い、さまざまな珍しいものであふれていた。

 王都が近づくにつれ、街道にも人影が増えてくる。行商人の馬車や荷車、旅人たちの姿、人々のにぎやかな声が風に乗って響き、あたりの空気が次第に熱を帯びていく。その活気に、自然とウィルの胸も高鳴った。

 やがて、特徴的な白亜の塔の先端が見えてくる。次第に、王都を囲む城壁も見えはじめる。ウィルの視界の先で、日の光の反射を受けて、「白亜の城」パール・キャッスルが眩しく輝いていた。

 この時間、街の城門は開かれている。両側にそびえる巨大な白亜の物見塔に挟まれたその門は、大人が十人ほど横に並んでも悠々と通れるほど広い。

 城門を通り過ぎると、行き交う黒山の人だかりの向こうに噴水広場が見えた。そこへと真っすぐに延びる大通りの両側には、大小さまざまな店舗が立ち並び、建物と建物の間も、わずかな隙間でも許さないと言わんばかりに露店で敷き詰められていた。

 ウィルは目にとまった本屋にふらりと立ち寄る。父親が読書好きなのを思い出したのだ。

 棚に並ぶ不揃いの大きさのさまざまな本を眺めていると、ふと一冊の歴史書が目にとまった。手に取ってみる。記されていたのは知らない作者の名だったが、大陸の西方のここ百年ほどの歴史と、地理をまとめたものだった。

 用件が何事もなく終わったら、父親への土産にこの本を買って帰ろう。

 ウィルは本をそっと棚に戻して、店主に軽く頭を下げて店を出た。

 噴水を取り囲むようにして、円形の広場が広がる。その一画に警備兵の詰め所があった。

 ウィルは詰め所に向かう。入口の手前で、腰の革製の鞄のなかに、父親から渡された手紙があるのをしっかりと確認してから、詰め所のなかを覗いた。

 普段は複数名の警備兵が常駐しているはずが、今は見るからに若い警備兵が一人いるだけだった。若いといっても十八才のウィルよりも、三つか四つは年上だろう。

「すみません」と、ウィルは詰め所のなかに声をかけた。

 若い兵士が振り返った。ウィルの姿を見て、笑みを向ける。

「どうしました?」

「はい。人を探していまして。近衛騎士に、ヴァレンという方はいらっしゃいますか」

「ヴァレン、ねえ…」

 若い兵士は腕組みをして思い出すような仕草をした後、「すまない。聞いたことがないな」と詫びる。

「そうですか」

 近衛騎士ならば名前を出せばすぐに見つかると思っていたので、ウィルは少し落胆する。

「城の方の詰め所ならば、わかる者がいるかも知れない。そちらで聞いてみてはどうかな」

「はい。ありがとうございます」

 ウィルは礼を言って、詰め所を後にした。

 何事もなく、とはいかないか。ウィルは迷路のように入り組んでいる通りを、白亜の城の方向へと向かった。

 貴族の屋敷だろうか、豪勢な建物が並んでいる一角を通り過ぎる。少し迷ったか、城に向かっているつもりが、通りは不意に曲がり、路地に入るも逆方向に延び、気が付いたときにはウィルは街の西の方にいた。

 大きな教会が視界に入る。教会の前には、警備兵だろうか、雑談をしている複数名の兵士の姿があった。彼らに交じって、修道服をまとった女性の姿も見えた。

 ここマリオール王国の守護神、マリセアを祀る教会だ。大海がもつ穏やかさと荒々しさの二面性と、海流を司る女神で、大陸の沿岸部ではマリセアを信仰する人々は多い。夜の航海では、船乗りたちは安全な航行をマリセアに祈りながら、夜空の星々を頼りに目的地へと向かう。それもあって、星々を司る女神でもあった。

 教会を横目にして、ウィルはあらためて城の方向を伺う。

 その時、視線の奥の方から、侍女の格好をしたひとりの女性が速足で近づいてくるのが見えた。

 彼女はウィルの横を通り過ぎるときに、ちらりと彼を見た。しかしすぐに興味なさげに視線を真正面に戻して、教会へと向かう。警備兵たちは侍女に気付くと、雑談をやめて、慌てて敬礼をする。

「姫様は、来てはいませんか?」

 侍女の冷ややかな響きの言葉に、兵士が慌てたように答えた。

「は、はっ。先ほど、中に」

「止めなかったのですか」

 責めるような侍女の言葉に、兵士は諦めたような口調で返す。

「私などに、止められるはずがありません…」

 侍女は舌打ちをすると、再び速足で教会の中へと入っていった。

 ウィルはその騒ぎを見とどけて、がくりを肩を落とした様子の兵士に同情心を覚えながら、また迷路のような通りに向かった。

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