第4話 「世論」

**登場人物**

- ナカソネ

- タケシタ

- オオヒラ

- サトウ(ジャーナリスト)

- タナカ(市民代表)

- 鹿市


**舞台**

ミサイル戦艦「ムサシ」艦橋及びトーキョー市内


---


**起**


 選挙まで、あと三日に迫っていた。


 時間が刻々と過ぎる。

 運命の日が近づいている。

 全国が緊張していた。


 全国で激しい議論が続いていた。


 家庭で。職場で。学校で。街角で。

 どこでも同じ話題だ。空爆か、反対か。

 国民が分裂している。


 トーキョー市内では、市民が集会を開いていた。

 大きな広場だが、普段は静かな場所だ。

 しかし最近は違う。

 今日も数千人が集まっている。

 老若男女、あらゆる世代が、あらゆる階層が集まっている。


 タナカという若い男が演壇に立つ。


 二十代後半だろうか。もしかすると大学生なのかもしれない。

 目が真剣だ。若い使命感に燃えている。


「皆さん!」


 彼の声が響く。

 マイクを通し、広場全体に。


「我々は選択を迫られています」


 群衆が静まる。

 ざわめきが消える。全員が耳を傾けている。

 この若者の言葉を。


「空爆に賛成するか。反対するか」


 二択だが、重い選択だ。

 タナカは拳を上げる。


「私は言います。空爆に反対だと!」


 叫びだ。魂の叫びだ。

 爆発的な歓声が上がる。

 拍手が響く。「そうだ!」「その通り!」支持の声だ。


 しかし同量の反対の声も聞こえていた。

 「政府を倒せ!」「ナカソネを支持する!」

 怒号だ。憎悪が込められている。


 群衆が二分されている。

 賛成派と反対派が睨み合っている。


 タナカは手を上げる。

 冷静になってほしいと、静止の声を上げる。


「待ってください。聞いてください」


 必死だ。声が震えている。

 群衆が再び静まる。

 ざわめきが小さくなる。しかし完全には消えない。緊張が漂っている。


「確かに、政府は腐敗しています」


 タナカは認める。否定できない事実だ。


「しかし暴力では何も解決しません」


 訴えだ。平和を求める訴えだ。

 誰もが否定し難い奇麗な言葉。


「空爆を実行すれば、関係のない市民が死にます」


 現実だ。決断と共に発生する残酷な事実。

 群衆がざわめく。

 そんな当たり前のことに、彼らはようやく気付いた。

 怒りに目が眩んでいた。冷静さを失っていた。


 しかし今、言葉が心に刺さる。

 関係のない市民。罪のない人々。子供たち。老人たち。

 つまりは住んでいる場所が違うだけの自分たちの事だ。

 タナカは続ける。


「それは正義ですか?」


 問いかけだ。


「民主主義ですか?」


 魂への、誇りへの。

 道理への問いかけだ。


 一人の男が叫ぶ。

 中年の男だ。労働者風の服装だ。顔が紅潮している。


「では政府の搾取は正義なのか!」


 反論だ。怒りの反論だ。

 タナカは首を振る。


「違います。しかし二つの悪を比べても意味がありません」


 否定は理性的だった。

 怒りに任せて声を荒げた男は、次の言葉を繋げない。


 別の女性が声を上げる。

 若い女性だ。母親のようだ。赤ん坊を抱いている。


「では私たちはどうすればいいの!」


 叫びだ。絶望の叫びだ。

 タナカは答える。


「話し合いです」


 提案だ。


「政府と反乱軍が、交渉すべきです」


 第三の道だ。

 群衆が議論を始める。

 あちこちで声が上がる。賛成派と反対派が激しく対立して、時には怒号となって言葉が飛び交う。


 しかし暴力はない。

 民衆には、まだ理性が残っている。驚異的な事であった。

 そこへ一台の車が到着する。

 黒い車だ。報道機関のロゴが入っている。


 降りてきたのは、サトウという中年のジャーナリストだ。

 四十代に見え、眼鏡をかけている。

 カメラを持っている。今となっては珍しい、この国の事実を伝えるものたち。真実を追いつづけるからと、業界から干されている男だった。


「失礼します」


 サトウは演壇に近づく。

 群衆が道を開ける。ジャーナリスト、記録者だ。


「取材させてください」


 丁寧な口調だ。

 その言葉にタナカは頷く。


「どうぞ」


 承諾だ。自分の声を届けたい。

 サトウはカメラを回す。

 赤いランプが点灯する。記録が始まる。歴史が記録される。


「あなたの主張を教えてください」


 簡単な質問だ。

 質問も回答も、分かりやすくが基本であった。

 タナカは真剣な表情で答える。


「私は空爆に反対です」


 簡潔な明言だ。

 これが分かればいい。


「しかし政府改革は必要だと考えています」


 タナカの返答は矛盾ではない。

 要はバランスの話をしている。極論での議論は、理解から遠くなる。

 サトウは質問する。


「つまり第三の道を求めているのですか」


 確認だ。新しい選択肢だ。

 タナカは頷く。


「その通りです」


 血を流さない希望だ。


**承**


 ムサシの艦橋では、ナカソネがサトウの取材映像を見ていた。

 モニターに若者の姿が映っている。

 真剣な顔だ。これならば、と。希望に満ちている。


「嬉しいものだな」


 ナカソネは呟く。

 国民が自分で考えている。

 議論している。それが民主主義だ。


 タケシタが同意する。


「第三の道。交渉による解決ですか」


 新しい可能性だ。

 ナカソネは考え込む。

 腕を組み、目を閉じる。思考を巡らせる。


「可能性はあるか」


 自問にも聞こえるが、信頼できる部下への問いかけだった。

 タケシタは首を振る。


「政府は交渉を拒否しています」

「しかし世論は交渉を望んでいる」


 現実と希望。

 政府の姿勢と国民の望み。


 ナカソネはモニターを見る。


 画面が次々と切り替わる。

 各地の集会。デモ。討論会。

 どこでも同じ議論が繰り返されている。


 空爆か、反対か。

 そこに、交渉の選択肢が加わった。


「国民は迷っているな」


 ナカソネの観察は冷静だ。

 事実を事実として見る。憶測や希望は可能な限り排除する。

 軍人に必要な物を持っている男の思考であった。


 タケシタが言う。


「当然です。どちらを選んでも犠牲が出ます」


 タケシタの言葉もまた、ただの事実だった。

 空爆すれば市民が死ぬ。

 何もしなければ、この国は変わらない。


 ナカソネは立ち上がる。

 一石を投じる事を決めたらしい。


「サトウというジャーナリストを呼べ」

「艦に?」


 その命令にオオヒラが驚く。

 信じられない。敵かもしれない。


 ナカソネは頷く。


「話を聞きたい」


 国民の声を直接聞きたい。

 タケシタが警告する。


「危険です。工作員の可能性もあります」


 当然の懸念だった。

 政府の工作員である可能性がある。


 しかしナカソネは笑う。


「ジャーナリストは工作員ではない。真実を追う者だ」


 彼にあったのは、職業への敬意だった。




 数時間後。


 太陽が傾き始めた頃、サトウがムサシに到着した。


 小型ボートで運ばれてきた彼は緊張している。

 反乱軍の旗艦だ。

 命の保証など誰もしてくれない。


 しかし彼は、ジャーナリストとしての使命がある。

 真実を追う。それが彼の生き方で、今更曲げる事などできなかった。


 彼は艦橋に案内され、長い廊下を歩く。

 士官たちとすれ違うと、全員が敬礼する。

 規律がある。テロリストと言う言葉のイメージとは合致しない。


 艦橋に入る。


 広い空間だ。最新の機器が並んでいる。

 中央には、ナカソネが立っている。


「ナカソネ艦長」


 サトウは敬礼しない。

 彼はジャーナリストであり、軍人ではない。

 あくまでも中立を保つという意思表示だった。


 ナカソネも気にしない。


「よく来てくれた」


 歓迎の言葉だった。敵意はない。

 サトウは単刀直入に尋ねる。時間を無駄にしたくなかった。


「なぜ私を呼んだのですか?」


 正当な疑問だ。

 ナカソネは答える。


「国民の声を聞きたい」


 シンプルな理由だった。

 ナカソネの言葉に、サトウは鞄からノートを取り出す。

 聞かれた事を答える。知りたい事を教える。

 事実を事実として。脚色せずに、透明に。

 今まで通りにやるだけだった。


 記者の道具だ。ペンを構える。


「では、代わりに質問させてください」


 ジャーナリストの仕事を始める。

 場所と相手は関係なかった。


 ナカソネは頷く。


「どうぞ」


 どんな質問にも答える。

 ナカソネにはそんな雰囲気が滲んでいる。


 サトウは尋ねる。

 核心を突く質問だ。


「本当に空爆を実行するつもりですか?」


 誰もが考えた疑問だ。

 本当にやるのか、脅しではないのか?


 しかし、ナカソネは即答する。迷わない。


「民意なら実行する」


 約束。国民と民主主義への約束だった。

 サトウは眉をひそめる。

 信じられない。いや、信じたくなかったのかもしれない。


「何万人もの市民が死にますよ」


 残酷な現実の指摘だ。

 しかし、ナカソネは真剣な表情だ。

 彼は目を逸らさない。現実から逃げない。


「わかっている」


 理解している。その罪の重さを。

 サトウは続ける。


「それでも実行すると?」


 最後の確認だ。

 ナカソネは窓の外を見る。

 海が見える。穏やかな海だ。

 しかしその向こうには、首都トーキョーがある。


「民主主義とは、民意に従うことだ。民意が最悪を回避する手段だ。現政権が続く事が最悪だと判断したのなら、きっとその民意は正しい」


 信念だ。揺るがない信念だ。

 サトウは反論する。

 ジャーナリストとして。人間として。


「しかし民意が間違っていたら?」


 そんな恐ろしい可能性を指摘する。

 しかし、誰もが感じた事のある可能性。

 ナカソネは振り返る。

 真っ直ぐ見る。サトウの目を。


「それも民意だ。代表とは、民意に色を付ける役職ではない」


 冷徹な答えだった。

 サトウは沈黙する。

 言葉が出ない。この男は本気だ。

 必ず民意に従う。たとえそれが、悲劇を産んだとしても。


 やがてサトウは別の質問をする。

 希望を探す質問だ。


「政府との交渉は考えていませんか」


 可能性。第三の道の話だ。

 ナカソネは首を振る。


「政府は交渉を拒否している」


 現実だ。しかしサトウは食い下がった。

 この可能性が潰える事を諦められない。


「では提案してください」


 懇願だった。血を流したくない。

 ナカソネは考える。


 長い沈黙だ。


**転**


 非常に長い沈黙だ。

 艦橋の全員が息を呑んでいる。


 ナカソネは決断する。


「わかった」


 その答えに、サトウが驚き目を見開く。


「本当ですか」


 自分で提案した事だが、ナカソネの言葉が信じられなかったい。

 この鋼のような男が妥協するのか。


 ナカソネは頷く。


「だが条件付きだ」


 無条件ではない。当然の様に聞こえた。

 サトウはペンを構える。


「聞かせてください」


 急ぐ。一言も聞き逃したくない。

 ナカソネは宣言する。


「現首相、シカイチが辞任すること」


 第一条件。当然の要求に聞こえた。


「そして新政府が改革を約束すること」


 第二条件。こちらも無茶ではない。


 サトウは書き留める。

 ペンが走る。紙に言葉が刻まれる。


「他には?」


 ナカソネは続ける。


「選挙を不正なく実施する事だ」


 第三条件。ある意味当然のことを言っている。


「以上を持って、空爆の選択肢に政府との交渉を加える」

「つまり三択にすると」


 確認だ。

 ナカソネは肯定する。


「空爆賛成。空爆反対。政府との交渉」


 三つの道だ。国民が選ぶ。

 サトウは興奮する。

 これは大ニュースだ。世論が動く。


「これは大きなニュースです」


 ジャーナリストの本能が叫ぶ。

 ナカソネは釘を刺す。


「ただし、政府が交渉に応じればの話だ」


 当然の前提。結局は政府次第だ。

 サトウは頷く。


「すぐに報道します」


 真実を伝える使命に燃える。

 サトウは艦橋を出る。

 一刻も早く国民に伝えなければと、ただその一心だった。

 どうやって陸に帰るかなど、考えてもいないようだった。


 タケシタが尋ねる。


「本当によろしいのですか」

「民意が望んでいるのだ。ならば政府にも選択肢は必要だろう」


 民意が望んでいる。

 ナカソネという男が言葉を曲げたのは、シンプルな理由だった。


 オオヒラが報告する。


「サトウの報道が始まりました」


 早い。驚くべき速さだ。

 モニターに彼の顔が映る。

 興奮している。しかし言葉は冷静で聞き取りやすい。プロの仕事だった。


「速報です」


 声が響く。全国に。


「ナカソネ艦長が、政府との交渉を提案しました」


 衝撃だ。全国が驚く。

 全国が注目する。

 テレビの前に釘付けだ。


「条件は首相の辞任と政治改革。そして不正のない選挙」


 明確だ。


「それを持って、選挙に交渉の選択肢を加えることです」


 第三の道が開ける可能性が出た。

 国民が、民意がそう望んだから

 画面が切り替わる。


 街頭インタビューが流れる。市民の反応だ。


 「これは朗報だ」喜びの声。

 「血を流さずに済む」安堵の声。

 「しかし政府は応じるだろうか」不安の声も。


 首相官邸では、シカイチがモニターを睨んでいた。

 拳が震えている。怒りであり、屈辱だった。


「テロリストと政府と交渉だと? 情けをかけたつもりか?」


 国家の代表が、クーデターを起こしたテロリストに情けをかけられている。

 どんな類の冗談だ。国際世論からはいい笑い者になるだろう。 

 しかし、カネマルは冷静だった。


「検討すべきです」


 冷静な進言だった。

 シカイチは怒鳴る。


「テロリストの要求に屈して辞任しろというのか!」


 怒号には拒絶があった。


「貴様ふざけているのか! 誰の味方なのだ!」


 カネマルの言葉を、シカイチのプライドは受け入れられなかった。

 ニッポン最高の権力者としての意地とプライド。国際社会で輝かしい地位を取り戻すのだと燃える野心。その全てがカネマルの進言を受け入れない。

 だが、ミヤザワが冷静に言う。


「しかし世論は交渉を望んでいます」


 しかし、それが現実だった。


 付きつけられた現実を認識し、シカイチは椅子に座り込む。

 全身から力が抜けるのが自覚してしまった。

 立ち上がる力が、出なかった。


「私が辞任すれば、うまくいくのか」

「おそらく。としか言えませんが」


 これまでのように、首相が国の方向性を決めるのではない。

 この瞬間から、国民が国の方向性を決めようと言っている。

 ただそれだけの話であった。


 シカイチは両手で顔を覆った。

 現実を見たくないかのように。


「これは悪夢だ」

「決断の時です、総理」


 弱々しい呟きに、ミヤザワの進言が重なる。

 優しい促しだった。

 シカイチは顔を上げる。目が赤い。

 自然に流れる涙は、怒りなのか哀しみなのか。

 もはや本人でさえも分からなくなっていた。


「もし私が辞任を拒否したら……」


 仮定の問いに、カネマルが答える。


「選挙で空爆賛成が多数になるでしょう」


 希望を裏切られた民衆は、容易くその選択肢を選ぶだろう。

 今は唯の予測でしかないが、そうなると確信がある予想だった。


 シカイチの全身が震える。権力を握ってからは無縁となっていた、国会議員になったばかりの時ような恐怖を感じていた。


「私一人の命と引き換えに、何万人もの命が」


 呟かれたシカイチの言葉を、しかしミヤザワは冷静に訂正する。


「命ではありません。地位です」


 ミヤザワの言葉は事実だ。

 しかし、とシカイチは苦笑する。自嘲だった。


「同じことだ。政治家にとって」


 シカイチの言葉もまた、事実だった。

 事実や真実は、時に矛盾しない。

 ニッポン語が難しいと言われる所以であった。


**結**


 夜が更ける。

 時計が深夜を指す。しかし全国が起きている。

 全国で議論が続いていた。

 家庭で。バーで。オンラインで。

 どこでも同じ話題だ。


 ――交渉を支持する声が増えている。


「血を流す必要はない」「話し合いで解決できる」


 希望の声だ。

 しかし空爆賛成派も根強い。


「政府の今までを許すな」「この機会に徹底的に叩き潰せ」


 怒りの声だ。過激な意見も飛び交う。

 ムサシの艦橋ではナカソネが報告を聞いていた。


「世論調査の結果が出ています」


 政府からの正式発表は、まだない。

 今はまだ仮定の話でしかない世論調査を、オオヒラは緊張した声で読み上げる。


「空爆賛成が三十五パーセント」

 三割を超えている。高いと言える。


「空爆反対が二十パーセント」

 賛成の半分程度。少数派と言えた。


「交渉支持が四十五パーセント」

 誤差ではない。最多だ。


 その結果に、ナカソネは頷く。


「交渉が最多か」

「しかし政府が応じなければ、この選択肢に意味はありません」

「その時は、選択肢が空爆の二択になるだけだ」


 そしてその二択になれば、おそらく空爆を行う事になる。

 タケシタは懸念で応え、ナカソネは覚悟で応えた。

 オオヒラが新しい報告を上げる。


「首相官邸から連絡です」


 政府が動いた。

 ナカソネは声を上げる。


「何と言ってきた」

「首相が記者会見を開くそうです」


 連絡は、返答ではなかった。

 発表はテロリストではなく、国民に向けて。

 ここにきて、政府はようやく今回の主旨に気が付いたらしい。


 ――そう、これは民意を反映させる選挙なのだ。


 下らない政治闘争をしているのではない。

 ナカソネは時計を見る。


「いつだ」

「三十分後です」


 ナカソネの疑問に、オオヒラが答える。

 もうすぐだ。

 ナカソネは命令する。


「全員で見よう」


 全員が証人になるのだ。行動の結果、その証人に。

 艦橋の全員がモニターの前に集まる。

 士官たち。水兵たち。全員が固唾を呑んでいる。


 長い三十分だった。

 しかし時間は確実に進む。

 そして約束の時刻、画面にシカイチが映った。


 彼は憔悴していた。

 この三日間で、十歳は老けて見える。

 目の下にクマができていおり、顔色が悪い。

 もはや、ただの老人だった。


「国民の皆さん」


 シカイチの声は弱々しい。

 かつての威厳はない。ただの疲れた老人が、画面の中にいた。


「私は決断しました」


 全国が固唾を呑む。

 テレビの前で。ラジオの前で。スマホの画面で。

 全員がシカイチの言葉を聞いていた。


「私は辞任します」


 ついに言った。

 テロリストに屈することを認めてしまった。


 その事実に衝撃が走る。

 全国が驚く。

 予想はしていた。世論調査的にも現状取れる動き的にも、そうするしかないとは思っていた。

 しかし実際にその言葉を聞くと、やはりその衝撃は大きい。


 シカイチは続ける。


「この混乱の責任は、私に…… そして、これまでの政府にあります」


 認めた。自分の、自分たちの罪を。

 彼は深く頭を下げる。

 九十度だ。完全な謝罪だ。


「申し訳ありませんでした」


 それは、テロリストへ屈したのではない。

 国民への謝罪だった。


 彼は顔を上げる。

 涙が光っている。本物の涙だ。


「そして新政府には改革を約束してもらいます」


 引き継ぎ。最後の職務だ。

 防衛大臣であったカネマルが、元首相の横に立つ。


「私が臨時首相を務めます」


 宣言だ。


「そして、一年以内に総選挙を実施する事を約束します」


 シンプルな約束だ。

 国民全員が証人である。

 ミヤザワ官房長官も証明人に加わる。


「政治改革法案を提出します」


 具体案はまだではあるが。


「腐敗の一掃。格差の是正。若者への投資」


 改革案は出た。

 シカイチは最後に言う。

 カメラを真っ直ぐ見て。


「国民の皆様。そして、ナカソネ艦長」


 命令ではない。呼びかけだった。


「我々は交渉を望みます」


 画面が暗転して、放送が終わる。

 ムサシの艦橋は静まり返っている。

 誰も動かない。誰も話さない。衝撃が大きすぎる。

 やがて、オオヒラが言う。


「これは……」


 言葉が続かない。

 オオヒラの代わりに、タケシタが言葉を続ける。


「国民の意見が、通りました」


 認めた。民意が勝ったのだ。

 ナカソネ以外の皆がそう思っていた。浮つく空気に、ナカソネの「まだだ」という言葉が冷や水をかけた。


 「選挙は予定通りに実施する。これは空爆の選択肢を消す話ではない」


 ナカソネの宣言だった。

 「民意を反映させる目的は達成したでは」そう語るタケシタに、ナカソネは簡潔に答える。


「違う。選挙はまだだ。民意の結果は出ていない」


 理由は約束だった。


「国民に、この国の未来を選択させると言った」


 それが、ナカソネの国民への約束であった。

 皆が真剣に現実を考えた。だからこの結果に届いたのだ。故にこそ、ここで踏み止まってよい理由にはならない。

 彼は艦隊全体に通信する。


「各艦に告ぐ」


 全艦が聞いている。


「選挙は予定通り実施する」


 命令だ。


「国民の判断を待つ」


 信じる。国民を。

 艦長たちが了解する。


「了解」「了解しました」


 次々と返事が返る。

 ナカソネは窓の外を見る。

 トーキョーの街が静かだ。


 夜の街だ。明かりが点滅している。しかし音はない。

 嵐の前の静けさだ。


 あと二日で答えが出る。

 国民がどう判断するか。

 空爆か。反対か。交渉か。


 それが全てを決める。

 この国の未来が。この国の魂が。


 ナカソネは深く息を吸う。

 緊張だ。しかし不思議と恐れはなかった。

 国民を信じている。


 七日間事変。

 その四日目が終わろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る