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Dr.cat
序章
西暦20XX年、11月。
国連気候変動モニタリングセンターの地下七階、緊急対策本部。そこに集められた各国首脳の顔には、もはや希望の色はなかった。
巨大スクリーンに映し出されるのは、赤く染まった世界地図。太平洋沿岸部の都市という都市が、警告色に塗り潰されている。
「……これが、我々の未来です」
白衣の研究員が、震える声で告げた。
過去三年間で記録された災害データは、人類史上最悪の数字を叩き出していた。マグニチュード8を超える地震が年間二十回。スーパー台風は月に一度のペースで発生し、もはや「観測史上最大」という言葉に意味はなくなっていた。
産業革命以降、人類は地球を食い荒らし続けた。大気を汚し、森を焼き、海を毒した。そのツケが、今、一気に押し寄せてきていた。
地殻は悲鳴を上げ、大気は狂い、海流は乱れた。
気象学者たちが「多重地殻変動期」と名付けたこの現象は、複数のプレートが同時に活性化する前例のない事態だった。ある地域で地震が起これば、連鎖するように別の大陸で火山が噴火する。地球そのものが、ひとつの生命体のように痙攣していた。
「電磁乱流の発生頻度も増加の一途を辿っています」
別の研究員がグラフを表示させる。太陽フレアと地磁気の異常な相互作用により、広域停電が世界中で頻発していた。電力網が麻痺すれば、現代文明はあっという間に機能停止する。
そして、内陸部での巨大洪水。
温暖化により大気中の水蒸気量が激増した結果、かつて「安全」とされていた内陸都市が、想定外の豪雨に飲み込まれる事例が後を絶たなかった。山間部のダムは限界を超え、河川は氾濫し、地下街は水没した。
「統合分析の結果を発表します」
プロジェクトリーダーの老科学者が立ち上がった。彼の目の下には深いクマがあり、この三ヶ月で十キロは痩せたように見えた。
スクリーンに、ひとつの数字が浮かび上がる。
人類生存確率:1.2%
会議室が、凍りついた。
「……誤差範囲は」
ある国の首相が、かすれた声で尋ねた。
「プラスマイナス0.3%です」
つまり、どう転んでも2%に届かない。
これは十二の研究機関が独立して解析し、AIによる予測モデルを何千回とシミュレートした末に導き出された、ほぼ確定した未来だった。
人類は、自らが招いた"自然の反乱"によって、滅びる。
しかし、それだけではなかった。
環境の崩壊は確定事項として、人類にはさらに三つの致命的な問題があった。
会議は第二セクションへと移行する。
「少子化問題について報告します」
人口動態を専門とする研究員が資料を配布した。
先進国を中心に、出生率は危機的な水準まで低下していた。日本は0.8、韓国は0.6、EU圏も軒並み1.0を割り込んでいる。
問題は数だけではない。
「特に深刻なのは、職業選択の偏りです」
グラフが示すのは、救助職・消防・警察・自衛隊・医療従事者といった"人を守る職業"への志願者数の激減だった。
若者たちは、危険で過酷な仕事を避けるようになっていた。給与や待遇の問題もあるが、それ以上に、身体を酷使する職業そのものが敬遠されていた。
「このままでは十年後、災害対応能力は現在の三分の一以下になります」
つまり、災害が激化する未来に、それを救う人間がいない。
「次に、運動能力の低下について」
スポーツ医学の権威が立ち上がった。
映し出されたのは、過去五十年間の子どもの体力測定データ。グラフは右肩下がりに落ち続け、ここ十年で急激に悪化していた。
生活の自動化、AI化、娯楽のデジタル化。
子どもたちは外で遊ばなくなり、身体を動かす必要がなくなっていた。移動は自動運転車、階段は避けてエレベーター、買い物はドローン配送。
「特に問題なのは、瞬発力・判断力・反射神経の低下です」
戦後最低水準。
それは統計上の数字だけではなく、実際の事故データにも現れていた。
転んだ時に手をつけない子ども。ボールをよけられない子ども。危険を察知できない子ども。
「災害時、咄嗟の判断が生死を分けます。しかし現代の子どもたちは、自分の命を守るための"身体能力"を、失いつつあるのです」
会議室に重苦しい沈黙が落ちる。
「そして最後に」
気象予測チームのリーダーが、最も恐るべきデータを開示した。
「極限災害の到来時期について」
スクリーンに映し出されたのは、真っ赤な予測モデル。
「我々の分析では、今後十五年から二十年以内に、これまでの人類が経験したことのないレベルの災害が、連続的に発生します」
マグニチュード9を超える巨大地震の同時多発。カテゴリー6に分類される超大型台風の連続上陸。数ヶ月間続く豪雨。壊滅的な火山噴火の連鎖。
「現在の防災訓練、避難マニュアル、救助体制——これらは全て、過去のデータに基づいています。しかしこれから起こる災害は、それらを遥かに超える」
つまり、通常の訓練を受けた人間では、対応不可能。
三つの危機は、ひとつの結論を示していた。
現代人類は、これからの地球環境に適応できない。
進化が追いつかなかったのだ。
人類は、自らが作り出した文明の快適さに甘え、生存に必要な能力を失っていた。そして今、その文明が崩壊しようとしている。
「……我々に、未来はないのか」
誰かが呟いた。
老科学者は、深く息を吐いた。
「希望が、ひとつだけあります」
《
それは、各国の科学者たちが三年の歳月をかけて導き出した、人類最後の賭けだった。
「大人は、もう間に合いません」
老科学者の言葉に、会議室がざわめく。
「我々の世代は、すでに身体能力も適応力も固定化されています。どれだけ訓練しても、限界があります」
では、どうするのか。
「子どもです」
スクリーンに、子どもたちの映像が流れる。
「人間の身体能力、認知能力、適応能力——これらは十代前半までに大きく形成されます。ならば、今の子どもたちを"理想の生存者"に育て上げるしかない」
軍事訓練か。体育強化プログラムか。
様々な案が検討された。しかし、どれも効果は限定的だった。
筋力は多少つくが、判断力は伸びない。持久力は上がるが、危機察知能力は育たない。訓練は、あくまで"既存の能力"を底上げするだけで、人間を根本から進化させることはできなかった。
「そこで我々は、別のアプローチを試みました」
老科学者が、新しいデータを表示させる。
「人間が最も能力を引き出す瞬間——それは、"本気で遊んでいる時"です」
遊び。
一見すると不真面目に聞こえるその言葉に、しかし会議室の空気が変わった。
「過去五十年分の発達心理学、神経科学、運動生理学のデータを統合分析しました。さらにAIによる行動パターン解析を行った結果、驚くべき事実が判明したのです」
スクリーンに、次々とグラフが表示される。
鬼ごっこをしている子どもの脳波。本気でかくれんぼをしている時の心拍変動。ボール遊びに没頭している時の反射神経の数値。
「遊びに全力で取り組んでいる子どもは、訓練を受けた大人を上回る身体パフォーマンスを発揮することがあります」
空間把握能力——障害物を避け、最短ルートを見つける力。
回避能力——予測不能な動きに対応する反射。
読み——相手の動きを先読みする判断力。
心拍制御——興奮状態でも冷静さを保つ能力。
反射神経——視覚情報を瞬時に運動に変換する速度。
集中力——周囲の情報を取捨選択し、必要なものだけを処理する力。
危機察知能力——本能的に危険を感じ取るセンサー。
「これら全ての能力が、"本気の遊び"の中で極限まで研ぎ澄まされるのです」
なぜなら、遊びには"楽しさ"がある。
楽しいから、子どもは夢中になる。夢中になるから、限界を超えようとする。限界を超えようとするから、脳も身体も急激に成長する。
義務としての訓練では、この爆発的な成長は起こらない。
「つまり——本気の遊びこそが、人間性能を最も伸ばす最強の訓練なのです」
老科学者は、最後のスライドを表示させた。
《
「全国の子どもたちから、潜在能力の高い者を1000000名選抜します」
どうやって選ぶのか。
「すでに三年前から、全世界の小学校・中学校にセンサーを設置し、子どもたちの日常行動をモニタリングしています」
極秘裏に。
休み時間の動き、体育の授業での反応速度、自由遊びでの判断パターン——全てがAIによって解析され、スコア化されていた。
「潜在能力スコア上位1000000名を、特別育成施設に収容します」
育成施設。
そこでは、遊びが極限まで競技化される。
ただの鬼ごっこではない。ただのかくれんぼでもない。
命がけの遊び。本能を呼び覚ます遊び。人間の限界を引き出す遊び。
「彼らを、十年かけて"次世代の人類"に進化させます」
会議室が静まり返った。
倫理的な問題は山積みだ。子どもを親から引き離し、過酷な環境に置くことへの批判は避けられない。
しかし——
「これが、人類に残された唯一の希望です」
老科学者の目には、強い光があった。
「大人たちは、もう終わった世代です。しかし子どもたちには、まだ可能性がある。彼らを守り、育て、進化させる。それが我々の、最後の責任です」
長い沈黙の後。
各国首脳が、一人、また一人と頷いた。
西暦30XX年、12月。
《遊戯適性選抜計画》は、極秘裏に承認された。
全国の子どもたちは知らない。
自分たちの日常が、0すでに監視され、採点されていることを。
そして、その中の1000名が、やがて"選ばれる"ことを。
地球は、まだ悲鳴を上げ続けていた。
時間は、刻一刻と失われていく。
人類の生存確率1%という未来へ向けて——
物語は、静かに動き始めていた。
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