第15話 不可解な事ばかり
剣技の師匠でもあるオフェン伯爵とジルが養子縁組してから、数年経つ。
ジルの出自をアバンスト王国側に利用されない為に、デュカ三世が勧めたのである。
子供のいないオフェン伯爵夫妻にとっても、デュカ三世の提案は願ってもない話だったというし、実際に伯爵家でジルは大切にされている様子だった。
それでも、ジルなりの葛藤はあるはずだ。
王国から天儀導教会に引き渡された祖父のヤナクの安否も判らない状況がずっと続いていたうえ、母親のドルテは客死した。
血縁ではないが、ロクライ王子の暗殺という大事件もあった。
身内がそのような状況で、他人との養子縁組を半ば強要されるのは、ジルにとっては酷だっただろう。
公家の都合にジルを巻き込んでばかりいるような気がして、トビアスは何となく罪悪感が消えないのだった。
そうはいっても、ペダサル公国として、ジルと大主教ソローとの交流や行き来を許してしまうと、またややこしくなるばかりだ。
ジル、すまないね。トビアスは胸のうちで謝った。
それが聞こえたかのように
「別に僕は何とも思ってない。前も話したけど、ソローなんて他人と同じだからね。それに、わざわざ会おうとしなくても、会場にいれば遠目で見ることはできる」
そう言ってジルは小さく笑うと、話を変えた。
「トビー、さっきの娘の件、大公閣下に通す前に、お父上……オフェン卿に相談してみたらどうかな」
トビアスは少し迷ったが、頷いた。
「ん、そうだな。あの逆さの紋章は気にかかる。確か、オフェン伯は奴隷院の役職も務めていたはずだ。焼印や刺青についても何か知っているかもしれないね。父上達がマイカに到着されたら、挨拶がてら一緒に伯爵を訪ねてみるか。……それよりも、ジル。まずいぞ」
「どうかしたかい?」
「フェリスとの待ち合わせの時刻をとうに過ぎてしまっているんだ。走ろう」
トビアスは懐中時計を示し、石段の方へ急いだ。
石段を上り切るまで残り少し、というところで、ふいに人影が立ちはだかった。
二段越しに駆けていたトビアスは、足を踏み外してよろけた。ジルが真後ろにいたおかげで、抱き止められて転ばずに済んだが
「危ないじゃないか」
トビアスは息も荒いままに、強く文句を言った。
「また貴殿か」と相手は応え、逆光でよく見えなかった顔が、目前にずいっと迫った。
「本当にのんきなことだ」
という苦々しげな声音には聞き覚えがあった。
「あなたは……」
門前通りの古書店で、言葉を交わした男である。
真紅のローブは着ていなかったが、ゆるく束ねた長髪、珊瑚の櫛飾り、間違いない。紫文といったか。
間を置かず、例の白銀の男、錫多もその後ろからすうっと現れた。
紫黒色の外套をまとい、深々と頭巾をかぶっていても、ただならぬ気配は隠せないものだ。
急に空気が薄く冷たくなったような感覚があった。トビアスは空咳をして、顔をしかめた。
「ふむ。奇遇、といっていいのかわからんが、あちらもこちらも、人の世の因果とはかくも恐ろしいものかな」
錫多は厳かな声で独り言のように言い「行くぞ、紫文」と促した。
ジルがトビアスをかばってさっと前に出たが、錫多は一顧だにもせず、滑るような足取りで石段を下りていった。
その淡い残り香にくらくらしながらも、トビアスは錫多が小脇に抱えている物を見逃さなかった。
「待たれよ、どうしてあなたがその楽器を持っている」
と大声で呼びかけた。
それはゴタル弾きのエザンが失くしたと話していたゴタルに違いなかった。
絃が外れて垂れ下がっているし、糸巻の箇所が不自然なので、恐らく壊れている。乱闘の際に破損したのだろう。
すると、行き過ぎようとした紫文が振り向いて「貴殿には関係ない」と素気なく答えた。
むっとして口を曲げたトビアスに、紫文は流し目をくれて、言った。
「ひとつ教えようか。貴殿らの行動によって、今日、幾人かの運命が変わってしまったというぞ。なぜ、よりによって貴殿がマイカに来た?」
「なんの話だ、僕がマイカに来たことがなんだっていうんだ」
哀れむように目を見開いた紫文は、トビアスににじり寄って何か言おうとしたが、気が変わったのか急に背を向け、急ぎ足で遠ざかっていった。
トビアスは呆気にとられた顔で、その後姿を見送った。
「トビー、大丈夫か? ひどく無礼な人達だね。一体誰なんだい?」
眉をひそめたジルに、彼らと行き合った経緯を話した。
「うわ、じゃあ、あの顔面蒼白のご麗人は、白銀の鈴夜のお偉いさんか。まごうかたなき人外だ。えらいもんを見ちゃった。そんな大人物と関わって、後で面倒は起きないかな」
ジルが焦ったように言うのを聞き流しながら、トビアスは紫文の言葉を反芻していた。
幾人かの運命が変わった?
どういうことなのだろう。
「分からんな。……今日はもうなんだか疲れた。次から次に色々起きるんだから」
トビアスは考えるのを諦めた。
――ドン、ドン!!
突然、地鳴りに似た重低音が足下で響いた。
波止場の大砲が何かを報せているようだ。駆け足で通りに出ると
「サンタ・リリウム号着岸、着岸。女王陛下がマイカへお着きになられたぞぉ」
噴水広場から撤収したらしき衛兵団員達が、蛮声を張り上げながら、列をなして去る姿が見えた。
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