骨の重さへの応援コメント
父親の葬儀の日を描いたお話。
静かに淡々と進んでいくストーリーですが、中身は重く、ずしりと覆いかぶさってくるような気持ちがしました。
談笑しながらの精進落としや子どもたちのトランプなど、光景が目に浮かびます。
わたしも兄嫁さんと同じ立場でしたので、兄嫁さんの気持ちが一番よくわかったような気がします。
涙を流し、実家に誘う義姉さんはとても優しい人だなと思いました。
お父さんはそれなりにお幸せだったかな。
趣味の盆栽ができるお庭があってよかった。
わたしもどうにか最後まで趣味活ができる体でありたいなぁと願っております。
世代的にも刺さるお話でした。
作者からの返信
葵さん、おはようございます。
葵さんも同じお立場でしたか。
いや、立場という言葉を本人以外が使うのは失礼ですね。
介護はどうしても近隣に住む肉親、あるいは長男のお嫁さんに負担が集中してしまいますよね。ただ本来それは強制される立場ではなく、他にその役を担える人がいないとか、古い家族観的な絡みで否応なくそのようになってしまっていることが多いのではないかと思います。
それでも、その決して義務ではない役回りを最後まで全うされる方には本当に頭が下がります。
その役は扇の要、もし不在だったなら家族という形はすぐにバラバラになってしまっていたでしょう。
きっと葵さんの存在もそのようだったのだと思います。
それにしても、次男というのはこういう場で何の役にも立ちません。
あいや、主語を大きくしてはいけませんね。
ぼくはポンコツだなあ。
お読み頂き、ありがとうございました。
骨の重さへの応援コメント
火葬の時の描写が凄く丁寧ですね。
両親を送った時のことを思い出しました。
体格が小さな人でも、骨太の人って重いのですよね。
でも、燃やしてしまうとその骨ですら軽くなる。
量が多くても、本当に軽い。
全ては煙になるのですよね。
とても雰囲気のある作品でした。
作者からの返信
Ashさま、こんばんは。
すべて煙になってしまうのですよね。何十年も働いて、子供を育てて、贅沢なんてひとつもしないで、必死に生きても2時間かそこらで煙と乾いた流木のような骨になってしまうのです。
その重みが失われたぶん、雨が降るなり風が吹くなり何かしら変わって欲しいと思ったりもするのですが。これも残された側の感傷ですね。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
骨の重さへの応援コメント
血の繋がらない義姉ひとりが泣いている、のところで、どうしてか祖父の葬儀を思い出しました。
私がまだ若い頃に亡くなった祖父の葬儀で、おじいちゃんっ子だった私だけが号泣していた思い出が…
サクさんの書かれる真面目な小説は、どこか心の奥にしまってある大切な思い出を呼び起こす、開かない記憶の箱を開ける鍵のようですね。ありがとうございます。
作者からの返信
いびきさん、こんばんは。
この世を去る時に誰かひとりでも泣いてくれる人がいるのなら、それは幸せなことだと思います。いびきさんのおじい様もきっと嬉しかったと思いますよ。
うちは比較的交流があった兄のところの長女が病院に駆けつける車の中でたくさん泣いていたと後で聞きました。なんだか救われるような思いです。
真面目な小説……いつも真面目ですよ(笑)
ありがとうございました。
骨の重さへの応援コメント
ゆっくり旅立っていったなあ、と思える別れの時は何だか涙も出ないんですよね。ふとした時に突然悲しくなったりしますけど。左手の引っ掻き傷が父親との関係の象徴のように度々登場することや、トランプやタバコ、骨壷、骨を納める所作、乾いてひび割れた盆栽などなどが、間接表現で場の空気や心情を表現していて、巧みでした。
作者からの返信
アオノソラさん、おはようございます。
故人側に何らかの事情(亡くなった人がとても若かったとか、結婚したばかりだったとか、夢を叶える直前だったとか)がない限りは、感傷の理由は大抵こちら側にあるんですよね。
まあ、理由がわかってもそれを解決できるかはまた別の話になってしまうのですけれども。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
骨の重さへの応援コメント
こんばんは。
父が亡くなった時のことを思い出しながら読んでいました。
作品全体に寂しさが漂って彩度の低い印象でしたが、お父様の日常生活の中で赤いジャージが登場したのが心に残りました。
身近な人の死を経験したことがある方にとっては、淡々とした語り口の中に共感できる箇所が色々あると思います。
読後感が良いですね、なんとも言えない寂しさと、故人を思い出す時の懐かしさが入り混じったような気持ちになります。
作者からの返信
こんばんは。
誰であれ人にはそれぞれ両親がいて、多くの場合、順番的にはいつか子が親を見送ることになるんですよね。
その順序があべこべでないなら、それはもうそれだけで上々の別れのような気がしています。
とはいえ、そう簡単に割り切れないのもまた人間というもので…。
すみません、あまりまとまりのない話を書いてしまいました。
お読み頂きまして、ありがとうございました。
骨の重さへの応援コメント
喫煙者であられるのですね。喫煙者の方は甘いものが苦手なイメージがありましたが、甘いもの、大丈夫なのですね。
葬儀にまつわるあの独特な非日常は、人生で数回しか経験しないものですが、誰でもいつかはあのように流れ作業でこの世から消えていく、それを生前のうちに見て知っておくというのも、大切なことなのでしょうね。
作者からの返信
甘いもの好きなんですよ。
ただ甘いものばかりだと身体に悪いでしょう?だから甘いもの控えるよう喫煙者やっているのです。健康のため。
最近の葬儀はもう自宅でやることは殆どなくて、葬儀場で通夜と葬儀と初七日を一緒にやって火葬場へ…という流れですね。ずいぶん簡素化されてますが、自分の葬儀はもっともっと簡単でいいのになと思ったりします。何にせよ長男は大変。ぼくは次男で良かった。
ありがとうございました。
骨の重さへの応援コメント
エッセイにも時々登場された、お父さまのご葬儀の思い出ですね。
私も父の葬儀で泣けませんでした。同居していた妹は泣いてましたが……。
夜中に目が覚め、眠れない時等に昔の父母を思い出して涙ぐんだりすることはあります。
厳しかったお父さまも、しっかり社会人になったサクさんや御兄姉を見届けて安心して逝かれたと思います。
作者からの返信
こんにちは、ゆりえさん。
とりあえず本作はエッセイではなく小説ということにしておいてくださいな。
父も母も晩年は認知症が進んでいましたからね。ぼくと姉家族は別の県で別居していたため、兄家族にかなり介護負担が偏ってしまっておりまして。終わりが見えないのはやはり精神的にしんどい部分もあったようで、これを言ってしまうと冷たいようですが他界した時には少しホッとしたところもあったんですよね。
心残りがないわけではありませんが、一応は子供が揃って健康で見送れたというのは良かったのではないかと思っております。
お読みいただきまして、ありがとうございました!
骨の重さへの応援コメント
しみじみとした良いお話でした。
祖父母の骨を拾い上げたことを思い出しました。
死んで煙となっていく今この時も、僕も世界もあまりに変わらないという、言いようのない寂しさだった。
ここが、主人公の心を良く表していて良いなと思いました。
涙を流す機会は訪れなかったんですね…
仲が良くなくても、きちんとお葬式に出て
お骨も拾ったことは、親孝行だと思います。
お義姉さんができた人で良かったです。
私が死んだ時、泣いてくれる人はいるだろうか、と感傷的な気持ちにもなりました。
しみじみとした余韻をありがとうございました。
作者からの返信
こんにちは、心春さん。
うちは実兄も義兄(ヨメ方の長男ね)も、どちらも義姉さんがすごくできた人なんですよ。
一方で末っ子のぼく。何の役にも立ちません。
同じ役に立たないにしても、ワンコやニャンコの方が可愛い分だいぶマシ説まであります(笑)
それでも、ぼくはちゃんと健康ですから。
自分で言うのもなんですが、それだけで孝行者ですね。
お読みいただきまして、ありがとうございました。
骨の重さへの応援コメント
人のお骨を拾ったことはまだ一度しかありませんが、猫の骨は三度拾いました。比較的大きな猫たちだったのに、真っ白な流木みたいな骨、手のひらに乗るくらい小さくなって切なかったです。
お父様、どうか安らかに。
あまり仲良しでなかったとしても納棺しお骨を拾った事は親孝行だと思います。
作者からの返信
茶村さま、こんにちは。
一緒にお酒を飲んだりだとか、節目ごとに集まって祝ったりだとか、そういったことは殆どできませんでしたけれども。
とりあえず子供が欠けることなく見送れたのは唯一の孝行だったのではと思うようにしています。うちの子にもそれ以上は望みませんからね。
ありがとうございました。
編集済
骨の重さへの応援コメント
「人の死」という出来事の重みがじわりと身に染みる作品でした。
例えば通り一遍の感動映画のように、肉親の死が、必ずしも涙をともなう悲しみをもたらすとは限りませんよね。
それでも身近な人の死は、必ずなにかを残していく。そういうことを思いながら、ページを閉じました。
作者からの返信
こんにちは。
仰る通り、物語的には何かフックがあって涙が呼ばれる方が良いのでしょうけれどもね。現実には必ずしもそうはならず…。
時間が経って、あるときにふと喪失を感じる。そんな悼み方もあるのではないかと思います。
お読みいただきまして、ありがとうございました。